■---砂礫の森---■■■  □-3-□

 

「ところで、僕たちは何処へ行こうとしているのかな?」
 道なりに3分の1ぐらい歩いたところで、ケイタが戯けたような口調で言った。ただ歩いていると云うのでは、肝だめしにもならないだろう。と言葉を続けると、ハジメは腕時計で時間を確かめてから
「そろそろかな?」
 と眼鏡の奥の虹彩を絞って前方に視線を据えた。そして二人に何事か耳打ちして、道から少し外れた茂みの中に待機させると、自分はそれとは反対側の茂みに身を潜めた。
 暫くすると懐中電灯を片手にした管理局の人間がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
 身を潜め、息を顰める。
 前方からやって来た中年の局員は、3人が出発した入口の方に向かって歩いてゆく。ノロノロとした足取りで左右に懐中電灯の明りを振りながら、公園内に居残っている人間の有無を機械的に確認しているようだった。
  局員は3人の潜伏した茂みから2メートル程後方で立ち止まると、ハジメの居る方向へ集約する光を向けた。
  とその時、
  逆側の茂みの中からガサゴソと草の鳴る音が聞こえた。
「誰かいるのか?」
「にゃぁ」
 下草をかき分けて、酸漿色の大きな体躯の猫が姿を現した。猫は局員を見上げてもう一度得意気な声で鳴く。
「にゃぁ」
 続いてもう一匹が顔を出す。灰色の細身の猫で、寄り添うように二匹で並んだ。小さなビー玉 のような瞳が4つ、薄闇に光彩を放っている。
「なんだ、猫か、」
  局員は二匹が出て来た茂みの奥を確認しようと懐中電灯の光を振った。浅緑の葉に光が反射した瞬間、今度は最初に確かめようとした茂み方向でカサリと草が音を起てた。
 振り返る。光がそのまま手元の位置で半回転すると、その先で白い塊が軽やかに跳躍した。
 こちらもまた猫だった。澄ました顔で路脇に踊り出たかと思うと、素早い動作で反対側にいる二匹の猫と対峙した。
「ナ〜ゴォ」
 険しい表情で向きあったのは白い猫と酸漿色の猫だった。互いに躰を弓なりにして毛を逆立てて睨みあっている。奇妙な声で喉をならし、互いに間合いを詰めながら。
 そこだけ空気がピンと張り詰めているのに、灰色の猫は、まるで我感せずの態で前脚の毛づくろいなど始めていた。
「う〜」
 牽制しあう二匹の喉の奥からは、絞り出される声が次第に緊張の波長を増幅させていた。二匹は一発触発の危機的状況にあるようだ。
「なんだ、喧嘩か?」
 少なくとも、局員の目には眼前の状況が、雄猫同士の色恋沙汰の喧嘩に映ったようだった。
 次ぎの間合いで三
匹の猫は脱兎のごとく走り去る。
 局員がその方向へ光をかざすと、三つの影は右へ左へ茂みを揺らしながら、駆けつ戻りつを繰り返して。時折あの奇妙な声をあげながら、じゃれあっているようだった。
 局員はその後、一度、明りを遠くに振っただけで、やれやれといった表情をつくりながらそのまま三人と三匹を行き過ぎた。

 それにしても。
「使えるな、あいつら」
 感心したようにケイタが言った。
 何時、このような芸を仕込まれたのか。それとも天性の才能か。いずれにせよ三匹の妙技が局員の注意を三人から反らす結果 となったのは確かだった。
「この為に、テトラたちを連れてくるように言ったの?」
 トトマルは目を丸くしてして、何くわぬ顔でこちらへ戻りつつある三匹を見つけて言った。
「まぁ、そんなトコかな」
 ハジメは含んだような物言いで目を細める。三匹の猫達は、談笑するように鳴き交わしながら、それぞれの飼い主達に労いの言葉を求めるがごとく、足下に絡みついて喉を鳴らした。

「にゃにゃにゃ」
「にゃうう」
「にゃ〜にゃ」

 最近、外出したテトラ達を引き連れたハジメが、公園付近に出没すると言う噂が実しやかに流れていたのを思いだして、トトマルは足下で甘えた視線を投げるテトラの眉間を優しく撫でた。
「そう言うことだったの?」
 解っているのかいないのか、少し得意げにくりりと輝いた瞳の中に、悪戯な笑みを浮かべた顔つきのテトラは、一つ小さく鳴いて、脇腹を擦りつける。
「っつうか、モトハシさんて・・・ハーメルンの笛吹きか、あるいはサーカスの団長?」
 あい変わらずの調子でケイタが言う。ハジメは一つ起てた指を左右に振り動かしながら、妙に真面 目な表情をして、囁くように言葉を吐いた。

「魔法使いの、おばあさん」と。

 その表情が柔らかく微笑んだ。

 

(オマジナイをしてあげよう)

 

 

「さて、第一関門は無事通過。あの人が戻ってくるのに15分位 かかるから、その間に、」
 ハジメは再び腕時計に視線を落としながら呟いた。
 局員は、散策路入口の門扉に錠を下ろした後、再度散策路を通って戻ってくるのだ。反対側にある通 用門の脇の小さな建物が公園の管理事務局になっていて、1階の窓口には夜間常駐の局員が待機している。見回りは閉門時間の前後にしか行われないけれど、道脇のあちこちには窓口への連絡用に非常電話が設置されている。万が一、出口が閉鎖されてしまった時はそれを使って管理事務局に連絡することができるようになっていた。
 それから5分くらい歩いただろうか。少し開けた場所に出た。円形の広場の中心に木組みの四阿亭が一つ、ぽつりと設置されていた。そこから道が三つ又に別 れていて、どの道も微かに上がり勾配がついていた。道は、丘の上の一点に向けて伸びているのだ。
 3人と3匹は四阿亭に腰を下ろした。森の中の暗さに比べると、広場は残照を浴びて視界が効いた。その先には薄紫色の空があった。空の上下で色彩 が混濁していて、その中に仄かに灯った細い月が昇っている。弓なりの方角から、新月が近いのだと云うことがわかる。消えて無くなる残骸の月は、天幕に架かる薄紙を透かす光を力無く地上に放射していた。

「ここからは、各自別行動で行こう」
 ハジメは三本の道を示して言った。
「この道はまっすぐ上まで続いているから、迷うことはまずないから。ただ、さっきの人がどの道を通 って戻ってくるかは分からないから、追いつかれたらハズレ。10分位行った所で合流しているから、そこで落ち合おう。」
 10分と言っても短い距離ではない。やはり今日の趣向は肝だめしと云うことだろうか。
  ケイタはニヤニヤ笑いながらトトマルの顔を覗き見た。案の定、彼の顔から余裕が消えてしまっている。蒼白い頬に、不安の色が浮かんでいた。胸の前で抱きしめたテトラの体が窮屈そうに向きを変える。ぎゅっと握られた手が少し震えているようだった。
「それじゃあ、トトが可哀想だね。ほら、怖がってる」
「そんなこと・・・」
 トトマルは視線を泳がせながら、ハジメの真意を掴みあぐねた。トトマルが公園を散策することに躊躇したのは、暗い場所が恐かったからとか、規約に違反して入り込んでしまうことを危惧したからとか、ただそれだけの理由だけでは無かったからだ。

「モト、それはやっぱりまずいよ。ケイタくんが・・・」

(ケイタくんが、)

 トトマルは顔色を失って言葉を切った。
 ハジメが俄に笑ったのだ。

(モト?)
 笑っている。
 意地悪な笑みではなかった。
(大丈夫。)
 そう言われたような気がして。

 

 記憶とは、時として不確かなものである。

 余りに恐しい体験は、時として、心の奥深くに閉ざされてしまうことがあるのだと。その記憶を、意識の表層から排除して、事実は無かったこととして、頭の中で処理される。その記憶に鍵をかけ、鍵を何処かへ棄ててしまうのだ。
 そして、いつしかそれがその人にとっての真実になってしまう。
 全ては無かったこと。
 人間の記憶など、所詮曖昧で、幻想の集積のようなもの。だから、それが事実ではなかったとしても、真実であると信じてしまった瞬間から、それが間違った記憶なのだと証明することは困難になる。曲解された記憶が、その人の真実になるのだとすれば。
  けれど、何かの拍子にその鍵の在り処を思い出してしまったら。

(何も見ていない)
(何も聞いていない)
(だから、何も云わない)


(この先に何があるの?)
(タノシイコト)
(楽しいことってなぁに?)

 ケイタは忘れてしまっているのだ。

(何も見えない)
(何も聞こえない)
(だから、何も云えない)

 

 結局、ケイタが一番楽しそうな顔をして、右側の路を選んで揚々と闇に消えた。ケイタが行ってしまってからも、二人は暫く黙ったままそこから動けないでいた。


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