2017. 6/29(木) ドキュメンタリー
我が家ではテレビを生で見ることはほとんどなくて、興味のある番組はHDDレコーダーに録画をし、それを食事どきなどに順番に見るのが習慣だ。ジャンルは主に、旅番組、自然や野生動物を扱ったネイチャーもの、サッカーやフィギュアスケートなどのスポーツもの、それからその他のドキュメンタリー。地上波ではなくBSが中心だ。まあ年をとってくると自然とそういう趣味になる。雑多に番組を収録しては見ていくことを繰り返し、気に入ったものはブルーレイにダビングして保存している。

 BSでは「世界のドキュメンタリー」と銘打って様々な内容を放送してくれる。最近見たのは、「カリスマ医師の隠された真実」という、3回に渡って放送された番組だ。
 最先端の再生医療をほどこすイタリア人医師、パオロ・マッキャリーニ。気管を損傷した患者に対し、人工の樹脂製チューブを患者の幹細胞に浸してから移植するという画期的な手術で注目を浴びた。医療界に革命をもたらしたと賞賛されるも、やがて手術を受けた患者達が次々に死んでいく。手術に問題はあったのかなかったのか、そもそもマッキャリーニの思惑はなんだったのか――。
 シリーズの3回を見終わって僕は、「ああ、こんなものか」と思った。それは、このドキュメンタリーを制作した側の姿勢についてだ。最初から、この医者はどうもクサい、何か不正が働いているに違いない、という先入観バリバリで作られているから、その方向にしか目が向かず、非常に浅い内容になっている。つまり、「この医者はやっぱり悪者でした」とう結論ありきの作りなのだ。

 僕はこの番組を見て、確かにこの手術方法には問題がある、とは思った。樹脂製の気管を幹細胞に浸すだけで、最終的にそれが人体と融合するなどという考えは、あまりに短絡的だ。しかも動物実験さえ経ないで人間に手術したのは確かに拙速だった。それでもこの医師は患者を救うためにベストを尽くしたのだと思う。名誉欲や悪意を持ってこんな手術をやるには、リスクが大きすぎる。患者側も、まだ実験段階かもしれないが、治る見込みの薄い症状の改善に一縷の望みを託したのだ。(リスクが充分に伝えられていなかったとはいえ、)リスクがあると承知しながら、可能性に賭けたのだ。例えば癌などの難病について、いろんな薬が効かず、新しい薬や治療法を試したい人はたくさんいる。わざわざ外国から違法に薬を入手する人もいる。そういう、「リスクを覚悟しながらも可能性に賭けたい人」に、この医師は応えたのだと思う。そういう彼の姿勢を、僕は画面から読みとった。
 番組は3回のシリーズでほぼ2時間半ほどを費やしながら、同じシーンを何度も繰り返した挙げ句、一人の医師を吊し上げるだけで終わっていった。もっと、再生医療のあり方や患者側の要望、医療そのものの問題点など、いくらでも掘り下げるべき項目はあったと思う。

 話はすこしはずれるが、日本のドキュメンタリー映像作家の想田和弘という人がいる。彼は、通常のドキュメンタリー番組や映画に潜む危険性を指摘している。想田いわく、ドキュメンタリーとは言っても最初にテーマがあり、そのテーマで作ることを表明して予算を募り、テーマ通りに作品が作られていく。だから、真実を撮っているとはいってもいくらでもその真実はねじ曲げられていく。(このあたりは、彼の著書「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」に詳しい。)
 だから彼は自分の作品を作るとき、テーマは持たない。ただ対象を撮影し、そこから徐々に見えてくるものを作品にする。例えば「選挙」という映画では、川崎市の市議選に立候補した山内和彦、通称“山さん”を追っていく。ふつう、選挙に立候補する人間と言えば主張の強い傲慢なタイプかと思われるが、実際の山さんは使いっ走りのような存在だった。それでも、先の予想通りに撮ろうと思えば撮れる。山さんがたまたま誰かに強く指示を出しているようなシーンばかりを並べれば、押しの強い政治家として見ているほうは受け取る。しかし、実際の映画では、先輩議員から叱られ、仲間に愚痴を言う情けないシーンが続いている。これもまた完全な真実ではないかもしれないが、最初にテーマありきで作られた作品とは一線を画するものが出来上がる。
 僕は、今回のドキュメンタリーを見て、このテーマありきで作られた弊害を強く思った。ネットでのこの番組の評価を探ってみると、「こんな恐ろしいことがおこなわれていようとは」「悪魔のような医者だ」という感想がたくさんあった。なにか、定型的な意見を持った人が定型的な意見を聞きたい人にそれを届ける、定型的な図式が見られた気がして、僕にはそれが何より危険に思えた。
 僕はこの番組を、見終わったあとブルーレイには落とさず、削除した。

 一緒に見た妻と、あとからいろいろと話をした。番組のテーマから少しはずれるが、動物実験の是非について話題が及んだ。動物実験を、残酷だからやめろという声がある。でも、もし動物実験をやらなければ、新しい薬や治療法は全て人体実験からスタートすることになる。(例えそれを人体実験とは呼ばなくても、最初に投与される人は必ずいる。)そのために亡くなったり体調を悪化させる人が多く出てくるし、医療の歩みは確実に遅くなる。人が医療に頼り、それで救われたいと願うのなら、動物実験は残酷だと思うけれど必要だ。しかも、より精度の高い実験のためには、人間に近い種のサルなどでおこなう実験(動物実験反対派の人が、なによりその「人間に近い」という理由で反対するところの)が。