石川さんのアピール

 



新年メッセージ
今年は私が不当逮捕され、冤罪に陥れられて60年であり、ウソの「自白」を強要され、騙されたというものの、このように長期間に及んでも未だ解決の目途もたてられず、自責の念に駆られ、同時に自分を励まし、今年こそ、冤罪を晴らすとの一念で、元気に2023年の第一歩を踏み出しました。
 特に昨年、弁護団は、冤罪の真相を究明し、再審開始・無罪判決をめざして11人の鑑定人の証人尋問と、万年筆インクの鑑定の実施を強く求める事実取調請求書を裁判所に提出したこともあって、第3次再審も大詰めの闘いと心に留め新年を迎えた次第であります。
 裁判所が、弁護団の求めに真摯に対応し、鑑定人尋問とインク鑑定を実施すれば、立ちどころに真実が解明されることでありましょう。真実は一つであり、裁判所が如何に真相究明に向き合い、公明正大に狭山事件を取り上げて頂けるか否かであり、偏見を持つことなく実務を全うされるよう心から願っています。
 裁判所に客観的事実に即して精査して頂ければ、最早、諸々の新証拠に因って私の冤罪性は動かし難いものとなっています。裁判所には速やかに鑑定人尋問を行って頂けるものと確信しております。  
 一方、昨年を振り返って、一番うれしく、心に残ったことは、短期間で、目標の10万人以上の署名を集めて頂いた事でありました。組織、支援者皆様方に奔走して頂いた御蔭でありました。一次署名集約日である10月26日、連れ合いは眠れなかったようで、遅い時間に部落解放同盟中央本部に電話をかけて確認したようです。その時「10万筆を超えた」との返事を頂き、二人で感激し、涙とともに、感謝の気持ちで一杯でした。多くの皆様に、ご支援・ご協力を頂きましたが、あの夜の感激はひとしおでした。ほんとうにありがとうございました。
 1月下旬には第53回目の三者協議が開かれ、2月末までには、検察から鑑定人尋問等についての意見書も出されてきます。引き続き署名活動に取り組んでいただきたく、心よりお願いいたします。
 今年も何かとご協力を賜らなければなりませんが、本年こそ再審開始が実現し、私、石川一雄の冤罪が晴れるよう、可能な限りご協力を賜りたく切にお願い申し上げます。
 末尾になりましたが、皆様にとって最良の年になりますようご祈念申し上げて年頭に当たってのご挨拶といたします。

  沈黙の司法に突き付け科学が証し 無駄な抵抗検察機構

2023年1月

                              石川 一雄

 

 5・23メッセージ


今年は全国水平社創立100周年を迎えた年であり、狭山の闘いを勝利してその1ページを飾ることができたらと闘いを続けてきましたが、残念、無念の思いでいっぱいです。
 2006年5月23日、東京高裁に第3次再審請求を申し立て、弁護団や支援者皆さん方の闘いにより、これまでに246点の新証拠を提出しています。弁護団は今後鑑定人尋問を請求することにしていますが、勝利するためには、何としても鑑定人尋問を実現することが最重要です。
 来年、2023年は、不当逮捕60年になります。しかし、来年になれば冤罪を晴らせるとの保証はなく、寧ろ今までの司法の姿勢をみれば危機感さえ孕んでいます。そういう意味で今が一番大切な時でありながら、コロナ禍のために支援者皆さん方に私たちが直接支援要請できないのが残念でなりません。それでも全国の支援者の皆さんが変わらず、創意工夫しながら闘い続けて下さっていることに感謝の念でいっぱいです。
 全国の狭山集会も、昨年10月に2年ぶりに開かれましたが、不当逮捕された5月の集会は2019年に開かれて3年ぶりとなります。私は過去を顧視しないのが持論乍ら、家に閉じ籠っていると、別件逮捕され、厳しい取り調べを受けたことが思い出されます。通常の取り調べの合間に、元・交通係で、白バイに乗っていた人が来て、机をドンドン叩き、同じく別件逮捕されたAさん、Bさんの自白があるかのように装って、「彼らはこのようにお前と一緒にYさんを殺したと認めているんだ」と、自白の強要を迫ったり、大声で威嚇されました。
 のちにAさんは高裁で証人に立ち、「石川さんはA、Bと殺したと認めていると取調官に言われた」と証言しておりました。後には「拷問的な取り調べに耐えかねて留置場で首吊り自殺しようとしたが、看守に見つかり死ぬことができなかった」と話しておられ、Aさんも厳しい取り調べをされていたことを窺い知ることができました。
 一方、河本検事に至っては、机の上に尻を乗せ、革靴を履いた足で、ドタバタと机を叩いた挙句、私が一言も喋らないにも拘わらず、勝手に自白調書を作成してしまうのでした。ただ、河本検察官は強制的に名前や捺印を迫った訳でなく、一応全文を読んで聞かせた上で、署名捺印を迫ったので、私は述べていないのに、「自白」したようになっていたので、怒って灰皿を投げつけ大騒ぎになってほかの警察官らが駆け付け、顛末を話してその日以降、しばらくの間、河本検事は私の取り調べを外されてしまったようでした。仮に何も言わずに「名前と捺印」を迫っていたとしたら無学な私は従っていたかもしれませんが、検察官として調書の内容を理解させておく必要があり、読んで聞かせたものと思われます。
 狭山署の署長と関さんの3人で取り調べを受けていた日が6月13日であり、それから2〜3日前のことと記憶しています。
 今私が自分を叱責しているのは、取調中に如何なる事情があったにせよ「人殺し」を認めてしまったことで、濡れ衣を着せられ、長い拘禁生活を強いられ、冤罪を晴らすために今も皆様に多大なご迷惑をおかけしていることであります。
 兄の地下足袋を見せられ、事件当夜、兄が夜遅く帰ってきたこともあり、取調官に兄が犯人だと問い詰められる一方、私に自白を迫るのは矛盾していましたが、社会的無知であったので、当時は思慮分別もなく、自分は「Yさん殺しはしていない」と、ただ否定の一点張りでした。
 然し、私が否認し続けていたことでいよいよ「兄を逮捕する」と言われ、長谷部警視から私が自白すれば兄を逮捕しない上に、本来なら10年20年位刑務所を出られないところ、10年で出られるようにしてやる、と言われたのです。一家の大黒柱である兄が逮捕されると、家が困ることから、約束を信じて長谷部警視の言う成りになって自白してしまった次第です。
 これまで、私は、忍耐、努力、根性で闘い続けてきました。長い冤罪の闘いですが、この悲哀、不条理、不正義が何時までも続く筈がありません。弁護団や、皆さんの闘い、ご理解のもとで真相は必ず証明されることを確信して今後も不屈に闘い抜き、第3次再審開始の実現を目指し、奮闘する所存であります。
 今日も全国各地において不当逮捕59年糾弾集会に決起して下さったものと思われ、本当に心強く感謝にたえません。
 来年は不当逮捕60年です。何としても来年こそ冤罪を晴らせるように更なるご支援を下さいますよう心からお願い申し上げて、私、石川一雄のご挨拶といたします。ありがとうございました。
 

新年メッセージ

今年こそ再審開始を勝ち取るぞという期待感を強く秘めて自分なりに精力的にとりくんで参りましたが、望みも絶たれ、溜息まじりで新しい年をこれまで何度迎えたことか、指折り数えるといやになってしまうほど長い年月でありましたが、今年は弁護団も鑑定人尋問、証人調べの請求をすることにしています。私も、再審開始のためには事実調べが不可欠でありますから、全力で訴え活動に邁進して参る決意をしております。
一昨年、昨年と新型コロナウィルスが猛威を揮ふるっていた関係で、私自身も集会等への参加を自粛せざるをえませんでしたが、支援者皆様にはその間も、決して闘いを止めないと、創意工夫した闘いが続けられていたことに、元気も勇気も希望も頂きました。
改めまして新年おめでとうございます。
この間、私自身が大いに疑問を持ち、納得できないのは、裁判における裁判官の自由心証主義であります。物事を判断するのに、恣意的に自由心証主義を振りかざされては被疑者、被告人にとって、たまったものではありません。偏見や、思い込み、警察、検察、先輩裁判官への忖度等あってはなりません。
憲法には「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律のみに拘束される」とあります。
裁判官は証拠に基づいて判断されるべきでありますが、その証拠も、検察が自分たちに都合のいい証拠だけを出し、都合の悪い証拠は隠されるということがあるならば判断は間違ってしまいます。このような検察の証拠隠し、不当、不正義に、えん罪者は苦しみ長い裁判となっています。早急な再審法改正が求められます。
私の人生のこの58年間は,正に櫛風沐雨しっぷうもくうでありましたし、不幸ふこう極きわみの虐げ鞭しいたげむちでありました。再審無罪を実現しなければ、この先も、先行き不透明な不安と苦しみを払拭できないまま、月日を過ごすことになります。
振り返れば、私を犯人にデッチ上げ、辛苦の拘禁生活を余儀なくした三人の取調官を断じて許せないと仮出獄の当初まで不倶戴天ふぐたいてんの敵との強い意志を持ち、復讐しようと考えていたのは事実であります。しかし、そうなれば、支援者皆様方が何のために社会復帰に尽力してくださったのか、再び刑務所に戻されてしまうことを考え、思いとどまったのでした。
自白を強要され、32年間も無実の罪で受刑生活を強いられていたことは無念であり、承服できませんが、今は兎に角、裁判官に私の無実を知ってもらうことが先決と自分に言い聞かせ、訴え活動に全力で取り組んで参る所存であります。
 第3次再審請求では、弁護団のご尽力によって、福江鑑定、下山第2鑑定等、科学的な新証拠が多数、裁判所に提出されております。
全国の支援者皆様方も裁判官に対し、鑑定人尋問、証拠調べ、再審開始を行うよう働きかけて頂きたく心から願っております。
私は常々申し上げているように、今の第3次再審裁判以外にないと思っており、絶対に第3次再審で勝利するとの強い信念の下で、一人でも多くの方々に狭山事件、私の無実をご理解して頂くべく全精力を傾けて闘って参りますので、皆様方も最大限のご協力を下さいますよう年頭に当たり私の決意とさらなるお力添えをお願い申し上げて失礼いたします。

2022年1月
                              石川 一雄

全国の狭山支援者各位
「櫛風沐雨(しっぷうもくう)」〜風雨にさらされながら、苦労して働くこと。世の中のさまざまな辛苦にさらされることのたとえ。
「不倶戴天(ふぐたいてん)」〜同じ世界で一緒にいられない、どうしても生かしてはおけないと思うほどに深く恨むこと。

 

10.31メッセージ

寺尾不当判決糾弾集会を何年続ければ再審への道が拓けられるのか先の見通しも立てられない中、今年も寺尾不当判決から47年を迎え、全国各地の支援者皆様方が集会に決起くださったものと思われ、何時も乍ら感謝の念で一杯です。
東京高裁寺尾裁判長が憲法と法律を遵守していたならば、私自身を含め、支援者各位にもこのように長い年月、ご迷惑、ご心配をおかけせずに済んだ筈なのに、荒唐無稽な論法を用いて不当極まりない有罪の判断を下したのは断じて許せないことであり、それ故に、今日に至っても糾弾集会が継続される結果になっている訳でありますが、その後の裁判も許しがたい認定をしていたことは、周知の通りです。
言及する迄もなく、裁判とは予断を抱くことなく、十分に司法的抑制の理念に立って,事実を虚心に、真摯に精査され、大局的見地に立って検討される限り、最早再審開始以外の結論は出し得ないと思います。
下山第2鑑定が出され、私自身も今度こそとの思いがあります。裁判官に対し、鑑定人尋問の必要性を強く求め、訴えていきたい。正に下山第2鑑定は寺尾判決が有罪の決め手とした万年筆に関して、警察に因る証拠のデッチ上げ、捏造そのものである事を明らかにしました。
これまでの有罪判決や棄却決定が主観的な心証を客観的な証拠の上に置くことこそ予断がその根本にあってみれば、その誤りも厳しく指摘し、それを是正させる闘いも不可欠です。第3次再審請求を担当する裁判官には予断を持つことなく、公正・公平に審理をすすめてもらいたいと切に願います。
私自身も、如何なる時でも司法に幻想を抱くことなく、常に理路整然と闘って参る所存であることは言うまでもありません。
私は、第3次再審闘争の中で、今度こそ、冤罪の真相に蓋をすることは断じて許さないという姿勢で臨む決意であります。
また、刑事再審法改正についても、特に再審における証拠開示の保障や、検察官上訴の禁止等、変えさせていく闘いも急務です。
何時だったか失念いたしましたが、「裁判に勝利するには、いい裁判官にあたればいいね」と話された方に、私は迂闊にも「そう願いたいものです」と藁をもつかむ思いからお答えしましたが、裁判官に当たりはずれがあっていいわけではなく、法に従うことが求められるのであり、のちに自分の軽はずみな言葉を反省したものでした。
何れにせよ、現在裁判所に提出されている新証拠の検討は元より、隠されている全証拠の開示と同時にそれらを正しく判断され、刑事訴訟法第435条6号のいう新しい証拠が発見された時は、再審開始が法にうたわれているので、この法律に則って速やかに再審を開始されるよう裁判所に働きかけて頂きたく切に願っています。
昨年からの新型コロナ感染拡大の中で、この間、各地の集会も、昨年2回の狭山中央集会、また今年5月の中央集会も中止を余儀なくされました。まだまだ油断できませんが、全国の支援者の皆さんもひきつづき感染防止に留意され、ご支援頂きますようお願いいたします。今回は中央集会も開催され、闘いの中でまた皆様と元気に出会えますことに心から感謝し、私の挨拶と決意に変えさせていただきます。
2021年10月
 寺尾不当判決47カ年糾弾!再審要求集会
  参加者ご一同様
石川 一雄

 

5/23アピール

新型コロナウィルスの出現に因って、私自身糖尿病であることから、本来全国各地に支援要請のお願いの活動をしなければならないのに、足止めされ、残念無念の思いを抱きつつ1年5か月が経過してしまいました。
 当然、新型コロナウィルスの終息時に備え、万全の構えでおりますが、現在においてもなお感染拡大傾向にあり、溜息の出る日々であります。しかしながら、支援者皆様の、狭山の闘いを止めないとの強い熱意の下で、各地での闘いは継続されており、心強く、且つ感謝と相済まない気持ちで一杯です。特に大きな山場であるこの時期は裁判所への要請行動が効果的であると思われますが、私自身が率先して高裁前に立つこともできず、残念な気持ちを禁じえません。
 ずっと開かれてきた5・23狭山中央集会も、昨年に引き続き、コロナ禍で、中止を余儀なくされました。残念ではありますが、「いのち」を守ることを最優先に考えれば、仕方のないことでありました。
 ただ常に疑心暗鬼を払拭出来ないのは、私の無実を示す証拠がたくさん存在する中で、再審の門を開こうとしなかったこれまでの裁判官の姿勢であります。言及するまでもなく、近年、無期刑の受刑生活を強いられた6人の人たちが再審無罪になりました。この人たちは、最高裁で有罪と認定され、10年20年、30年と無念の受刑生活を余儀なくされましたが、無実の人を有罪に追い遣った裁判官はなんら、反省もせず、謝罪もしないことに満腔の憤りを覚えます。
 冤罪者は、一人の人間の一生だけでなく、家族も巻き込み、差別、偏見、悲しみ、怒りなど、塗炭(とたん)の苦(くる)しみの中で生きざるを得ない状況に追い込まれます。狭山事件のように、被差別部落の者が冤罪に巻き込まれたときは個人の問題でなく、被差別部落全体が犯罪者集団の様な扱われかたもされてきました。
 公平で公正であるべき裁判官が検察側に軸足を置き、忖度し、結果として、誤った裁判で有罪にしたのですから、司法の府としての黒い法衣を纏う資格などないと、断罪せねばならないと思うのです。 私の裁判でも第2次再審までは、最高裁が関わったが、事実調べもせず、確定判決を追認踏襲したに他ならないことは、皆さんも知っての通りです。
 今の裁判官には、過去の過ちの反省の上に立って、鑑定人尋問をおこなうなどして、弁護団より提出された新証拠を徹頭徹尾調べつくし、再審の門を開いて頂きたく願わずにはおれません。 この狭山第3次再審こそ、私は乾坤一擲で臨む所存でありますので、何卒皆様も感染防止に十分に気を付けられた上で、本審で冤罪が晴れますよう最大限のお力添えを賜りたく、衷心よりお願い申し上げます。5・23石川一雄不当逮捕58カ年糾弾集会へのご挨拶に変えて失礼いたします。

今の司法金城鉄壁侮らず 証拠を携え緊褌一番で臨む

2021年5月                       石川 一雄          狭山支援者各位様

新年メッセージ

全国の支援者の皆さん.明けましておめでとうございます。
 昨年は2月21日の東京狭山集会を皮切りに今日まで狭山に関する集会、現地調査等が延期・中止、また私自身の不参加という結果となり、各関係者の皆様に大変なご迷惑をおかけする一年となってしまいました。
 新型コロナの出現によって生活が大きく一変させられましたが、私自身は、狭山事件に巻き込まれ、32年間の拘禁生活の中で、自由を奪われ、独房生活を余儀なくされていたので、外に出られないことに対しては,苦になりませんでしたが、狭山第3次再審闘争は、緊迫した状況下にあってみれば、各地に訴えに行くこともできず、やきもきし、焦る気持ちに駆られたこともありましたが、全国の皆さんからメッセージをいただき、直接会えなくてもつながりを実感して、私自身は今は元気で生きることが闘いだと思っています。
 私自身、10か月ほど家に籠もる中で、これまでの事が、走馬灯の様に駆け巡りましたが、真っ先に思い出したのは、冤罪を晴らすために、文字と格闘した日々のことでした。浦和拘置所で文字を教えてくれた担当看守さん、本格的に、「冤罪を晴らす」という目的を持って文字を学ぶことを助けてくれた東京拘置所の看守さんたち、全国の部落の子どもたちから送られてきた「石川にいちゃんへ」というたくさんの手紙に励まされたこと。文字を取得するのに10年以上も要しましたが、文字を通して多くの事を学ぶことができたし、私自身の立場も理解できたことを鮮明に思い出す10か月でした。
 このことは、裏を返せば、逮捕当時の私が、まったくと言っていいほど、文字と無縁であったことでもあります。読み書きができないことで悔しい思いをしたことや、57年前、警察は、私が犯人との証拠がないので別件逮捕し、マスコミの差別報道や、市民の差別意識も利用しながら、結果的に私を犯人にしたてあげていったことを、文字を取り戻す過程の中で、理解していき、悔しさと怒りでどれほど涙を流したかしれません。
 しかし、今は思い出よりも再審裁判に重点を置いて取り組むことが最重要であるとの思いでいます。年末には最高裁が、イワちゃん(袴田巌さん)の再審に道を開く、差戻決定を出すという本当に嬉しいニュースがあり、今度こそ私の番だという決意をあらたにしたところです。
 昨年には、弁護団が検察官の誤りを明らかにし、寺尾判決を覆す科学的な新証拠をつぎつぎと東京高裁に提出し、いよいよ今年は、鑑定人尋問を求めていくとのよしであります。
 いずれにせよ、私はあせっておらず、コロナが終息したら、活動が再開できるよう、毎日体を鍛えております。
 2021年は、何としても鑑定人尋問、事実調べを勝ち取る年になりますよう、最大限のお力をお貸しくださいますよう、心から念じつつ、私は不撓不屈の精神で第3次再審実現を目指して闘い抜くことを皆さんに誓い、年頭の決意といたします。皆さんもお体大切にお過ごしください。
腰を据え闘い続けて第三次 証拠は揃い勝負の年へ
2021年1月

 

 

 

例年なら日比谷野外音楽堂に於いて、寺尾不当判決糾弾の市民集会が開催されている筈ながら、今年は誰も予想しなかった新型コロナウイルスの出現により、狭山に関係する殆どの集会や、現地調査が中止・延期となってしまい、再審闘争も最大な山場での状況だけに、残念でなりません。
しかしながら、事件発生から57年、寺尾不当判決から46年になる狭山の闘いを止めてはならないという皆様の不退転の熱意が、各地での、集会や、学習会として継続して闘い続けて下さっていることに感謝の気持ちでいっぱいです。コロナ禍の中で、対策と工夫を凝らした闘いが進められていると思われますが、私、石川一雄のために結集して頂いた皆様方に、非常に心強く思うと同時に、なんとしても、この第3次再審で勝利して、終結せねばとの思いを強くしています。
 一方、狭山弁護団も、第3次再審にかける意気込みと、並々ならぬご努力に、私自身も、それに応えるべく、対応をしています。今は目が悪く、なかなか資料を読むことも厳しくなっていますが、体力維持につとめ、いつでも動ける準備を続けております。
 裁判長も変わり、仕切り直しの感はぬぐえませんが、これまで出された多くの無実を明らかにする新証拠があります。
 何としてもこれらの証拠の鑑定人尋問を実現させることが最重要であります。
 鑑定人尋問を実現させて、私が冤罪であることを理解してもらわなければなりませんので、どうか皆さん方も要請はがきや要請行動等、行動を起こして頂きたく、心からお願い申し上げて、私のご挨拶とさせていただきます。

2020年10月

狭山支援者各位様

 

        新年メッセージ

 

昨年も、支援、要請のお願いに目一杯活動してきましたが、私の願いも空しく、再審開始の前提である証人調べに入る目処が明らかにならないまま新年を迎えてしまい残念無念でなりません。
 結局検察側の言う通り次回の三者協議までインクを探すということになってしまった訳でしたが、裁判官は検察の引き延ばし理由において、道理に反していると思いつつも、検察官の主張を認めたのではないか、と思われます。
 弁護団に反証の目処を追及され、検察官は当時のジェットブルーインクを入手するまで待ってほしいと言っているそうですが、国家権力の力からみれば、事件当時、被害者が使っていたインクが見つけられない筈がありません。そもそも、下山第2鑑定の結論を検証するために、被害者が使っていたインクを探す必要はないと思います。恐らく下山第2鑑定に対して、すでにあらゆる角度から実験、鑑定を試みたと思われます。しかし、自分たちの思い描く結果が得られず、さりとて、このまま、下山鑑定を認めるわけにはいかないので、時間稼ぎをしながら、いかに難癖をつけられるか検討しているのではないかと、私自身は推測しています。下山第1鑑定の時も、鑑定人の名前を公表しなかった、できなかったように、今回もそのようなこともあるかもしれません。
 元より、弁護団は、反証があれば、徹底的に再反証するでしょうが、有罪証拠の根拠となった「発見万年筆」は、下山博士の、蛍光X線分析検査で、科学的、客観的に「偽物」である事を明らかにしたのです。弁護団も、下山鑑定を覆すことはできないとの確証の上に立って、裁判所に、正々堂々と鑑定人の尋問を強く求め、また、裁判所に職権で鑑定を求めていくのではないかと思われます。
 支援者皆さんもご承知の様に、被害者が事件当日に書いたペン習字の浄書のインクからは、クロム元素が含まれていたのに対し、私の家から発見されたという万年筆で書いた数字のインクからはクロム元素が含まれていなかったことを下山鑑定人が明確に指摘したのです。この鑑定は、弁護団が証拠開示を求め、2016年10月に、当時、発見万年筆で書いた「数字」を含む調書が証拠開示されたことから実現しました。実に53年も検察に隠されていた証拠なのです。前記のような検察官の再審妨害活動を制限し、再審における証拠開示を義務化する法改正が必要だと痛感します。
 弁護団の方針は飽く迄も事実調べ、再審開始を実現させることが前提であり、私自身も裁判官が誰に代わろうとも焦らず、今後も無実の証拠を突き付けて闘って参る所存であります。
 皆さんにも大変ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳なく思いますが、どうか昨年同様にご協力下さいますよう心からお願い申し上げます。
 尚、全国の支援者皆様から私の体調面に対し、大変ご心配をおかけしておりますが、目、耳が若干悪いこと以外は盤石であり、この第3次再審で再審実現を目指し、全力で闘って参る所存です。

 権力の犯罪暴いた万年筆 許せぬ怒りは法廷の場で

2020年1月1日

狭山支援者ご一同様

    石川 一雄

 

 

 

 

 

 

  10・31アピール

 

寺尾不当判決45か年糾弾集会に決起して下さった全ての皆さんに感謝の一文をお届けいたします。 

現在、検察側は下山第2鑑定に対し、反証を出すといいながら、反論も反証も出さないで、一年以上がたちました。当然にも検察は下山鑑定に

対して、これまでに反論反証を出すためにあらゆる手段を駆使し、努力をしてきたと思われますが、検察の思い通りの結果が出ず、このままでは

被害者のものとされた発見万年筆は偽物(捏造)の烙印を押されてしまいかねないことを恐れ、出せないのではないかと、私自身は思っています。

下山第一鑑定の時も、検察側の鑑定人の名前を公表しない、できないというお粗末なものでありました。そもそも万年筆に関しては、発見経過も

含めて当初からいわくつきであったわけです。事件発生当時、発見万年筆のインクや、被害者が使っていたインク瓶のインクなどを検査した検察側

の鑑定人である、荏原・科学警察研究所技官が発見万年筆のインクは、被害者が使用していたインクと異なることを指摘していたにも拘わらず、検

察官は、インク補充説を唱えました。寺尾判決はインクの違いを無視して万年筆発見を有罪の根拠にし、その後の裁判所はインクの違いを別インク

補充の可能性でごまかしてきた訳です。 

下山第一、第二鑑定は、発見万年筆には、被害者が使用していたインクが入っていないことを科学的に指摘して、被害者の物ではないことを看破し、

またコンピューターによる筆跡鑑定をした福江報告書は、脅迫状の筆跡は99.9パーセント以上の識別精度で、私が書いたものではないことを満天下

に明らかにしたのです。 

これらの鑑定結果は、科学的な鑑定結果であり、普遍的なものということであり、決して揺らぐことはなく、検察にとって、もはや覆すことは困難

であると思われます。 

証拠開示で明らかになった資料をもとに科学的、客観的な新証拠が多数提出されているこの第3次再審請求で、なんとしても証人尋問、鑑定人尋問を

させることが最重要な闘いであり、再審開始へのカギとなりましょう。 

何れにせよ、さほど遠くない日に判断されると思われますが、私も心を引き締め、全力で闘って参る所存ですので、どうか皆さんも此の第三次裁判

以外にないと思う私の意を汲んで頂き、最大限のご協力下さいますよう、衷心よりお願い申し上げます。お願いばかりさせて頂きましたことをお許

しいただき、失礼させて頂きます。 

今日は本当にありがとうございました。

 

2019年10月31日

 

寺尾不当判決45ヵ年糾弾・再審要求集会参加者ご一同様

                     新年のメッセージ

全国の狭山再審闘争にご支援下さっている皆様、明けましておめでとうございます。私は仮出獄乍ら社会に出て25回目の正月を元気で迎えることができました。ただ残念無念の思いを禁じ得ないのは、常日頃から口癖のように言っていた二十歳が四回来るまでに冤罪が晴らせなかったことです。
 しかし、昨年は、科学的な鑑定等に因って、私の無実と警察の証拠捏造が明らかになり、あとは裁判官の姿勢如何にかかっているので、今後は裁判官に対し、如何に真実に向き合わせるかに私の生死が左右されるといっても過言ではありません。二度と「今年こそ」「今度こそ」と言う言葉を出さないためにも、鑑定人、証人調べを行わせるべく、全力で闘う決意を心に秘めて新年の第一歩を踏み出した次第であります。
 今月、私は80歳の大台を迎えますが、今は医学の進歩等によって100歳の時代といわれており、焦りはしません。
 2020年は東京オリンピックの年と騒がれておりますが、振り返れば、1964年10月に開かれた東京オリンピックの時は、死刑囚として東京拘置所で拘禁中でありました。オリンピック開催直前の9月10日、東京高裁での、第2審の第1回公判で無実を訴えたのです。この時のオリンピックはテレビで観戦していましたが、印象に残っているのはマラソンでの“裸足のアベベ”選手でした。1960年のローマオリンピックの時、裸足で走り金メダルを取ったアベベ選手は東京オリンピックでは靴を履いていたように思いますが、颯爽と駆け抜け、驚愕したものでした。アベベ選手は家が貧しく小学校は1年くらいしか通っていないということであり、裸足で走り回っていたという生い立ちは、私を含め、私のムラの子どもたちと共通するところがありました。私たちは、押しなべて夏になると下駄の歯が減るということで、4月頃から10月頃までは裸足で過ごした当時は、砂利道ばかりでありましたが痛さを感じるのは1か月くらいで、慣れると足の裏は靴底の様に固くなってくるので、痛みも感じられなくなってくるのです。アベベ選手も日常生活において裸足であった由から別段驚くこともなかったかもしれませんが40キロ以上の距離を裸足で駆け抜けたということにただただ驚くばかりでした。
 現在の私は目の調子が悪く、書くことや、読むことに難儀している以外は元気でおります。これからも皆様方にご協力いただき、再審裁判が実現するよう只管訴え活動に取り組んで参る所存であります。
 勝機は真近であり、全精力を傾注して世論に訴え、なんとしても今年中に事実調べにむけての目途をつけ、再審勝利を勝ち取るべく闘いに邁進して参りますので、なにとぞ皆様も一層のご協力を賜りますよう心からお願い申し上げて、年頭に当たり、私の決意とさせていただきます。

狭山支援者ご一同様

2019年1月1日

                                                            石川 一雄 

 

     10.31アピール 

                             

今年も各地から、寺尾不当判決44カ年糾弾決起集会にご参集頂きまして、誠にありがとうございます。
 第3次再審闘争においては、証拠開示がすすみ、多くの科学的な新証拠が提出されていることから、必ず鑑定人尋問、証人調べが実現すると期待をしておりますが、検察官は反論を出すということであり、来年も支援者の皆さんにご尽力を賜る結果になってしまうことが濃厚となっています。皆さんには大変申し訳なく思うと同時に、私自身も決意をあらたにしております。
 皆さんもご承知の通り、私の無実を示す新証拠として下山鑑定、福江鑑定等に加え、2018年7月10日に元科捜研の技官だった平岡鑑定を新証拠として提出し、第3次再審裁判で出された新証拠は217点になりました。1963年5月1日に事件が発生し、5月11日、死体発見現場から125m離れた麦畑からスコップが発見されていますが、この場所はそれまで何度も捜索された場所でした。このスコップを確認もせずI養豚場のものと断定し、寺尾判決では、発見スコップ付着の土と死体発見現場付近の土が類似するとの星野鑑定(埼玉県警鑑識課)結果から、死体を埋める為にこのスコップを使ったとされ、自白を離れて、客観的に存在する有罪証拠の一つとされました。しかし平岡鑑定は、スコップ付着の土は死体発見現場付近の土と同じとはいえないと指摘し、星野鑑定の誤りを明らかにしました。また、スコップ付着の油脂からI養豚場のものと特定できないとも指摘しています。これまでの有罪判決の根拠が崩れたのです。当初、このスコップを即、I養豚場のものと確認もせず結論づけたのは、I養豚場の経営者が被差別部落出身者であり、そこで一時期働いていた私を犯人にするために違いありません。
 さらに、8月には、私方から発見され有罪の決め手とされた万年筆が偽物であることを決定づける下山第2鑑定が提出されました。蛍光X線分析という科学的な方法で、被害者が事件当日のペン習字で使っていたインクに含まれる元素(クロム)が発見万年筆のインクには含まれておらず、発見万年筆は被害者のものでないことが科学的、客観的に明らかになりました。もともと万年筆は発見経過が極めて不自然で、私を犯人にでっちあげるために、偽物を警察が私方の勝手場入り口の鴨居に置いて兄に取らせたことが明らかです。
 このように第3次再審裁判に於いては、沢山の無実を示す証拠が提出されています。しかし私は、完全無罪を勝ち取るまで決して気を緩めることなく、不撓不屈の精神力と、何時、如何なる時も萎えることない闘争心で、全国の皆さんに私の無実とえん罪の苦しみを叫び、訴え続け、支援のお願いに奔走する不退転の決意です。
 私が前向きに闘いを続けられるのは、皆様方の応援に大きな力をいただいているからです。この狭山事件の闘いは、弁護団や私自身の頑張りはもとより、全国的な大衆の声がなければ司法の重い腰を上げさせることはできません。第3次再審裁判を勝利するには、皆さんのご支援が不可欠です。「無罪」を勝ち取るその日まで、変わらずご協力下さいますよう心からお願い申し上げます。
 常日頃の皆さん方のご支援に衷心より感謝申し上げると共に、私の決意の程をお伝えし、ご挨拶に代えさせていただきます。

寺尾不当判決44カ年糾弾
第3次再審闘争勝利総決起集会参加ご一同様

石川 一雄

 

 

 

 

 

5・23メッセージ

確定判決の予断と偏見に満ちた不当な差別判決の前に、現在もなお殺人犯の汚名を背負わされ、仮出獄をした今も、非人道的処遇を強いられ、保護観察所や、保護司への報告を義務付けられてから24年になろうとしておりますが、この生活環境を直視すれば当然の事乍ら、私の憎悪の対象は寺尾判決の一言に尽きる訳ながらも、皆さん方もご承知の通り、此の間に開示された取調べ録音テープ等からも、如何に確定判決がゴリ押しであったか、明らかであり、正まさしくこの第三次再審闘争の中で、これまでの有罪の証拠に合理的疑いが生じていたかが、満天下に示されており、そうであれば、直ちに真相究明すべく、鑑定人尋問を行うべきと切に願っています。
 前述の様に、取調べ録音テープに因って明らかになったのは、自白調書すべてに渡って国家権力、警察が私を狭山事件の犯人にデッチ上げるために仕組んだ証拠の捏造、事件のストーリーであり、証言の偽造、証拠の改ざんの事実を暴露し、警察が私に嘘の自白を強要、強制していたことが決定的に明らかになったのです。
 これまでも支援者各位による検察に対して「証拠を隠さず開示しろ」の声に押され、少しずつながらも現在190点以上の証拠が開示され、それに対して弁護団から無実を明らかにする200点近い新証拠が出されています。一度も事実調べ、鑑定人尋問を行うことなく再審を棄却してきたこれまでの裁判所の決定を、満腔の怒りを持って糾弾してきましたが、今度こそ鑑定人尋問を行うものと信じています。
 今テレビ等で、警察権力、国家権力、官僚等の不祥事が毎日のようににぎわしていますが、一方では、私の狭山事件の検察の証拠隠しは元より、それを黙認している裁判所の不正義について、取り上げられることはほとんどなく、由々しき問題であると、声を大に訴えます。
 今日は55年前に不当逮捕された日であり、各地で沢山の参加のもとで糾弾集会が開かれていると思われ、例年の事乍ら、感謝の気持ちで一杯です。
 振り返れば、この55年は途轍とてつもなく長い道のりでありましたし、またある時は闘いを放棄して終いたいと思ったこともありましたが、皆さん方をはじめ、全国の子どもたちから「石川さんがんばって下さい。私たちも応援しています」という手紙に励まされて、心折れずに闘い続けてこられました。
 55年の今日まで、未だ冤罪を晴らすことは出来得なかったけれども、この第3次再審で必ず再審の扉が開かれると確信し、自分自身の為、また、何よりも長年にわたって支援し続けて下さった多くの支援者の皆さんの声に応えなければと、日々、自分自身に鞭うって頑張っております。
 皆さんお一人おひとりが石川一雄になり、真相究明のために裁判が開かれるように署名活動や、様々に闘って下さっている事を思うと一層の闘争心が湧き、「これしきのことでへこたれないぞ」との覚悟でおります。
 昨年12月に就任した後藤真理子裁判長も、取調べ録音テープ等を驚愕を持って聴取され、また、福江、下山、川窪鑑定等の科学的な鑑定もしっかり確認されている筈であり、だからこそ、事実調べや鑑定人尋問の必要性、重要性を認識されていると信じております。
 今日の集会をバネに、現審の後に裁判はないと自分自身に言い聞かせ、不屈に闘って参りますので何卒私の固い決意をおくみ頂き、最大限のお力を下さいますよう心からお願い申し上げて私の挨拶に代えて失礼いたします。

2018年5月23日

                                 石川 一雄

 

新年メッセージ

 

全国の狭山支援者の皆々様、明けましておめでとうございます。

昨年も私なりに精一杯の闘いを展開して参りましたが、期待に反し、再審裁判も適わず、結果的に今年も支援者皆さんにご迷惑、ご心配をおかけすることになってしまい、大変申し訳なく済まない気持ちで一杯です。三者協議は34回を重ねましたが、弁護団の正当な証拠開示請求にもかかわらず、検察官は「必要性がない」などと開示に応じようとせず、遅々として重要な証拠の開示が進まぬ現実を直視すれば、或いは検察当局は、私が死ぬのを待っているかの如くさえ感じてしま
います。だとすれば、私は意地でもとことん長生きしようと、常に自分を戒め、言い聞かせ、冤罪を晴らし、完全勝利するまで権力に対峙して参る所存であります。

弁護団は、下山鑑定にひきつづき、私の無実を示すさまざまな新証拠を提出しており、それによって、年々狭山事件の真相を知って下さる人たちが多くなり、時には集会等に向かうために街頭を歩く私の姿を見て「石川さん応援しています。元気で頑張って下さい」と声をかけて下さる人が多くなり、確実に支援の輪が広がっていることを実感しています。加えて政府も部落差別の実態を認め、2016年12月に「部落差別解消推進法」の制定を勝ちとりましたが、法律をどのように具体的に活用していくかが重要であり、人権教育や啓発の重要性も取り上げられている事を鑑みれば、狭山事件への波及効果、運動の推進にも無関係ではないと思われます。

元より日本国憲法では「基本的人権は侵すことの出来ない永久の権利」であり、「全ての人が個人として尊重」され、「平等権」も明記されていることからも「部落民」として差別すること自体許されるものではありません。

私は仮出獄後、23年になりました。うれしいことに昨年は全国各地で様々に狭山学習会や、人権学習会が持たれ、また、狭山現調にも多くの
人が来て下さり、心の底からうれしく感じました。

何れにせよ、狭山再審裁判闘争において、新証拠の方は弁護士先生方の英知に委ね、私は不当な扱いをされてきているのは紛れもない事実なので、ただ只管に真実のもとに、公正で納得のいく、事実を証としての裁判を求め、今迄の裁判所の不当な判断を糾弾していく事しかありません。
その意味からも全国各地で、様々に闘い続けて下さっている支援者各位、また各地から高裁前アピール行動に来て下さっている方たちの存在がどれほど狭山事件の真相普及のために大きな力になり、証拠開示等の実現につながってきたか、人間の善意と正義を求める人が沢山いることに感無量であります。私は、これまで絶望の中から少しずつ光の中を歩んできた此処数年の中で温かい心に触れ涙にくれることが多々ありました。最近、自分がすっかり涙脆くなったことを感じます。そしてその反動として「決して負けるもんか」とファイトも与えられて参りました。皆さん方の真摯な長い狭山の闘いが、「今年こそ」と常に私を強く駆り立てて下さったのです。

下山・川窪両鑑定や森鑑定も弁護団や、支援して下さる皆さん方の弛まぬご努力や調査活動があったお蔭と深く感謝しておりますし、これらを力にして2018年は道が拓けると確信しています。私自身が気を弛めず、司法に対し、真実を究明すべき法廷を開き、事実調べを迫っていけば必ず勝機は見いだせると確信のもとで今年も全力で闘って参る決意でおり、これが最後の闘いとの決意で臨んで参りますので、皆さん方も最大限のご協力を下さいますよう切にお願い申し上げます。

末尾になりましたが、今年も皆様方にとって最良の年になりますよう心から念じつつ年頭にあたり私石川一雄のご挨拶といたします。

  除夜(じょや)の音(ね)に心(こころ)に秘ひめて誓(ちかい)たて
                   55年の今時(こんじ)に懸け(かけ)

2018年1月1日

 

 

1031メッセージ

 今年こそ、絶対的に再審が実現するとの思いを新年メッセージに込め、全国の支援者皆さん方に最大限のご協力をお願いした次第でしたが、私の見通しの甘さよりも楽観視していた向きもあったと支援者皆さんにお叱りを受けるかもしれませんが、気持ちが整理できないまま、兎に角今日も寺尾の不当判決43カ年糾弾集会に県下各地よりご参加頂けたものと、陳謝と感謝の意をお伝えできたらとペンを持ちました。
 各位もご承知の様に先般34回目の三者協議において、3点の証拠開示があったものの、弁護団が開示を求めているものに対し、検察は言及せず、現時点では先行きが不透明ながらも、下山、川窪鑑定などから万年筆は偽物と出た以上、検察がどう足掻あがこうとも、また、どのような反証を出してこようとも、裁判所も最終的には弁護側が出した鑑定結果を認めざるを得ないのではないかと思います。
 弁護団や、支援者皆さん方の「証拠開示を」の粘り強い闘いの結果、少しずつではあるものの、検察も証拠開示に応じざるを得なかったのですが、一方において相変わらず、「証拠開示の必要性がない」などと突っぱねて拒否しているのも事実です。こうした検察の不正義な姿勢は到底容認できるものではありません。ただ残念なのは私の無実を示す証拠は沢山存在するにも関わらず、これまで事実調べがまったくおこなわれていないことです。しかし、現在の第3次再審では、下山鑑定や筆跡鑑定など多くの新証拠が出されており、必ず鑑定人尋問がおこなわれるものと確信しています。
 今後も弁護団は徹底的に証拠開示と事実調べを強く求めて参る方針であり、皆さんから頂いた「公平、公正」な裁判を求める署名や要請ハガキなどが水泡に帰することのないよう、私自身も不撓不屈の精神で今後も全力で闘って参る所存です。
 「今年こそ」との決意で望んだ第3次再審闘争も来年に持ち越されてしまった事は残念であり、支援し続けて下さった支援者皆さん方に誠に申し訳なく思っておりますが、何卒ご理解の上、もう一肌脱いで頂き、お力を貸して下さいますよう心からお願い申し上げます。

2017年10月

2017 5.23メッセージ

今から54年前の今日は不当な別件逮捕された日であり、それに合わせて県下各地から糾弾集会にご参集頂いた全ての皆さんに心から感謝の意を表せたらと、私石川一雄は重いペンを走らせていますが、仮出獄からもう23年が経過する現在に至っても冤罪を晴らせないまま支援者各位に多大なご心配、ご迷惑をおかけしていることを大変申し訳なく心苦しく思っております。
 元より、取調べ過程に於いてどの様な事情があったにせよ、「自白」したのは紛れもない事実であってみれば、苦境に立つのも自業自得なので、憤懣遣る方無い気持ちはさておき、冤罪を示す証拠の数多から沢山の人たちによる「・・・再審を行って下さい・・・」の当然の声にも応えないこれまでの裁判官の姿勢に対し、絶望感さえ覚えます。弁護団から提出された全ての新証拠によって、警察、検察当局が仕組んだ証拠の捏造、事件のストーリーのデッチアゲ、証言の捏造などの事実を暴露し、客観的事実を明らかにしているにも拘わらず、なかなか再審裁判を行おうとしない司法に対し、先が読めないだけに苛立ちを抑えることはできません。
 言及するまでもなく、確定判決に合理的疑いが生じていれば、直ちに事実調べを行うべきであり、それが無辜救済、再審の理念だと思います。厳しい闘いの日々の中で、弁護団の粘り強い証拠開示の取り組みと全国の支援者から「証拠を隠すな」「証拠を開示せよ」の強い声に押され、検察官も渋々ながらもカバン、腕時計の捜査報告書、逮捕当日の上申書、初動捜査時の報告書、取調べ録音テープなどの開示に因って、増々私の無実が明らかにされてきたのです。
 取り分け下山鑑定、川窪鑑定は確定判決の認定を根底から揺るがし、しかもそれが科学的な鑑定だけに司法当局に大きな打撃を与え、逃げられないところまで追いつめていることは確かですが、油断は禁物です。何故なら以前の裁判で弁護団が脅迫状との筆跡の異なる点を指摘したところ、「・・・確かに筆跡は違うが、それは書く時の環境や、心理的状況によって違いが生じる・・・・」と筆跡が違うことを認めながら再審を拒否した例があるので、慎重に事に当たらねばならないことはいうまでもありません。とはいうものの、下山、川窪鑑定に対し、検察側は、2月8に開かれた31回目の三者協議で「反証、反論の方向で検討する。年度末までに目処を示す」といいながら昨年8月の下山鑑定提出から9カ月が過ぎた今も反論、反証は出されていません。意味のある反論は出せないのではないかと思われます。
 2006年5月23日、東京高裁に第3次再審請求を申し立ててすでに11年、裁判所には一日も早く証人尋問、再審開始決定の結論を出させるよう、厳しい姿勢で迫っていく所存です。
 大詰めを迎えています第3次再審闘争、今年が勝負の年と私自身も心に秘め、支援して頂く皆さんにも最後の持てる力を最大限に賜りたく心からお願い申し上げて、私のご挨拶といたします。

忍耐に極限あるも今将に最終段階躊躇許さず

         2017年5月23日

                                                                        石川 一雄

                              2017 1.1アピール

  満月にベランダいでて佇めば月は急いで雲を駆け抜け

 仮出獄ながら、社会に出て、23回目の正月を迎えることになってしまいましたが、全国の支援者の皆さん方は如何なる方針、決意を秘めて越年されたでしょうか。

新年明けましておめでとうございます

日々恙無く過ごせているとはいうものの、殺人犯の汚名も拭えず、54年という途方もない永い年月を送り、然も刑事裁判の鉄則を踏まえれば、私の無実を示す証拠は沢山存在しており、再審を行ってもいい筈なのに、司法の姿勢は変わらないままなのかとすら感じます。

言及する迄もなく、戦前の憲法の悲惨な人権蹂躙の反省の上に作られたのが現憲法であり、だとすれば、弁護団から提出された数多の証拠上からみても冤罪性は明らかであり、即座に再審の門を開けるべきであるにも関わらず、司法は結論を出さないまま、30回の三者協議を重ねる結果となってしまいました。しかし、昨年8月に出された下山鑑定によって警察当局の犯人デッチ上げの真相が公になり、最早、警察、検察当局を逃がさないところまで追いつめています。私自身、今日まで、幾度となく繰り返してきた「今年こそ」が本当に「今年こそ」となりそうであり、又、そうしなければならないと肝に銘じ越年致しました。

思えば、時の国家公安委員長の「・・・生きた犯人を・・・」の声に端を発し、
そして何が何でも犯人をと焦った警察は、憲法の精神を無視し、被差別部落民で無学な私を生贄にすべく別件逮捕し、代用監獄の中で、甘言、脅し等で自白を強要、また証拠を改ざん、捏造したり、隠蔽することによって人権を蹂躙したのであります。

現在でも冤罪が後を絶たないのは、憲法を順守し、人権を擁護する立場にある筈の検察庁、法務省が、人権蹂躙の犯罪行為を行い、証拠の隠蔽を静観していることこそ問題であり、責任も重大であると指弾しなければなりません。

何れにせよ、下山鑑定書が、このような司法の闇にメスを入れ、真実を明らかにして下さる事でしょう。万年筆に関しては第一審当初から一貫して、発見経過がおかしい事、被害者が使っていたインクと異なるインクが入っていたことなどもあって、贋物ではないかと指摘していたのに対し、これまでの再審を棄却した決定では「級友から借りる、乃至は郵便局に立ち寄った際にインクを補充した可能性」で結論付け、その後、第一次、第二次の再審請求審の2人の最高裁判長迄もが、一回、二回目に家宅捜索を行った元捜査官が、「三回目に発見された場所はすでに探したところであり、万年筆はなかった」旨の証言にも謙虚に耳を傾けることなく、ただ年数が経っているから信用できないと確定判決を追認、踏襲したのであります。

何故確定判決の認定を是認する前に、一、二回目の家宅捜索時の捜索官の証言や、三回目の捜索で万年筆が発見された「鴨居」の下に脚立が写っていることに思いを馳せなかったのか。私は2人の最高裁裁判長として資質を問うというより、弾劾する必要性を強く抱いているのであります。
 また、秘密の暴露の一つとされた、鎌倉街道での、自動三輪車の一件を含め、被害者宅の前方に車が停車していたとの時間帯についても、未開示の証拠が開示されたことによって、当時の捜査当局が如何に焦って証拠を見繕い、その事により裁判官が誤審し、冤罪を作り出してきたかも、国民の前に驚愕を持って明らかにされることによって、警察、検察、司法全体の権力犯罪を知ることになるでしょう。

今年は2月上旬に三者協議が予定されており、下山鑑定について検察側はどのように反論するのか、多分突拍子もない事を持ち出し、躍起となって誤魔化すに違いありませんので、決して楽観することなく厳しく対峙して参る所存です。

高裁前アピール行動は1月中旬から行いますが、私自身、検察官に隠し持っている証拠の開示を強く迫って参りますが、なかでも高検以外の隠し持っている証拠物リストの開示や、高裁に下山鑑定書等の鑑定や鑑定人尋問、事実調べをさせることを強く訴えたいと思います。

元より支援者皆さん方も裁判官も下山鑑定に因って狭山事件の虚構と、その根底から突き崩す科学の力の確かさを存じあげている筈であり、裁判官も今までの判決、判断に予断を抱くことなく司法的抑制の理念の上に立って弁護団が指摘した諸々の論点、事実に就いて虚心にそして真摯に精査され、大局的見地に立ち検討して頂ければ、最早司法が正義の姿勢を見せ、法廷の場で真相を究明する以外の結論は無いと確信しております。

皆さん方が例年同様に私の無実を信じ、再審闘争に理解し、応援して下さることは取りも直さず裁判上に大きく反映されるはずであり、私自身も今年こそ冤罪を晴らすべく、最大限取り組んで参る所存であります。

最後の最後まで皆さん方にご迷惑をおかけし、誠に申し訳なく思いますが、どうか一刻も早く、私、石川一雄が自由の身になれますようご協力を切にお願い申し上げ、新年の第一歩に当たり、心からお願い申し上げて私のご挨拶と致します。

末尾になりましたが、皆様方も一年を通してご多幸でありますよう狭山の地から念じつつ失礼いたします。

2017年1月
                            石川 一雄

(上記歌を詠む切っ掛けになったのは下山鑑定書の提出後、胸に閊えていたものが取れ、外に出てみると月が煌々と私を照らしてくれているように感じました。強風によって雲を吹き飛ばしてくれたのですが、多分来年は良い年になりそうだと思い詠んだ歌です)

2016 10・31 アピール

今年1年間の闘いを通す中で、大きな成果があったものの、裁判上に於いては、進展のないまま、寺尾不当判決42カ年を迎えてしまい、残念至極、遣る瀬無い気持ちは拭えないまでも、本日も各都府県下で沢山の支援者に因って糾弾集会が開かれたものと思われ、常に皆様方には私、石川一雄の身を案じ、明日への架け橋として闘いを支え続けて下さっていることに対し、どの様に謝意を表していいかお礼の言葉がみつかりません。
来月早々にも三者協議が予定されておりますが、恐らく、今年中の決断は不可能と思われ、一方8月に弁護団が提出した下山鑑定による万年筆のインキの科学的鑑定に因って、万年筆は偽物と判明され、これまで弁護団が主張し続けてきたことが正しく裏付けられたとあってみれば、最早、検察、裁判所もどのような装飾、言い訳をもってしても動かし難い新事実から、或いは裁判官も検察を擁護できない現実を悟って、事実調べの決断に踏み切らざるを得ないのではないかと大いに期待しているところです。
1974年の寺尾確定判決では「重要な証拠収集過程に捜査官の作為偽装が明るみになれば、それだけでこの事件は極めて疑わしくなってくる」とあります。重要な証拠を収集しながら、これら多くの証拠を作為的に隠し続けて来た警察・検察の姿勢こそ厳しく問われるべきです。
元より私は、何時如何なる時でも楽観を厳禁し、無罪が証明されるまでは飽くなき闘いを続けて参る所存です。当たり前の事乍ら再審開始への道程は険しい中で、確定判決を覆す程の新証拠が発見された以上、裁判所には現行憲法を重視され、速やかに事実調べ、再審開始を行うべきと強く求めて参るのは言う迄もありません。それ故に支援者皆さん方にもまだまだ多岐にわたってご協力を賜らねばなりませんが、何卒冤罪が晴れるまでは今後も最大限のお力添えを下さいますよう、心からお願い申し上げます。
それでは私の決意と皆さん方のご支援に対し衷心より感謝してご挨拶と致します。
今日本当に有難うございました。
 
     2016年10月

      

 

 

2016 5.23メッセージ

第三次再審請求を申し立てて以来、今年で10年。此の間、私の無実性を示す証拠が沢山発掘、発見され、取り分け検察側から開示された事件発生当時の初動捜査時の捜索資料をはじめ、逮捕当日の上申書や取調べテープなど数々の物品等からみても、寺尾判決が有罪の証拠としたものが、警察当局に因って私を犯人に仕立て上げるために見繕った品々、ねつ造された証拠や虚偽の自白調書であることが判明しています。しかし、検察は証拠開示に応じず、司法の姿勢は硬直しているかの如く動かないことに、憤懣やる方ない思いであり、諸外国から見ても日本の司法権における独立という論理は一歩も二歩も後退しています。このように、検察が不誠実な態度をとり続ける中にあって、今年も私の不当逮捕53カ年糾弾、再審実現総決起集会が、各地に於いて沢山の人たちに参加して頂けているものと思われ、例年の事乍ら皆様方の心強い支援に対し、衷心より感謝の意を表すものであります。

のっけから泣き言めいた挨拶になりましたが、実際に寺尾判決やこれまでの棄却決定、あるいは他の冤罪事件の誤判を見るにつけ、公平であるべき筈の裁判官も、時の趨勢と先入意識に大きく左右され、警察、検察や、法務省との慣れ合いに因って行われているといっても過言でなく、従って現実を見詰めると、懐疑心は、排除出来ないだけに、支援者各位を前に警鐘を乱打せずにはいられないのです。

元より本来なら、「司法」というより機構に対して信頼と期待を寄せるべきなんでしょうけれども、残念乍ら、今の司法には全面的に胸襟を開ける程の信頼関係も期待も持てないのが実情乍らも、ただ一つ、今の私が救われるのは、そうした司法を変えようと皆様方の正義を求める力が微力な私の闘いに加護を与えて下さっていることであります。その意味で私の心は常に研ぎ澄まされ、絶える事無い不屈の闘志をもって司法に公正な裁判を求めて参られているといえましょう。どうか皆様も今後とも私の狭山再審闘争におけるご協力をはじめ、人権の尊重を基盤にして「差別と偏見」の克服に向けて連帯の輪を広げるために更なるご尽力を下さいますよう心から願っております。

最後にもう一度私の不退転の決意として、事実調べの実現を通して、再審開始、無罪判決という勝利の日まで、文字通りの「血の一滴」まで徹底的に闘い抜かんとする私の姿勢は不変であるということです。裁判所を人権を守るべき本来の姿に変えるのは部落の兄弟姉妹や、共闘の皆様方の力量次第であり、支援して下さる皆様方の運動を如何に盛り上げら
れるかに私の生死がかかっていることをご理解頂き、冤罪が晴れるまで力の限り声をあげ、支援の輪が拡大されますよう、お取り組み頂きたく、切にお願い申し上げ、何時に変わらぬ皆々様に、心から謝意を表して、私、石川一雄のご挨拶といたします。

       2016年5月

不当逮捕53カ年糾弾、再審実現総決起集会 ご参加ご一同様

                          石川 一雄

     

 

    新年のメッセージ

狭山支援者皆さんへ新年明けましておめでとうございます。
昨年は緊迫した状況下にあるということで、多大なご尽力を賜り誠にありがとうございました。弁護団や、支援者皆様方の「証拠開示を」の声に押され、無実を示す証拠や、証拠物のリストの開示に因って次々と私の無実が明らかにされてきたこともあって、裁判所も判断を下すのではないかと、支援者各位にも何時にも増してご支援をお願いして参りましたが、12月21日に行われた第26回三者協議においては、まだ証拠開示の課題の協議が継続となり、現在の植村裁判長のもとでおこなわれている三者協議において徹底した証拠開示と弁護団提出の新証拠の事実調べを実現すべく今年に望む私の意気込みと皆さんの変わらぬご支援を賜れますよう、一筆執らせていただいた次第であります。
私は決して焦りません。兎に角、検察に対し、徹底的に証拠開示を求めた上で、裁判長に決断を迫って参ります。ただ一言触れておきたいことは、狭山事件は再審請求が東京高裁に係属していることからいたしかたないのかもしれませんが、私自身は証拠物の一覧表の開示を促された河合裁判長がさらに証拠開示をすすめ事実調べに入る判断をされるものと思っておりましたのに、昨年6月末に交代されてしまったことです。しかし、あらたに就任された植村稔裁判長も証拠開示のこれまでの裁判所の考えを踏襲すると表明されているとのことですので、私も決意をあらたにしているところです。
新任の裁判長であれば、確定判決文は勿論の事、検察・弁護団の双方から出されている証拠や鑑定書等に十分に目を通して事実調べをおこなってもらいたいと強く望みます。いずれにせよ、私は、国家権力に対し、いかなることにも動じない姿勢で闘って参る所存です。
昨年は白内障の手術をし、支援者皆様方にはご心配をおかけしましたが、若干術後の経過が思わしくないだけで、体力的には取り立てて悪い所もなく、半世紀以上も闘ってきたのですから、警察・検察を含む国家権力が証拠開示を渋り、裁判の引き延ばしを図っているとすれば、それに負けない強い意志で対抗していきます。
暮れにはイギリスの雑誌「エコノミスト」の取材を受ける中で、記者が「えん罪や死刑制度の現実からは日本の司法は世界から見て一歩も二歩も後退していると思う」と言っておられましたが、それを変えるのが、吾々の闘いであり、狭山の冤罪が晴れれば、司法の在り方を根本的から変えなければなりませんし、その意味では、狭山裁判は試金石となり、その力量が問われていると、私は自分自身に言い聞かせ、不退転に闘って参る決意でおりますので、どうか皆さんも、私、石川一雄に最大限のお力添えを賜ります様、心からお願い申し上げます。
末尾になりましたが、皆さんにとって今年もご健勝と、ご活躍を念じつつ、私の年頭に当たってのご挨拶に代えて失礼いたします。

2016年1月
               石川 一雄

 

                                         10・31メッセージ

寺尾判決が如何に惨い仕打ちであったか、その後に影響し、再審も儘 ならないとあってみれば、尚更怒りが込み上げてき、寺尾判決こそ差 別と冤罪の元凶と罵りたい思いに駆られ、憤りを禁じ得ません。今日 も此処に各地から10.31寺尾不当判決41カ年糾弾決起集会にご参集頂い た皆さんに対し、心深く感謝を申し上げると共に、三者協議も大詰め を迎えていることもあり、皆さんのさらなるご支援をお願いすべくペン を走らせています。   そもそも10年に及んでの証人調べや、弁護団のご努力で、私の無実を 明らかにしたにも関わらず、真面目に検討すらせず、初めに結論あり きというまったく乱暴極まりない判決であったわけです。   闘いは長期化を呈している中で、2009年、門野裁判長が三者協議の必 要性と同時に8項目にわたって証拠開示勧告をしてくださったことを 知った時ほど心強く、自分の心も活性化し、更には、翌年5月、私が 逮捕された当日に書いた上申書が検察庁より開示された時、書かされ たことすら覚えていなかった私にとって、驚きと同時に「今度こそ」 の高揚感がありました。検察庁が47年間も隠さねばならなかった訳は、 脅迫状の字と異筆であったからで、私は、これで再審開始になるもの と確信的に思ったのも事実です。   当時、厳しい部落差別の現実の中で教育を奪われ、私と同じような環 境に育った多くの人が、書くことに大変な重圧を感じておられた筈で す。書くということの精神的な負担は、必要な教育を受けてきた人に は想像もつかないほど大きく、従って仮に他人に何かを伝えようとす る時は、直接言うか、電話で済ます筈だからです。   況ましてや自分の気持ちや、意志を文字で表現しようなんて、考えも 及ばないし、第一文字を知らない人が「脅迫状」を書くなんて頭の片 隅にもないはずです。そういう意味で私の上申書と脅迫状を比較すれ ば、異筆であることは一目瞭然です。ですからこそ、最早もはや、事 実を客観的に解明するには再審を開始し、法廷の場で明らかにするよ う皆さん方に声を裁判所に届けて頂きたいのであります。   特に犯人であれば、当然についている筈の私の指紋が、脅迫状をはじ めどの証拠物にも着いていないことに対して、誰でもが抱く合理的な 疑問も指摘し、これらの点も徹底的に究明することも完全無罪を勝ち 取る意味において重要かと存じます。   法と正義、人権を守るべき立場にある裁判所であってみれば、私の訴 えを真摯に受け止め、弁護団より提出された証拠物など精査され、一 日も早く私を自由の身にさせて頂きたく願うばかりであります。   この第三次再審で決着できますよう更なるご協力を下さいますよう心 からお願い申し上げるとともに、石川一雄の不退転の決意と皆々様に 衷心より謝意を表してご挨拶に代えさせて頂きます。本日は本当に ありがとうございました。     

2015年10月31日   寺尾不当判決41カ年糾弾・狭山再審要求集会参加者ご一同 様                       石 川 一 雄

                   5・23 メッセージ

不当逮捕52ヵ年糾弾、再審実現決起集会にご参集を頂いた全ての皆様に心深く感謝いたします。
 振り返ると52年といえば、事件発生時に生まれたお子さんが52才であり、半世紀以上も経てば狭山事件の現実を知らない人が多くて当たり前であるとはいうものの、此の間の私は「殺人犯」のレッテルを貼られ、無実を訴え続けているわけですが、二審・寺尾の確定判決から40年以上が過ぎた今、闘いも大きく前進しています。
 取り分け、2009年、東京高裁・門野裁判長の証拠開示勧告以来、検察から開示された証拠はすべて私の無実、或いは警察当局に因っての捏造や、改ざんが疑われるなど、真摯に精査すれば、確定判決の誤謬が裁判官自身にも十分にわかるはずです。22回も三者協議を重ねても、未だ結論を出せない司法に対し、不信の念を禁じ得ませんが、河合裁判長が必ずや英断をされることを確信しています。
 ご承知の通り、再審裁判の開始は「新証拠が発見されたとき」に実現します。この間の再審事件を見れば、現在の裁判所は、真相を究明し、積極的に無辜の救済をしようとする姿勢を感じ取れないのが残念でなりません。もっともだからこそ、どれ程の新証拠が発見されようとも、危機感があればこそ、私は皆さんにもっと多くの声を裁判所に届けて頂きたく、精力的に全国各地に訴え、お願いに回っている訳です。
 第三次再審こそ絶対に無罪を勝ち取らねばなりませんし、今こそチャンスなので、どうか皆さんも一層のご協力を下さいます様、心からお願い申し上げます。
 何とか今年中に事実調べ、再審開始決定が出されるようにと願っていますし、そのためにも私は悔いを残さぬよう、今後も汗をかき、全身全霊をかけて闘い続けて参る決意でいます。
 皆様と共に一日も早く狭山の「よき日」を迎え、喜びを共有したいと念じつつ・・・・

 2015年5月

石川 一雄

不当逮捕52ヵ年糾弾

 

 

                2015年 年頭にあたって

 

 狭山再審支援運動にご協力下さっておられる全国の皆さんへ謹んで新春のお喜び申し上げます。
新年のご挨拶を書くに当たり、もう何年も「今年こそ」と言い続け、檄をとばす一方、緊迫した状況下にあって、多大なるご尽力を賜って参りましたのに、昨年も進展なく、またもや裏切ってしまい、大変申し訳ないという気持ちが先に立ち、ペンを重くさせています。
 従って再度「今年こそ」と述べることに躊躇し、今年のメッセージは、私の決意を含め、支援要請のお願いは止めようかと思った次第です。
 元より弁護団のご尽力、そして支援者皆さんの証拠開示、事実調べを行えの声もあって、これまで160点余りの証拠開示と、それによって明らかになった無実を明らかにする証拠が130点以上も弁護団より提出されていまが、検察官の不当な証拠隠しは続いています。あとは、裁判官の決断如何にかかってはいるものの、20回の三者協議を重ねて参りましたが、未だ、事実調べ、再審開始決定の結論が出ないまま、52回も越年し、2015年に突入して第一歩を踏み出さざるをえなくなったことは、残念でなりません。
 しかし、何があっても逃げることはできませんし、冤罪を晴らすまでは、とことん闘って参る以外にございません。
 どうか皆さんも今年も昨年同様に温かく、そして厳しく見守って下さいますよう心からお願い申し上げます。
 末尾になりましたが、皆さんにとって今年もご健勝であられますよう、狭山の地からお祈りしつつ。

2015年1月

石川 一雄

 

10.31メッセージ

 

寺尾不当判決40カ年糾弾集会にご参加頂いた皆様へお礼の意をお伝えすべく今ペンを走らせているところですが、私の決意に先立って支援者皆様にご理解を頂きたいことは、今日のメッセージは近く行われる第20回三者協議の前であるということであります。
 思えば40年前の今日の判決は、弁護団や、私を含め、誰しも無罪判決が出されるであろうと期待し、私も勇んで判決に臨んだ次第でしたが、見事に裏切られ、それが結果的に長期の闘いとなり、現在に至っているものの、皆様もご承知の通り、第三次再審闘争も大詰めを迎えている中で、筆跡鑑定など数多くの私の無実を証明する証拠が提出され、然も、事件当時とは格段に進歩した科学的鑑定技術による鑑定も出されていることから、今度こそ河合裁判長の下で鑑定人尋問をはじめ、現場検証を行わせて、寺尾に()る「確定」判決の誤りを認めさせねばなりません。
 元より刑事訴訟法4356号には無罪を言い渡すべき明らかな新証拠が必要とされていることは私も承知していますが、前述の様に検察から開示された証拠は、少量ながらも、其れらに基づいて弁護団から出された新証拠は「再審開始」の要件を十分に満たすものであり、河合裁判長が真摯に精査すれば、最早「事実調べ」を回避出来ないまでに追い詰めていると確信しております。
 当然の事乍ら、寺尾判決の二の舞を踏むまいと厳しい姿勢で臨んでいますが、袴田事件や、布川事件のように、主要な再審裁判では、証拠開示に因って無実を明らかにする新証拠が出され、この証拠に基づいて再審開始が実現したとあってみれば、狭山事件でも検察当局が今も頑なに証拠開示を拒み続けているとはいえ、未開示証拠が膨大に存在することを検察自身が認めているので、大衆的世論の大きな声を巻き起こして、確定判決を覆す重要な証拠を出させるよう皆様にさらなるお力添えを頂きたいのであります。
 ()してや、膨大な未開示証拠が検察庁の倉庫に眠ったままでは、新証拠発見を理由とする再審が成り立ちません。従って、検察に対し、「無辜の救済」の再審理念に立ち、ただちに証拠開示を強く求める運動を展開して頂きたいのです。
 国連・国際人権規約委員会の証拠開示勧告に対する日本政府の見解では「…裁判所は被疑者・被告人の防御のための重要性を考慮し、証拠の開示命令を発することができるとされており、このような開示命令が発せられた場合には、検察官は裁判所の開示命令に従って開示しているのが日常です・・・・・」と述べていたのであり、当然検察庁も建前では「裁判所からの命令があれば開示する」との見解乍らも、そのようになっていないのが現実です。証拠物等は、公費で、公的機関に因って収集されたのであってみれば、国連からも勧告されているように、本来は公的財産であり、検察の独占物ではない筈です。にもかかわらず、「…プライバシー保護」等を盾に開示を拒んでいる理不尽極まりない検察を弾劾しなければなりません。
 何れにせよ、私の狭山再審闘争の完全勝利は、より多くの新証拠の発掘如何にかかっており、私も今後とも粘り強く全証拠開示や、証拠リスト開示を求めて参る所存です。それが結果的に完全無罪に直結するのであってみれば、尚更検察庁による差別的な証拠の不開示護持を絶対に許すことなく、飽く迄も正論を貫き、本審の第三次再審実現、無罪獲得をめざし奮闘して参ります。
 皆様方も第三次再審で決着できますよう更なるご協力を下さいますよう心からお願い申し上げます。
 それでは少し長くなりましたが、前述の通り、私、石川一雄の不退転の決意と皆々様に衷心より謝意を表してご挨拶に代えさせて頂きます。

本日は本当にありがとうございました。 

2014年10月

石川 一雄

 

     2014.5.23アピール

冤罪が晴れないまま51年を迎えてしまい、然も昨年中には必ず再審が開始される筈と確信的な思いをメッセージに込めたのに、勝利処か再審開始の目処も立てられず、支援者各位を裏切ってしまったように思われ、大変申し訳ない気持ちで一杯です。
 恐らく今日の不当逮捕糾弾51ヶ年決起集会にご参集された皆様も複雑な思いで参加された筈であり、それだけに私のペンも重く感じ、何をどう述べるべきか言葉が見つかりません。元より一つには裁判官が代わったことも起因しているとしても、他の再審裁判では次々に再審無罪や、開始決定が出されている中、狭山だけがなかなか進まず、本審を申し立てて8年が経過しようとしているのに、未だ先の見通しも立てられず、焦らずにはおれません。
 皆様もご承知の通り、第三次再審からの8年間だけでも無実を明らかにする決定的な証拠も提出されているのに、私には刑事裁判の鉄則が適用されないのかと、その様に考えてしまいます。法と正義を守るべき裁判所が「公正な裁判を受ける憲法上の権利」を奪う筈はないと信じつつ、毎日のように全国各地へ支援、要請のお願いに回っていても、胸中は複雑です。
 言及するまでもなく、再審制度は「公正な裁判を受ける被告人の憲法上の権利に基礎を持ち、無辜の救済を目的とする人権擁護のための権利」という立場の上に成り立ち、そして「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるものと「解すべき」という白鳥決定など、過去の再審裁判の判例を尊重する立場に立つならば、必然的に事実調べを行うという結論に達する筈なのに、未だに再審開始決定を出すことなく、時間だけがずるずると過ぎていきます。
 6月には18回目の三者協議が予定されていますが、弁護団の努力の結果、寺尾の「確定有罪判決」の根拠として指摘された「物証」については悉く崩れています。従って当然にも事実調べを行えば寺尾「確定」判決、警察に因ってデッチあげられた「自白」の全てが崩壊し、警察・検察、裁判所が一体となって無実の部落民である私を犯人に仕立て上げたばかりか、一旦は「死地」に追い込み「抹殺」しようとした事実を全国民の前に明らかにさせねばなりません。その為には、皆様方のご協力は不可欠であり、声を大に訴えずにはいられません。
 3月には静岡地裁で「袴田事件」の再審開始決定が出されました。検察の即時抗告によって、現在東京高裁で審理中でありますが、「証拠捏造の疑い」とまで言い切った地裁決定は覆ることはないと信じています。袴田事件は、600点の証拠開示がされ、そのことが再審開始への道を拓きました。狭山事件もこれ以上の証拠隠しは許されないことです。
 「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」も全国で上映され、大きな反響を呼んでいます。私にとって今が最大で最後のチャンスであるので、皆様方の可能な限りのお力添えを賜りますよう切にお願い申し上げます。
 簡単ですが、支援のお願いと常日頃のご尽力に心深く感謝の意を表して私・石川一雄の挨拶と致します。有難うございました。

石川 一雄

不当逮捕51ヶ年糾弾・再審闘争勝利決起集会ご一同様

 

 

 

2014年新年アピール

謹んで新春のお喜び申し上げます。

 

例年の事乍ら昨年も全国の狭山支援者の皆々様には何かとご尽力を賜り、誠に有難うございました。一年の計は元旦に有りと言われているので、夫々皆様は心に秘めて新年の第一歩を踏み出されたことと思われますが、私自身昨年は、無罪判決まで漕ぎ着くには無理としても、再審開始決定は勝ち取れるものと確信のもと、全国各地へ支援・要請のお願いに精力的に取り組んで参っただけに、期待に反し、今年に持ち越してしまったことは、私は兎も角、支援して下さる皆様に対し、大変申し訳ない気持ちで一杯です。とはいえ、昨年は事件発生から50年という節目の年であり、マスコミ各社が独自の視点で物的証拠の不自然さや、検察の証拠隠しの不正義を報道して下さいました。

 

一方、弁護団や、支援者の皆さんの証拠開示要請に、50年近く経って検察から開示された「手拭い」関係の証拠についての「改ざん」も明らかになりました。

 

第三次再審請求も申し立から八年目に突入し、此の間裁判長も5人変わりましたが、弁護団から裁判所に提出された無実を明らかにする新証拠などを鑑みれば、いよいよ大詰めを迎えた感が強く、一月に開かれる三者協議、今後の新証拠提出と検察・弁護側双方の意見書の提出をふまえて、次の段階では事実調べの「有無」の判断が出される公算が大と推測されるだけに、今が如何に重大な時期にあるかを、皆々様にもご理解して頂き、今迄以上のご支援を賜りたく、声を大にして訴え、お願いするものであります。

 

現在、私の置かれている立場上、過去の事を悔やめば指弾されそうですが、例えば、第二次再審段階までにおいて、「脅迫状」の「少時」の文字は万年筆で書かれたのか、ボールペンなのか科学的裏付け=事実調べの必要性を世論に訴えながらもっと強く迫るべきでした。第三次再審請求において、弁護団は封筒の科学的な分析の鑑定嘱託を申し立てており、今後強く訴えていきたいと思います。

 

いずれにしても、弁護団の血のにじむようなご努力で、昨年だけでも寺尾裁判長の「確定判決」を完全に覆す「手拭い」関係などの決定的な無実の新証拠が出され、「自白」の虚偽が明らかにされています。

 

昨年ドキュメンタリ映画「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」も完成し、今各地で上映されていますが、大変好評で上映後に多くの人から「応援する」「上映活動をしたい」との声も届けられ、狭山を多くの人に知って頂くことを願っている私たちにとって、元気も希望も頂いています。

 

また、高裁前アピール行動も第16次となり、裁判所前でのアピール行動では手作りの幟旗、パネル等を作って下さったり、フェイスブックや、ネットで知ったという人たちも応援に駆け付けてくださり、新しい動きと波も起きています。

 

楽観はできないまでも、確実に狭山の闘いは新しいうねりの中にあります。今年こそ再審を実現させるとともに、無罪判決を勝ち取る日まで不屈に闘って参る決意です。

 

どうか皆様も前述のように切迫した状況下にありますので、さらなるご協力を下さいます様、心からお願い申し上げます。

 

今年も皆様にとって佳き年でありますように念じつつ・・・。

 

  2014年1月1日

 

 

 

 

 

2013.10.31アピール

 

39年前の今日は寺尾不当判決が下された日に伴い、各地で糾弾集会が開かれるとのことで、決起下さった皆々様に一言でも感謝の意を表せたらとペンを 執ったものの、再審裁判の方も自分の描いた通りことが進まず、再審が実現したとしても来春に持ち越される公算が大であってみれば、支援を賜る皆様 に大変申し訳なく思います。皆様方には大きなお力添えを頂きながら、なかなか進まないと感じておられるのではと思うと、本当に済まなく、アピールを書く私のペンも重く感じられます。

しかし、腕時計のバンド穴の新証拠にひきつづいて、先般も、犯行に使われた手拭いが我が家の手拭いではなく、私を冤罪におとしいれるためになされ た捜査であったことを示す新証拠が証拠開示によって明らかになり、東京高裁に提出されましたし、殺害方法が自白とは異なるという法医学者の鑑定書も出されたところです。寺尾判決以来39年間も事実調べがまったくおこなわれていないという不当性を強く訴えてまいりたいと思います。

先日の三者協議でも、弁護団は、手拭い関係や筆跡資料などについて、強く証拠開示をせまったそうであり、検察官がおうじないために、つぎの三者協議に継続となってしまいましたが、今後の闘い如何で、残された証拠の開示は実現するものと確信しております。 

年明けに予定されている次回の三者協議で、裁判官の決断如何に因っては、事実調べに踏み込む公算も零ではないのですが、現時点では兎も角、楽観することなく、再審開始の実現を目指し、全身全霊を傾注して東京高裁前での訴えや支援の要請を展開して参る所存です。 

特に「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」の映画も完成し、好評であってみれば尚更私の置かれている立場を知って頂く意味でも全国各地で上 映運動にも力を注いでいかねばと思っています。冤罪を晴らす闘いも今が大きな山場であり、来春にも何らかの決定がでるのではという状況にありますので、支援者皆様にもまだまだご迷惑、ご協力を賜らねばなりません。 

元より私たち夫婦も例年にも増して、第三次再審請求で決着をつけるべく、全力で取り組んでまいりますので、どうか皆様も三次再審への道が拓かれま すよう可能な限りご協力下さいますように切に願い、簡単ですが、右私の不退転の決意と皆様に対し常日頃のご尽力と今日の集会に決起下さったことに対し心から感謝し、私のメッセージとさせて頂きます。 

 2013年10月31日

                           石川 一雄

 

50年目の決意 5.23メッセージ


 別件不当逮捕50年に当たり、全国各地で糾弾集会を設け、今日も多数の方々が決起集会にご参加下さったものと思われ、常日頃からのご支援、ご尽力に一言お礼の意を表せたらと、一筆執らせて頂きました。
 半世紀を経ても再審実現が適わぬ事に無念、遣る瀬無い思いは禁じ得ません。
 皆様もご承知の様に、今月8日、第13回目の三者協議が行われました。今回は裁判官、検察官全員が交代した関係で、私自身も一抹の不安を覚えましたが、河合裁判長は、証拠開示について、これまでの姿勢を踏襲するとしたうえで、弁護団が求めている証拠開示についても、検察に「柔軟に対応するように」と促したそうですが、門野裁判長が開示勧告した「ルミノール反応検査」の有無、並びに1963年7月4日付の雑木林を撮影した「8ミルフイルム」の開示については埒があきそうもありません。ただこれによって「殺害現場」を裏付ける証拠は何もないことが明らかになりましたし、「犯行現場」を特定するための捜査書類や、門野勧告でも重視された「死体に関する写真」はある筈なので、特にこの点を強調、請求する価値があると存じます。
 また、弁護団はつぎつぎ開示された証拠を精査し、未開示の証拠物や犯行に使われた手拭いの捜査資料など、さらに隠された証拠の開示を求めているところです。
 元より証拠の力で裁判を動かすという弁護団の戦術を貫くためには、例え検察当局が飽く迄も「ルミノール反応検査」や「8ミリフイルム」を不見当として、その存在を否定し続けたとしても、それに怯むことなく追求すべきであろうし、何よりも公平で公正な裁判を求めるために皆様方からご協力頂いた100万筆を超える署名が「水泡に帰する」ことのないように活動を展開していく必要があることは、今更申し述べるまでもありません。
 思い返せば、今までの裁判は確定判決以降、38年間に及び一度たりとも事実調べをせず、書面審理のみで一方的に有罪判決をしてきたのです。言及するまでもなく、刑事事件である以上、刑事裁判が事案の真相究明をする、いわゆる実体的真実主義と、此れに対する刑罰法令の適用実現を目的としていることは、申し述べるまでもなく、そうであれば、本件自白は、逮捕状を請求するだけの物的証拠も存在しなかったにも関わらず、軽微な別件で逮捕拘留し、その間の身柄拘束を利用して本罪を取り調べたものであり、従って本件狭山事件に関する自白の強要は、此の再逮捕、拘留に因る精神的・肉体的打撃の結果であり、この違法拘束に引き続き、法の拘留に関する規定から逸脱しているとあってみれば、憲法第31条、33条、34条、刑事訴訟法205条に違反する不当な逮捕・再逮捕を論説し、糾弾する必要があろうかと存じます。皆様にもこのことを重視し世論喚起に努めて頂きたく切に願っております。
 何れにせよ、再審開始への道筋も見えてきたとはいえ、まだまだ皆様の更なるご支援は不可欠であり、これからも多くのご支援を賜らねばなりませんが、7月に予定の三者協議までには無理でも、何としても今年中には「事実調べ」の方向性が附けられるように、私も精いっぱい活動を展開して参る所存ですので何卒皆様方も、今年中に勝利の目処が立てられるよう一層のお力添えを賜りたく心からお願い申し上げて、不当逮捕50年に当たり、私の決意と皆々様のご支援に対し、感謝の気持ちに代えて失礼いたします。
   2013年5月23日

不当逮捕50年糾弾、再審実現決起集会ご参加ご一同様

 

 

                     2013年新年のアピール

私たちは新年を迎えても特別に意識することなく、ただ只管(ひたすら)に冤罪を晴らす為の活動を展開する中で、むしろ皆さん方の今後において、私石川一雄に対する支援活動にどう関わって頂けるのか、その方が気掛かりでなりませんが、取り敢えず新しい年の第一歩を踏み出すに当たり、皆さんに心から新年のおよろこびを申し上げます。
 昨年の年頭の挨拶の中では、「・・・今年が最大な山場」であり、私の「生死を決する年になる」と檄をとばした関係で支援者各位からも多大なご尽力を賜りましたのに、「勝利」はおろか、「再審」の目処も立てられないまま、2013年を迎えて終ったことを大変申し訳なく、済まない気持ちで一杯です。然しながら、弁護団の話によると、今月に予定される第12回の三者協議を受けて、3月頃には補充書、鑑定書が出された後は、いつ裁判所が結論を出してくるかという切迫した状況になります。そのような中で、少なくとも裁判所から勧告されたものの、未だ開示されていない残りの三項目の証拠を出させる活動を皆さん方に切にお願いする次第であります。
 これまでの再審裁判で冤罪が晴れた事件は、みな一様に検察の証拠開示に因るものであります。従って確定判決を覆す重要な証拠は検察の保管庫に眠っており、然も、膨大な未開示証拠の存在を認めながら、職責を全うしない検察側の対応を厳しく糾弾しなければなりません。ご承知の様に再審裁判では新証拠が発見された時に「実現」されるとあってみれば、尚更検察官は「無辜の救済」の再審の理念にたち、直ちに証拠を開示し、「白」「黒」をつける措置を講ずるべきでありましょう。以前、検察担当官は、「手元に証拠を集め、整理すると分量として積み上げれば2〜3メートルになる」と弁護団との折衝の場で回答し、未開示証拠の存在を認めていたので、皆さん方の「証拠開示せよ」「不正義は許されない」の声を検察庁に届け、何としても開示させて頂きたく願っております。
 私も3年ほど前に、ジュネーブにある国連・規約人権委員会委員に検察側の証拠不開示について訴えてきました。委員からは再三に渡って、日本政府に対し、強く証拠開示するよう勧告されています。そもそも検察に有る証拠は公費で公的機関に因って収集された物でありますから、本来は公的財産であり、弁護側に開示されて然るべき物です。新証拠が必要とされる再審にあって、請求人の私に当然開示すべき物である筈です。にも関わらず「プライバシー保護」等を理由に開示しない訳ですが、「プライバシー」を問題にするのなら、事件当時、被差別部落に対する差別的集中見込み捜査を行い、どれほど被差別部落の人たちの人生を踏みにじったかを先ず明らかにすべきですし、そのためにも検察は全証拠を開示し、捜査過程を全て明らかにすべきです。重大な事実の隠蔽行為が国民に知れることを恐れ、証拠開示出来ないのではないか、と指弾せずにはおれません。
「真実と正義は必ず勝つ」と信じ、声をあげてからやがて半世紀が経とうとしている現在、今度こそ裁判官は、私の訴えに耳を傾け、真摯に向き合って頂けるものと信じて居り、取り分け、私が書いた逮捕当日の「上申書」が証拠開示によって日の目を見、「筆跡の不一致」の鑑定書も提出されたことで、私にとっては、確定判決の事実認定が覆る程の新証拠として、裁判官が認めて下さると信じて疑いません。
 また今後も「犯行現場」に関する捜査書類をはじめ、ルミノール反応検査報告書、証拠の標目を記載した証拠リストなど、未開示証拠類の開示を重ねて請求して参る所存です。中でも、真実の全容が明らかにされるであろう、逮捕当日から否認し続けた間に「脅迫状」を見ながら書き写した練習用紙を開示して頂ければ、当時私が如何に無学であり、文字が書き得なかったこと、また、捜査当局の不正義が明らかになるであろうことなど裁判官に解って頂けると思いながら、その開示も積極的に求める訴えを続けていくつもりです。
 検察官は弁護団からの証拠開示請求に対し「どんな証拠か個別に特定するよう」求め、開示の必要がないとして開示拒否をしているようですが、弁護人には証拠リストすら出さず、検察手持ちの証拠が解らないからこそ全証拠の開示を求めるのであって、「特定」の仕様もないのです。故に支援者皆さんからも再度裁判官に「証拠開示を受ける機会を保障」するよう声を大にあげて頂きたいのです。
 私の完全無罪への核心は証拠を開示させる一点につきるので、このことをご理解の上行動を起こして頂きたく、心からお願いし、年頭に当たり私の不退転の決意と皆さんの更なるご協力を切望して失礼いたします。
 皆さんにとりまして今年もよき一年になりますよう念じつつ。

2013年1月1日

                            石川 一雄

10.31 石川一雄 メッセージ

今年の夏は長く熱く厳しいように感じられた中で、私は例年、現地事務所で書き物をし、蚊に悩まされたものでしたが、狭山に限って申しますと今年の夏は殆どと言っても過言でないくらい蚊に刺されることなく書き物に没頭できました。それは多分雨量が少なく、ぼうふらが湧く場所が少なかったことに起因していたんではなかろうかと思います。皆さん方にはこの長い酷暑を元気に乗り越えられたでしょうか?
 前置きが長くなりましたが、38年前の「寺尾不当判決」に対し、再審を訴えて決起下さった皆さん、本当に有難うございます。
 寺尾判決の日は誰しも「無罪」を確信していた筈なのに、どんでん返し的な「有罪」判決に私や弁護団の憤りは今も言葉に表すことができません。また支援者たちが激しく抗議行動を展開された旨拘置所で伺いましたが、これは「寺尾なら大丈夫」の楽観が招いたものであると自分を戒め、以後38年間、不撓不屈の精神で闘って参りました。そして今は私の狭山再審闘争を基盤とし「えん罪の防止、差別と偏見の克服」に向けた連帯の輪を広め、力強く踏み出していることに誠に心強く、限りない感謝の念で一杯です。
 すでに三者協議も11回を終え、その報告は「解放新聞」既報の通りであり、いよいよ大詰めの段階を迎えています。来年は狭山事件発生から50年であり、私自身は不当逮捕された5月頃には「事実調べ」「再審開始」の実現を目指して連日のように全国各地へ、支援要請のお願いや、裁判所前のアピール行動など、訴え活動を展開している次第であります。
 しかしながら、2009年12月、門野裁判長の出した8項目の証拠開示勧告に対しても、未だに、肝心要の3項目の証拠を開示しようとしない検察に対し、満腔の怒りを禁じえません。私自身もせめて勧告された証拠を出させることに重点を置き活動を続けていますが、弁護団、部落解放同盟を中心に、全国の住民の会・市民の会、労働組合、宗教者の皆さんの真実を希う真摯なご尽力のお陰で、この2〜3年の間、着実に実を結んでいます。また、公平で公正な裁判、事実調べ・再審開始を求める百万筆を超える署名、公正な裁判(→証拠開示の法制化)を求める請願署名など様々な闘いが世論の声として裁判所に届いています。これも偏に皆さん方各位のご支援、ご協力とその結集した力の及ぼす影響力の大きさであり、今更ながら心から感謝を申し上げます。
 皆さんもご承知の通り、47年間も隠し続けていた、私が逮捕当日に書いた上申書が開示されたことで、鑑定して頂いた結果、脅迫状とは異筆であることが証明されました。私は犯人でありませんから、当然のことながら、それ以外にも裁判所に提出されている全ての証拠についても私の犯罪行為を証明出来得る物証は何一つ存在しないし、加えて今後さらに弁護団から無実を示す新証拠、鑑定書が提出される予定です。
 ただ一方において、依然として予断を許せないのは「脅迫状」や「法医学」鑑定に関して検察側も鑑定書を出されたようであり、中でも検察は再審開始に必要な「明白性については確定判決を崩すほどの強烈な衝撃力を有しない」と弁護団の主張する論点に反動姿勢を露骨に現してきていることからも伺えるように、いよいよ再審闘争も最終段階に突入したものと捉え、支援者皆さん方に警鐘を乱打せずにはおられません、何よりも寺尾判決の二の舞を踏んではならないと私は自分自身に言い聞かせ、現在の担当裁判官が「再審開始決定」を出すまでは、「寺尾判決」を肝に銘じて、えん罪が晴れるまでとことん闘い抜く決意でおります。従って此の様に狭山再審闘争が深まりゆき、検察当局との対峙を回避して、狭山闘争の歴史的勝利はありえませんので、皆さん方に最後のお願いとして、断固勝利に向かって追撃し抜く態勢を戦闘的に打ち固めるご支援を賜りたいのであります。
 以上が私の決意と支援者皆さま方へのお願いでありますが、ご多忙の中を本集会にご参集下さり、誠にありがとうございました。季節の変わり目は体調を崩しやすいので、十二分にお気をつけください。
 今後のご活躍を念じつつ     

                             2012年10月31日

 

5・23メッセージ

不当逮捕49年に至って全国の支援者の皆さんにメッセージをお送りいたします。年頭の挨拶では今年中に「再審」実現の「勝利の年に」と記し、又その積もりで全精力を傾注し闘って参りましたが、先の10回目の三者協議に於いて、検察は19点の証拠は開示したものの、求めていた肝心な証拠は開示せず、然も有るべき筈の「血痕反応検査」の報告書や、犯行現場とされる8ミリフイルムなども「不見当」との回答をくりかえしています。私が無実を訴えたのは、「死刑」判決後、半年位であり、本来なら、その様な重要な証拠は保全してしかるべきなのに、私が東京高裁で「無実」を訴えたことに因って、保管しておくことに危機感を覚え、その時点で「廃棄」処分にして終ったのではないかと思わざるをえません。しかし、2009年の門野裁判長の勧告は、「存在しないならその理由の説明をしなさい」と踏み込んで迫ったはずであり、検察側はそれに対していまだ明確な回答をしていません。弁護団は、検察側が提出してきた意見書に反論する専門家の意見書を提出するとのことであり、10月に予定されている11回目の三者協議を待たなければなりませんが、それによって今後の展開は来春に持ち越されることも考えられます。
 これまで8項目の開示勧告の内5項目、50数点について証拠開示がされましたが、肝心の3項目については、何度迫っても「ない」の一点張りなので、今後も「ない」理由の説明や、弁護団の求める他の証拠開示も求めていきます。
 考えてみれば「殺害現場」が特定されないまま「有罪」が認定されていることになり、それらを究明するのが裁判所の職務の筈であります。また、あれ程沢山の無実を示す証拠が提出されているにも関わらず、「事実調べ」しないなど、「狭山事件」は、稀なだけでなく不公平な裁判経過といえるのではないでしょうか。「殺害現場」を裏付ける客観的証拠が「ない」ということ自体が私の無実を明らかにしていることを証明していると思われます。法廷を開き、事件当日、「犯行現場」の至近距離にいた農作業者をはじめ、「証人」尋問をすれば「白、黒」の決着をつけられるのにと裁判所の姿勢に問題を投げかけずにはおれません。私、石川一雄の心は閉ざされたまま50年、半世紀を迎えるのが濃厚な現実に直面し、心に重く感じるのは否定しませんが、これからも「無罪」の二文字を勝ち取るまでは不退転に闘って参る所存です。支援者皆さんには、何時も私を支えて頂いており、感謝しつつも、この第三次再審で決着をつけるためにも更なるご協力が不可欠ですので、なにとぞ何時にも増して後押しをしてくださいますよう、心からお願い申し上げて、不当逮捕49年に当たり、私の決意と皆さん方のご理解の上、一刻も早く潔白の「よき日」を迎えられますようお力添えを再度お願いして失礼いたします。

2012年5月23日

 



                       謹んで新春のお喜び申し上げます。

全国の狭山支援運動に於いて、昨年も多くのご協力を賜り誠にありがとうございました。昨年を振り返ると3月の東日本大震災、東電の原発事故など大きな災害があり、今私はそれらの出来事を思い返しながら年頭に当たり、私の決意・抱負と、支援者各位に今年こそ勝負の年になる気配から一層のご尽力を切望したい気持ちでペンを執った次第です。

私自身は昨年中に「えん罪を晴らすんだ」との強い考えで、少なくとも「事実調べ」「再審開始」が実現できるのではとの予測の下で全国各地に「真相」と私が置かれている立場のご理解を求めて「支援」のお願いに精力的に取り組んで参りました。中でも昨年は特に多忙を極め、「教育関係」「宗教関係」の学習会は取り分け多く持って頂けた様に思いました。其れだけになんとしても皆さん方の応援を無に帰すまいと訴えにも熱が入り、切磋琢磨に明け暮れた1年間でしたが、私の力及ばず、「勝利の目処」も立てられない儘、新しい年に突入して終い、全国の支援者に大変申し訳なく思っています。

しかし、2009年12月の門野裁判長の証拠開示勧告から数十点の証拠開示がされた上、昨年5月就任の小川裁判長も証拠開示に積極的な姿勢であり、確定判決で有罪の大きな根拠となった「秘密の暴露」といわれている物証の「カバン、腕時計、万年筆」の捜査資料や、供述調書などの提出を検察に対し促したところ、昨年12月の9回目の三者協議に於いて14点の証拠開示がありました。これらは弁護団の努力や、支援者の皆さんのこれまでのさまざまな闘いの成果であり、狭山の闘いはゆっくりではあるけれど、確実に前進しています。

然しながら、一方に於いて検察側は「殺害現場」とされた雑木林での「ルミノール反応」検査報告書や、同所で撮影された筈の「8ミリフィルム」、死体の「写真」やスコップの指紋検査報告書など、相変わらず「不見当」の回答で逃げ切ろうとしております。「公益の代表者」としてこれらのことは許されるべきでなく、弾劾されなければなりません。

支援者皆さん方もご承知の様に、弁護団は第一次再審請求審以来、今日まで検察官手持ちの証拠の全面開示を求め、交渉を積み重ねて参りましたが、2009年の門野裁判長の証拠開示勧告に因って、やっと現在の流れに引き継がれてはいるものの、検察の姿勢は不十分であり、不正義です。刑事裁判の再審に於いては「新しい証拠」の発見が前提条件になっているのに、検察官が膨大な資料等、警察・検察の強権的、強制的な捜査で収集した物証を手元に置き、且つ自分たちの不都合、不利益と思われる証拠は隠して出さない訳で、これでは弁護団はとても太刀打ち出来ないのが現実であります。検察官の姿勢を例えていえば、涸れた井戸を大衆の力で掘って、水が出た途端、検察官だけが独占してしまうようなものです。

それでも弁護団は地道に努力を重ね、運動の力とあわせ裁判官を動かせたので、この流れを変えたり、止めたりしないように今後とも更に皆さん方のお力添えを心から願うばかりです。

今狭山裁判は台風の目の中にどっぷりと居座っている感がありますが、恐らく狭山再審が動けば、他のえん罪事件への波及効果のみならず、取調べの可視化、証拠開示の法制化等の必要性も強く求められるでありましょう。「急がば回れ」の格言もあり、大地に根を張っては困るけれど、着実に確実に一歩一歩足を進めていることは確かですが、然しながら、半世紀に近い足取りでは、あまりにも遅すぎないかと自問自答します。

昨年は東京高等裁判所前で何十回もマイク情宣を行い、その都度支援者に多くのサポートを頂き、マイクを通して「・・・刑事裁判の鉄則を踏まえた再審開始を求めます」の声に歩道を歩く人々が足を止めて聞き入り、また「公平・公正」な裁判を求める署名用紙に積極的に応じ、或はビラを読んでから署名してくださったりと、様々な人の善意、正義感に直接触れ、感謝感激で目頭が熱くなるのを禁じえないことも再三でした。

この様に多くの人たちが関心を寄せて下さる一方、現在も憲法の精神を無視し、自白を強要したり、証拠の隠蔽、捏造をし、犯人に仕立て上げる事件が相次いでいることは最近の報道でも明らかで、現在に至っても、えん罪事件が後を絶たない根本は、人権蹂躙の犯罪行為を擁護する検察庁、法務省の体質にあります。警察、検察の持つ捜査権力は絶大であり、検察が見繕った証拠に因って裁判官は真実を見誤り、誤判、えん罪が生まれます。真実を明らかにし、警察、検察の犯罪行為を明らかにするためには「法廷」の場以外にはないので、なんとしても狭山事件の法廷を開かせるべく私自身精一杯努力をして参る決意です。

昨年5月、布川事件が「再審無罪判決」を勝ち取りました。今年は狭山事件が大きく前進し、再審開始の年になりますよう、どうか皆さん方も検察に対し、真実発見の見地、ならびに公益という観点から積極的に証拠の開示を求めると共に、裁判所には大局的、総合的な判断をすれば最早一刻も早く「再審開始決定」を出すべきだと強く求めて下さるよう心からお願い申し上げます。

長文化しましたが、私の今年に懸ける意気込みと支援者皆さん方のさらなるご協力を切望して年頭のご挨拶といたします。

 

2012年1月1

石川 一雄 

 吾痛み共有されしは支援者の 叱咤激励元気に越年

 

 

 

 

    証拠開示、再審の開始を

全国狭山支援者の皆さんへ謹んで新春のお喜び申し上げます。

例年の事乍ら旧年中も何かとお骨折りを賜り誠にありがとうございました。私も今年こそは絶対に事実調べの実現を通して「無罪を勝ち取るんだ」の気構えと不退転の決意を秘めて新しい年の第一歩を踏み出しました。

昨年を振り返ってみれば、仮出獄して16年の中で、一番充実感に満ちた年であったように思われました。

勿論、自分自身を奮い立たせた要因はなんといっても裁判官の勧告に基づいて、一部とはいうものの、47年間隠された証拠開示に因って、私をして心を掻き立てると共に、支援者の皆さんもその思いを共有し、再審闘争の中で、今度こそ「裁判が動くんじゃないか」と確信的にとらえた結果、各地で狭山集会等が開かれ、私自身も東西奔走駆け回りました。

今更言及する迄もなく、私自身が社会的立場を自覚して以来、一貫して、わが命は300万同胞の命でもあると感じ、32年の過酷なというよりも就縛な拘禁生活に耐え、司法の理不尽極まりない差別攻撃にも萎えることなく正面から立ち向かって来られたのは、外でもなく、被差別部落の兄弟姉妹をはじめ、労働者、宗教者、反差別運動に携わっておられる多くの方々に石川一雄を支援し続けて頂いたお陰で、私自身も自己変革を成し遂げることができたと思います。

振り返れば昨年は、多くのえん罪事件が表面化したことで、市民の中でも「えん罪」に対する関心も高まり、高裁前での情宣行動では多くの署名を頂いたり、弁護士さんや、見知らぬ方から「石川さんがんばって」「応援しています」の声をかけられ、感激したものでした。

そういう意味で、今年の狭山闘争は世論の声を背景に、なんとしても再審実現に漕ぎ着けなければならないと、闘う姿勢を強く持って取り組んで参る気概でいます。

私の狭山事件は一般的普遍的に存在する社会意識としての差別観念を土台とした司法当局の違法な別件逮捕、再逮捕、長期拘留に因る精神的、肉体的拷問にも等しい疲労困憊の極限状態の中で作られた「自白」であってみれば、本来なら証拠上認められないという結論以外はありえないと解すべき筈なんですが、こと、今日に至ってもいまだ司法当局が真相究明しようとしません。

何れにせよ、私を犯人にでっち上げた黒幕は警察に対する捜査指揮命令権を持つ検察であり、最高検を頂点とした検察機構こそ極悪の差別犯罪者集団なので、今後も徹底的に弾劾していかなければなりませんが、多少なりとも救われたのは別件逮捕当日に書かされた上申書が開示されたことであります。

今迄も国語学者の先生方の鑑定書が提出されておりますが、取調官の口述の基に書かされた物とはいえ、47年間も隠してきた私の自筆の上申書が開示されたことによって、ますます当時の私にはあの脅迫状は書き得なかったことが証明されたのです。

だが然し、前述の様に情勢は依然として厳しく、検察当局は頑なに証拠隠しの姿勢を崩していません。したがって当然の事乍ら、今後とも更に厳しく追求して参りますが、どうか皆さんも、今年こそ私、石川一雄の殺人犯のレッテルが剥がれるようご協力のほど強く強くお願い申し上げます。

年頭に当たり私の決意の一端とさせていただきましたが、本年も支援者の皆様方のご健勝とご活躍の程を念じつつ失礼いたします

2011年1月1日

   犯人に作り上げたる全過程

                今年こそは法廷の場で

                             石川 一雄

 

 

 第3次再審を我が手に

 

 全国の支援者の皆さん、私、石川一雄は多くの支援者たちの支えに依って、連日の猛暑にも負けることなく不撓不屈の精神で闘いを展開中です。
  すでに皆さん方もご承知かと存じますが、4回目の3者協議が迫っており、恐らく此の時にある程度の闘いの方向性が明らかになると思われるだけに、今が如何に大切か、極論すれば、私の今後の人生が左右される岐路の身にあってみれば、今こそ精力的に活動し、且つ皆さんにもご理解を求め、今まで以上のご協力を賜りたく、一筆執らせて頂きました。
  無実を訴えて47年、此の間、科学や、医学の進歩に依って狭山事件の冤罪性がますます明らかになり、弁護団は、数々の鑑定結果、新証拠を裁判所に提出していたのでしたが、今迄の司法は、誤判の第二審の寺尾判決を追認踏襲し、これら諸鑑定を無視してきたのでした。
  しかし、この間、多くの冤罪事件が発覚したこと、裁判員裁判が始まったこと等の状況の変化とこれまでの闘いの積み重ねのなかで、昨年12月、門野裁判長は証拠開示勧告の英断をされ、この5月に検察官は47年間隠し続けてきた証拠、36点の開示に応じたのでした。其れまでは「証拠は無い」「有るか無いかも言う必要はない」といい続けていましたが、裁判長の勧告だけに、検察も重く受け止め渋々ながらも36点を開示したのです。
  然しながら、弁護団が要求していた「ルミノール反応検査報告書」など肝心のものは「不見当」として未だに隠して出そうといたしません。
  自白した録音テープにしても、それが存在するならば、犯行を否認していた日時ははるかに長く、その間、拷問的な取り調べの中での取調官との会話はどのようであったのか、私は、一部を録音したテープではなく、「自白」する以前の否認当時の録音テープや取調べメモなど全て出して、事件の全貌、取調べの実態を明らかにしてほしいと希っています。
  当然にも無実を訴えている私の真相究明には最低でも「8項目」の証拠開示が必要と感じたからこそ、これらの証拠を隠すことなく「出しなさい」と裁判長は勧告したんですから、少なくとも勧告されたものだけでも出してもらいたいし、また、47年間も冤罪を訴えている私の悲痛な叫び声に応えるべきだと思うと、検察官の対応に憤りを禁じえません。国民の税金で収集した証拠は、弁護団の求めに応じて、全部出して、裁判官に判断してもらうべきだと思うし、そうすることが、検察官に課せられた責務であり、且つ国民の信頼も得られると思います。
  検察庁には現在でも相当数の未開示証拠があるはずです。真実は不変とはいうものの、何十年も真相が闇の中に隠されたままでいい筈がありません。
  お蔭さまで、私自身は皆さん方の支えと強固な意志の下で、47年間も闘い抜くことができました。近い将来必ず私の訴えは司法に届くものと信じて、今後も無罪を勝ち取るまでは不撓不屈の精神で司法当局に真実の解明を求めて参る決意でおります。
  来る4回目の3者協議において、裁判長にぜひとも、さらなる証拠開示の勧告と事実調べをすすめてもらいたく、わたくLも8月25日から高裁前でマイクを手に「公平・公正」裁判を訴えて参る所存です。
  どうか皆さんも可能な限りお力添えくださいますよう喪心よりお願い申し上げます。右、常日頃のご支援に対する感謝の気持ちと、私の決意の程をお伝えしてご挨拶の一端に代えさせていただきます。

2010年8月

石川一雄

全国の狭山支援者各位へ                                                                      

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          異議審で無罪を

 

高木による不当極まる棄却一周年糾弾集会を全国都府県下に於て「決起集会」を開いて頂き、皆様の変らぬ尽力に対し、心強さと共に感謝に耐えません。現在の私は、確かに針の筵に座らされて居る心境は否定出来ないまでも、こと闘いに於ては、絶望的な悲哀に陥ってはおりませんし、むしろ、高木の棄却に対して満腔からの怒りを込めて弾劾する姿勢で居る事は当然で、高木の道義的、人格的、裁判官として責務を全うしなかった責任を徹底追及して参る不退転の決意で居ります。だからこそ、これからも一日一日の生命を粗末にせず、そして、冤罪が晴れた暁には部落差別の根絶は勿論の事、どんな差別も許さない運動に生ある限り、尽して行きたいと思って居りますので、支援者皆様も本異議審闘争に於て、理論的にも実践的にも急務の課題として勝利の道標を点て傾きたく心から願う次第であります。何れにいたしましても、高木の着任当初の「…白紙の状態で臨む」から「…書面審理も事実調べの内」と是迄の反動的な言辞や今回の棄却文から見て、多分担当になった時点で、既に兇暴的な結論の牙をもっていたものと思われます。

従って、高木決定の有罪の「犯人視」は三七年前の部落差別攻撃に因る犯人デッチ上げを今日的に拡大踏襲する差別的暴挙に外ならず、それ故に高木裁判長こそが今迄の何の裁判官よりも悪であり、許せない気持ちは現在でも変わりなく、怒りの渦は日夜逆巻いているのであります。皆様もご承知の様に、再審開始に於ては「疑わしきは被告人の利益に」という最高裁の白鳥決定に依って其の後新旧全証拠の総合判断の理念を加えて再審請求への法的運用が拡大された事は衆知の事実でありますが、甘く見ていた私がいけなかったというものの、狭山有罪は国家権力の威信にかけても守るためにバトンタッチして登場してきたのが、高木であったかもしれません。詰まり高木が棄却体制の指揮官であったわけです。それにしても、沢山の無実の証拠が存在するにも拘らず、一度の事実調べも行う事なく、全国民的大衆の「公正な裁判」をの声を無視し、問答無用の如く棄却出来る日本の法律に問題があるように思います。何故なら自由心証主義なるが故に数々の無実を示す証拠の評価は裁判官の心証に委ねられているからです。然も、わが日本の再審制度の取り入れはドイツの法であるようであり、であれば、ドイツでは請求理由審でも求めに応じて事実の取り調べをするのを原則としているのですから、日本でもドイツの様に再審を行うべきであるわけです。

だから私は獄中に居る時から声高だかに「‥・事実調べの必要性の判断を裁判所の裁量に任せている現行規定に問題がある」と再審手続の早期改正の必要性を訴えていたのでありましたが、いまだその様な動きがないのが残念でなりません。

現在の私は社会に出て居ても今尚「殺人犯」の汚名を着せられた儘であり、特に無実の証拠が多く存在するのに、高木には私が部落民であるが故にか、司法の暴力的な共謀と野蛮と差別的な行使に因って不当にも再ぴ人生の進むべき道を絶たれて終まったので、私自身は常に狭山闘争は一個の明確な権力の差別犯罪として、徹底糾弾闘争の貫徹を通して完全無罪を勝取って頂きたいと声を大に訴え、お願いしている次第です。

元より私達夫婦は無罪が認められるまでは不屈に闘いぬく覚悟であり、よって皆様にありましても前の異議審決定から見て、風雲急を告げる切迫した情勢に突入した今は、兎にも角にも勝利への展望は今後の皆様方の力量、姿勢如何にかかっておりますので、高橋裁判長の下での、再審開始の血路を切り拓くための渾身の決起で歴史的勝利の道標を点けて頂きたく、此処に再度警鐘を鳴らして皆様の変わらぬ尽力を心より感謝して、私のご挨拶とさせてもらいます。

 

二〇〇〇年七月九日

石川一雄

高木再審棄却決定一周年糾弾・異議審勝利実現集会参加のご一同様                                       

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高木決定を取り消し再審開始を


謹んで新春のお喜びを申し上げます。例年の事乍ら昨年も私の狭山支援運動、異議審闘争に於て多大なご尽力を賜り誠にありがとうございました。二一世紀は「人権の世紀」といわれている関係で、皆さん方にありましても、部落問題の解決は元より、所有差別をなくし、各種の難題に取組んで参る抱負を沢山持たれつつ二一一世紀の初年度の第一歩を踏み出されたことと思いますが、私達夫婦も当然の事乍ら今年こそ裁判所に事実調べを行わせるんだ!! 異議審実現を目指して全力で闘うんだ!! と係争中の当事者であってみれば、正に盆、正月もなく、厳しい裁判闘争の現実の立場を自覚の上に立って、不屈に闘い抜く決意を胸に、新年を元気に迎えた次第であります。
元より、全国に散在する同胞、更には労働組合、一般の狭山支援者各位におかれましては、夫々の県に在り部落解放同盟と共闘を図り、解放運動の前進に向けた取組みと共に私の狭山裁判闘争に於ける運動の輪を解放同盟を中心に活性化を図る中で、其の最大の課題として、私の異議審実現に思いを寄せられ、今年も可能な限りのご協力が賜われるものと確信しておりますが、二〇世紀時代のたったの六十年間とはいうものの−私の人生は荊の道の連続で、心が休まる日はなかったように思われ、自分をいとおしく、人生を振り返らずにはおれません。
然し、無念の日々の中にあって、特に昨年から市民の方々が、狭山裁判のおかしさに気付かれ、目を向け、支援して下さるようになって参りましたのは、遣瀬ない気持ちの中にも心が洗われる思いでありました。多分、国民大衆の方々が狭山事件に関心を寄せて下さるようになった背景には、二〇〇四年迄の「人権教育のための国連10年」が言われるなかで、人権に絡んだ「差別裁判」として、狭山事件が大きくクローズアップされたからに他ならないと思われます。それは、言及する迄もなく、「世界人権宣言」から五十年以上が経過した現在のわが日本に於て、未だに生じる部落民に対する差別や社会の基本的人権に対する意識が現存していることに市民が目覚め、「・・・・いかなる差別もなくそう」という意識が芽生えた結果として、私の裁判にも目を向けて下さるようになってきたんではなかろうかと思われます。現に一度も事実調べも行わず棄却した高木裁判長は、検察当局が膨大な証拠を隠し持っていることを百も承知で、証拠開示命令も出すことなく、書面審理のみで、一方的、抜き打ち的に、有罪であり、検察側の鑑定が正しいと決めつけており、そういうやりかたに対し、国民の方々も、片寄り主義で、由々しき問題として、司法の在り方に一石を投じるべく、私の狭山支援活動に加わって下さったんだと思います。
当然の事乍ら高木裁判長は、無実の証拠が沢山存在するにも拘らず、司法の独立をかなぐり捨て、検察権力の意図の儘に、再審棄却を強行したので、徹底糾弾をすると同時に、高木決定を取消させ、直ちに事実調べ、再審開始をするように、今年も訴え活動を精力的に取け組んで参る決心です。
どうか皆さんも力の限りご支援、更にご指導下さいますよう心からお願い申し上げます。
それでは、本年も狭山闘争により一層のご理解、ご協力をお願い申し上げると共に、皆さんのご健勝とご活躍をお祈りしつつ年頭の御挨拶と致します。

◎権力の意の儘にならんぞと司法改革異議審勝利で
◎闇夜に礫の司法に暴力断じて許さぬ偏見棄却を
◎検察よ隠れたるより見るは莫し吾らは今こそ駆け馬に鞭
◎冤罪を晴らす吾らの訴えは司法に盾の両面見よと

  二〇〇一年一月一日
                                                   石川一雄 
 全国の狭山支援者各位様

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                    今こそ再審開始の運動を

今、全世界は未曾有の無差別テロに遭遇し、日本を含め戦争への危険な状態にある中で、私の異議審闘争も極めて重大な時期に直面している訳でありますが、狭山支援者の皆さん、本日は寺尾判決27年糾弾、再審開始の実現に向けた取り組みの中、本集会にご参集下さり、心から感謝いたします。
既に各位もご存知の様に小泉政権下では、総理の靖国神社の公式参拝に端を発し、憲法を改悪し、戦争の出来る国づくりを厳しく仕掛けておるのも事実であり、否応無しに危機感が募ってきます。其の様に全世界が揺れ動く中で、日本の司法反動化を思う時、部落解放同盟を中心に新しい潮流によって司法当局を追い詰めることも出来得るという見地に立って、今、私達夫婦も支援者各位同様に、一人でも多くの方に狭山事件の真相を私自身の置かれている立場をご理解頂いた上で、なんとしても裁判所に「事実調べを実現して貰わねば」と、前述の様に司法の反動化が進んでいればこそ、余計危機感を抱いて、精力的に各地を訴え廻っている次第でありますが、情勢は極めて緊迫しており、狭山闘争の歴史を切り拓き、勝利への決戦は今をおいてないことを声を大に訴えねばなりません。
元より今日此処に決起された皆さん方は、寺尾判決、高木の暴挙と共に権力犯罪を徹底糾弾する必要性を十二分に弁えておられますことから、其の事に対し言及致しませんけど、取りも直さず、悔しいのは確定判決の私を愚弄した判決文であります。其の結果、現在も殺人犯のレッテルを貼られ、苦しんで居るのですから、高裁寺尾に対する糾弾集会は一年でも早く終止符を打ちたいと思う反面、完全無罪を勝ち取った以降も、私の無実を百も承知しつて有罪判決を下した悪道非道な、人間としても一片らもない寺尾を糾弾していかねばならないと思っています。
当然の事乍ら私自身は生涯忘れませんし、そういう意味では、寺尾と共に、高木の暴挙も更に私の闘争心を煽り立てたのも事実であってみれば、むしろ、私にとっては、終生の「敵」として、私自身の中に「戒め」となって常に身構えて気が緩むこともないわけですから、皆さんには大変ご迷惑をかけるとしても、私には却ってよかったのかもしれません。
何れにせよ、異議審になってからも八点もの無実を示す証拠が提出されたからといって、油断せず今後も厳しい姿勢で司法を正攻法で追い詰めて参る所存です。何卒、皆さんも今日を機に更に一層のご支援下さいますよう心からお願い申し上げます。それでは、本集会に参加頂いた皆さんに心底から感謝の意を表して右ご挨拶に代えて失礼致します。

◎人生に山あり谷もあるけど今ぞ苦楽の分岐点

二〇〇一年十月三十一日
石川一雄
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事実調べも全面的に拒否したことは断固糾弾

 

全国各地でとりくまれた狭山集会によせら
れた石川一雄さんのメッセージを掲載する。
司法当局、検察庁の総包みに因る度重なる差別的な棄却攻撃を受けた中で、不当逮捕39カ年糾弾集会への参加要請文を書いている今現在も、遣り場のない憤りと切ない気持ちを抑えつつ、ペンを走らせているところですが、今年も、三十九年前の五月二十三日に逮捕され、そして今も殺人犯のレッテルを貼られた儘で居る石川一雄に思いを馳せ、本糾弾集会に決起下さった全ての皆さんに衷心より感謝致します。
狭山再審裁判は最高裁となり、其の事は既に支援者の皆さん方もご承知の通りですので、その辺の経緯は言及しませんが、先般の「高橋決定」なるものは、無実の私を無理矢理「有罪人」としておこうというものでありますから、其の判断が矛盾だらけであるのは当然としても、新証拠を無視し、事実調べも全面的に拒否したことは断固糾弾して貰いたいものです。
今更「もし」という言葉はつかいたくないけど、仮に高橋裁判長が大衆の声に耳を傾けて、事実調べを行ってくれたとしたら、私の無実と警察権力に因る犯人デッチ上げは一目瞭然になった筈であり、それ故に何がなんでも「有罪」にしておく必要上から、その様な詭弁に貫かれた決定文になった訳ですが、斎藤鑑定等八通もの新証拠が出されていたこともあって、「司法に幻想を抱くな」という本人の私が「あるいは」と司法に期待していた結果、棄却の知らせを受け、少し体調を崩して関係者各位に多大なご心配をかけてしまいました。元より私だって鉄人ではありませんので、変調の時もあり、また何処か彼処悪くなって当たり前かもしれませんが、怒りに震える私を支え、檄を飛ばして励ましてくれたのは、他ならぬ支援者の皆さん方でありました。この事は正月のアピールにも書いたかも知れませんが、狭山裁判闘争は今や敵味方双方にとって、生死を賭した闘いであり、故にこれからの最高裁に於ける要請行動も絶えることなく総動員総決起を通して、事実調べ、再審を行わせる闘いに盛り上げていって頂きたいのであります。
然も先般(3・26)鹿児島県の裁判にて、「大崎事件」で再審開始決定が出された最大根拠は彼の悪名高い、私の狭山事件でも検察側の鑑定人として出てくる石山鑑定なるものが、実に好加減なもので、信用出来ないということで、前述の鹿児島県の笹野裁判長が「鑑定」を退けたことでもおわかりいただけるように、狭山事件は現在でも、彼の石山鑑定なるものが「有罪」として脈々と生き続けているので、こういうことも大衆的に訴えて貰いたいと思うのです。詰まり、検察側が提出した全ての鑑定を見直す必要上から裁判所にも職権で再鑑定をさせる運動を是非取組んで頂きたいということであります。勿論当然の事乍ら先の高橋省吾に困る異議審での棄却も徹底糾弾し、私の怒りと無念を晴らす闘いも継続的にして頂かねばなりません。ただ私は自分の裁判闘争と同等に気がかりなのは「特措法」が切れたことです。恐らく部落の兄弟姉妹は法切れとともに、解放運動も此処で歴史の大きな節目を迎えたこともあって、今後の闘いは、差別糾弾闘争を基軸とする同胞達の自主的解放運動の飛躍を切り拓いてゆくでしょうし、又部落の根本的解放運動の展望を手繰り寄せることの運動が、即ち狭山裁判も良い方向に引き出せるものと確信いたします。
勿論私も、まだ勝利出来ない無念はさておき、再審無罪への飽くなき執念を燃やしつづけて参ります。どうか今日此処に参加下さった皆さんも、狭山の原動力として、「差別権力犯罪徹底糾弾」に思いを強く持たれ、そして冤罪が認められるまでは、今後とも更なるご尽力下さいますよう心からお願い致します。それでは、本日、此処にお集まり頂いた皆々様に再度感謝の意を表わし、併せて私の不屈の程をお伝えして失礼いたします。
二〇〇二年五月二十三日
石川一雄
5・23不当逮捕39カ年糾弾
特別抗告審実現集会参加ご一同様
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10・31寺尾判決28カ年糾弾

寺尾不当判決28カ年糾弾集会に決起された全ての皆さんに感謝の一文をお届けいたします。
既に皆さんもご承知の様に確定判決以降も弁護団は、次々と無実の証拠を積み上げ、そして、支援者各位に於いては、何百回も裁判所に足を運ばれ、「事実調べを行え」と言う要請活動に取り組んで頂いている訳ですが、是までの各裁判官は、悪意と、差別意識を剥き出した態度で、ただの一度も事実調べを行わなかったのみか、弁護団よりの科学的な鑑定書や、証拠資料などに対し、「独断に過ぎない」「推測の域を出ない」と難癖をつけ、正当な審理をすることなく、棄却し続けていることに、腸が煮えくり返る思いであります。
特に高木、高橋に因る決定なるものは、新証拠の内容に一切触れようとせず、然も、脅迫状にいたっては、「他家に奉公に行き、工場勤めなど、社会経験もある程度積んでいたから、文字を書くことに就いて、いくら学校に行かなくても書けた筈だ」などと、部落差別により、学校教育から排除され、文字を奪われていた現実を直視せず、教育は社会生活の中で自然に身につくものと、だから「石川は脅迫状が書けた」と決定文に書いて憚らないのであります。
こうまで居直られれば、もはや裁判所は自らを「人権の砦」と言っていますが、そんな
ものは真っ赤な嘘であり、詭弁としかいいようがありませんが、でも、私は、司法の府である、最高裁判所の良心に訴え続けていきます。
自分は無実であり、そして、事実調べを行ってくれさえすれば、必ず真相は明らかになることを、今後も「冤罪であった」と認めさせるまでは、司法を厳しく追及して参るつもりです。
当然、皆さん方も二十八年前の今日の不当判決に対し、怒りを持って、本日の糾弾集会にのぞまれた筈ですし、一方においては、最高裁は、私の特別抗告の申立てを即刻受理し、先の高木、高橋両裁判長の不当な棄却を取り消し、自らの手で、再審開始決定を行わせるための集会として参加頂けたものと思いますが、気になるのは、検察庁が隠し持つ証拠リストを開示させる闘いの方であります。元より最高裁の手によって全ての計拠を全面開示勧告、命令をさせるための運動も必要と思いますが、私個人の考えとしては、直接法務省、法務大臣に対して要請行動を起こすのもーつの手段ではないか、と思います。
また、司法改革の中で証拠開示のルール化を求めていくことが狭山を前進させ、誤判を少なくさせていくことにつながっていくと思います。
是までの私は、自分の無実を晴らし、権力の差別犯罪を暴くことこそが、冤罪を無くす中心軸と、思っていましたが、現在は、どちらかといえば、狭山再審の実現よりも、司法改革の方が先になってしまいそうです。
当然の事ながら、部落解放同盟、或いは支援者達の要請行動の方針として「最高裁は検察庁への証拠開示命令を行え」「検察庁は証拠を開示せよ」と迫っていくことに重きをおいていくだろうし、其れも又、もっともでありましょうが、兎に角、狭山再審勝利に向けた取り組みは、どんな手段でも、必ず、本審で無罪を勝ち取って頂きたいと願っている次第です。
私も最高裁に命を賭して再度闘いを展開しているので、どうか皆さんも、何時までも「殺人犯」の汚名を着せた儘にしておかぬよう、可能な限り、ご協力賜りたく、心よりお願い申し上げるものであります。
私は前述の様に私自身における闘魂は些かも衰えることなく、むしろ、司法の暴挙に対し、ますます怒りと共に闘争心が沸いてきます。
皆さんの更なる御支援を頂きたくお願いして、右、お礼と決意の程をお伝えしてご挨拶に代えたいと思います。
◎法切れや有事法制を憂慮しつつも
                      正義の使者を呼び込まん
石川一雄
10・31寺尾不当判決28カ年糾弾集会ご参加ご一同様
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