絵本を読もう 昔話を読もう 児童書を読もう

・魔

幼児から
ロバのシルベスターとまほうのこいし
作/ウィリアム・スタイグ 訳/せたていじ (評論社)
 ロバのシルベスターはステキな赤い小石をみつけました。それは、何でも願いのかなう石だったのです。

 何でも願いがかなうとしたら、何を願いますか? こども達は、きっといろいろな願いを考えつくことでしょう。でも、もしも間違ったことを願ってしまったら...。

 シルベスターも、ふとした拍子に取り返しのつかないことを願ってしまいました。

子どもも大人もこの本を読みながら、「こうだったらいいのに」「こうすればいいのに」と、思わず一生懸命願っている自分に気がつくことでしょう。本当の願いに気づかされる、魔法のような本です。

子どもの言葉より
この本って、私けっこう好きだったんだよね。結末は知っているのに、読んでいるとどうしても変な気持ちになっちゃう。(2006.5 娘中三)

中学生から
西の魔女が死んだ
作/梨木香歩 (小学館・新潮文庫)
 何かが嫌だということではなく、生きていることに息苦しさを感じ、行き詰まってしまうことはないだろうか。そんな時、人は安易に「甘えている」だとか、「しっかりしなければ」などと評するに違いない。
 主人公の少女はまさにそんな時、西の魔女を訪ねた。西の魔女とは、主人公の祖母である。祖母は、人生の大半を異国である日本に暮らしてきた外国人であり、きっと数々の試練を乗り越えてきたに違いないと思わせる。祖母と孫という関係は、母娘という近すぎる関係にはない緊張感、距離感によって、深い理解と安心とを生み出す。
 私達が、現実にこの主人公のような祖母を持つことは稀だけれど、この本において、西の魔女と出会えたことに感謝したい。

 私は、最後まで読み終えた直後に、再び最初のページを開いて二度目を読んでしまいました。二度読んでもその世界は色あせることがなく、読後にすがすがしい充足感を得ることができました。(2004)

小学生(高学年)から
マジョモリ
作/梨木香歩 絵/早川司寿乃 (理論社)
 これは家族みんなで気に入ってしまった本です。子どもは「つばきちゃん」に、大人は「ふたばちゃん」に感情移入して、結局は同じ世界を一緒に楽しむことができます。小学生から楽しめる絵本ですが、きっと思春期以降の女性に特に好まれる本だろうと思います。

ある日、つばきちゃんのところにマジョモリからのご招待があります。マジョモリとは、家の前にある「御陵」の森で、入ってはいけないことになっているのです。招待状をもらい、大喜びで森に入っていくつばきちゃんを待っていたのは、不思議な一人の女性でした。

 つばきちゃんは、日常から、ふっと何気なく非日常の世界へと引き込まれて、非日常の世界からまたふっと何気なく日常の世界へ帰ってくる。日常は日常としてしっかりとした生活があり、でもそれと並行して流れている非日常の世界を知り、それを感じながら生きると、とても豊かな日常になるだろうと思う。平凡な毎日を”非日常”によって壊すのではなく、そんな”非日常”を心のどこかに感じながら平凡な毎日を輝かせることができたらいいなぁと思います。

 子どもの頃、近所にオオカミ森と呼ぶ小さな雑木林がありました。なぜそんな名前で呼ばれていたのかはわからないけれど、そんな風に名のついた雑木林では何かが起こりそうな予感があり、ワクワクしたものです。残念だけれど、今はもう住宅地に変わってしまったことでしょう。

子どもの言葉より
これ、絵が面白いよね。平面なのに立体みたいで、立体みたいなのに平面でさ。(2006.7娘中三)
ふたばちゃんのこと、どうしてわからないのかなぁ。すぐわかりそうじゃない。(2006.7息子中一)

小学生(高学年)から
ジャンヌ・ダルク S
作/M・ブーテ・ド・モンヴェル 訳/やがわすみこ(ほるぷ出版)
 このところ家の中で、オルレアンの少女、ドラクロアの絵などが話題にあがっていたので借りてきました。作者のモンヴェルはオルレアンに生まれ育ったため、自らの生涯懸けてのテーマとして取り組んだ作品だそうです。
 この絵本を読むと、それまで単なる歴史に登場する人だったジャンヌを、一人の少女としてとらえることができます。だからこそ、彼女の晩年の苦しみは身につまされる。
 戦いの是非、民族の善悪、宗教の正誤、それらについては安易に判断せず、当時の時代背景を読むことが必要だと思います。(2003.02)

小学生(低学年)から
 ハーメルンの笛ふき
文/サラ&ステファン・コリン 絵/エロール・ル・カイン
訳/かなせきひさお (ほるぷ出版)
 エロール・ル・カインの絵なので借りてきました。ハーメルンの笛ふき伝説は、それだけでも薄気味悪いのですが、きっと実際には、何か別の、口にするもおぞましい残酷な出来事が起き、それを語り継ぐ中で、このような形に変化していったものなのではないでしょうか。(2003.02)

小学生(中学年)から
星のひとみ ES
作/サカリアス・トペリウス 訳/万沢まき(岩波書店)
 娘は同じ題名の絵本(アリス館)を何度も読んでいるので、何気なく借りてきたのでしょう。トペリウスの短編がたくさん入っています。キリスト教の精神があちこちに息づいているけれど、キリスト教徒ではない私が読んでも決して鼻につくことはない。どの物語も透明な氷細工のように繊細で、この世のものとは思えぬ美しい音色が聞こえてくるようです。凍てついた北の大自然の息吹に囲まれている疑似体験ができます。

 トペリウスの作品はどれも好きです。この機会に、おのちよさんの絵本版『星のひとみ』を、もう一度読みたくなりました。私はあの絵本の表紙の絵が大好きなのです。(2002.11)

小学生(低学年)から
星のひとみ
文/Z・トペリウス(フィンランド) 絵/おのちよ 訳/万沢まき(アリス館)
 西洋において、魔女が忌み嫌われたのはなぜだろうか。魔女は真実を見、真実を語る。真実を語られると困るのは、一見この現実社会に生きることに成功していると見える人々だ。真実は、表の世界からは見えない。でも、本来ならば誰だって見ているはずなのだ。実は見えているからこそ、見たくない。

 この表紙にある絵の淡く深みのある色合いは、まるで魔女の心模様を表しているようで、胸騒ぎと安らぎとが同居しているように感じられる。(2000.)

小学生(中学年)から
魔法のアイロン
作・ジョーン・エイキン 訳・猪熊葉子(岩波少年文庫)
 まるで昔話のような短編集。
 私たちにとって、ごく普通の一日が決まってごく普通ではないように、お話の中の主人公達も、ごく普通の一日を一筋縄ではいかない突拍子もない出来事にふりまわされて過ごしている。それでも彼らの肝っ玉は結構すわっていて、どんな出来事でも軽やかに何気なく乗り越え、どんなに悲惨な状況になろうとも、どんなに素晴らしい状況になろうとも、その結果を当然のことのように受け止め、まるで何事も起きなかったかのようにさらりとそのままに生きている。だから、どんな目にあったとしても、本人の気持ちの上では、いつでもハッピーということになる。
 思考しすぎて頭が煮え詰まっているときに、こういった本を読むとホッとします。
 それにしても、昔話ではないにもかかわらず、あたかも昔話のように語るのことができるジョーン・エイキンという作家の力には目を見張ります。(2005.7.10)

小学生(低学年)から
ふしぎな500のぼうし
作・ドクター・スース 訳・わたなべしげお(偕成社)
 取っても取ってもバーソロミューの頭には同じ帽子がのっている。どうしても帽子は取れない。そして、とうとうしまいにその帽子は…。
 この物語のように、この世にあり得ないこと、まったく科学的ではないことに惹かれ、わくわくさせられるのはなぜでしょうか。子どもは不思議が大好きです。不思議の感覚に浸ることは、快楽とでもいうように、目をいきいきと輝かせて話の中に入り込んでいきます。

残念なことに絶版です(2005)

小学生(高学年)から
 望郷の思い、慕っていたものからの裏切りと絶望、そして初めて認識する自分自身の力。
 こんな風に書くと難しそうだけれど、実は、にぎやかで楽しい現代的なファンタジーです。

※今では徳間書店から新訳の「魔法がいっぱい 大魔法使いクレストマンシー外伝」が出版されており、大魔法使いクレストマンシーシリーズものの一冊として大人にも多くのファンがいるようです。
 (あれあれ? ディアナはダイアナと同じ...ということは、彼女は「ハウルの動く城」の原作者ですね。)

小学生(中学年)から
魔女図鑑―魔女になるための11のレッスン
作・マルカム・バード 訳・岡部史(金の星社)
 魔女にあこがれる小学生の女の子にお勧めの絵本です。11のレッスンということで、事細かに魔女の日常生活について述べられており、魔女でなくてもこれは面白いと思える魔女らしいアイデアも、あちこちにみつけることができるはずです。絵が細かいところまできちんと描かれているため、何度本を開いても、いつまで見ていても飽きることがありません。

小学生(高学年)から
ホビットの冒険
作・J・R・R・トールキン 訳・瀬田貞二(岩波書店)
 平凡な生活を楽しみ、淡々と幸せな毎日を送っていたホビット族のビルボが、ある日突然危険な旅にまきこまれてしまう。冒険物の好きな息子(小4)が、巨人や竜の出てくるこの物語を、夢中になって読んでいました。

 一方で、こころに吹きすさぶ隙間風に苦しむ30〜40歳代の大人にもお勧めです。なぜならば、主人公は力みなぎる少年ではなく、人生半ばを過ぎた中年男と老人達であり、そんな彼らの心躍る冒険ロマンファンタジーだからです。

いわずもがな映画ロード・オブ・ザ・リングの原作、「指輪物語」の前の物語です。


魔法にまつわるひとりごと

かきまぜる

児童書の世界へ

番外編
ハリー・ポッターと炎のゴブレット 上・下
作/J.K.ローリング 訳/松岡佑子 (静山社)
子どもの言葉より

「もうー! 気になる。どうしてこれって字を太くしたり変な字にしたりしてあるわけ? すごく嫌。気になって気になってしょうがない。なんとかなんないかな、これ。誰がやっているのかな。訳した人? 出版社? まったくよけいなお世話だよ。もうっ!」
本にむかってイライラと怒っていました。(娘小5の頃)

なるほど。そうかもしれないね。
 私の場合、その点に関して気にはなることはありませんでしたが、ストーリー展開の不自然さには閉口しました。登場人物がいるから物語が始まるのではなく、ストーリーが先にあり、そのストーリーに合わせて登場人物が無理に動かされているように思えます。それゆえ登場人物一人一人の行動にともなう心の動きが浅薄で、なぜそのような行動をとるのかわからず、なかなか感情移入ができずにストレスがたまります。
 また、弱者に対する残虐で執拗な欺きが次から次へと現れるので、読んでいて苦しくなります。グリム童話だって残虐な部分はあるけれど、それはなるべくしてなることだったり、主人公の後の幸せに欠かせないものだったりする。でも、この本での執拗なまでの残虐さは、読んでいる私たちに無力感を与えるだけに思える。読み進めるにつれ、極度の疲労と、猜疑心、やるせなさでいっぱいになる。それはなぜだろう。その体験を乗り越え、食いしばり、読んでいけば、打たれ強くなるかと言えば、それも違う。この作者は今までの人生で、欺かれ、虐げられる経験が数多くあったのではないでしょうか。それにより、作者はこの物語を書くことにより、読者に対して自らの人生の仕返しをはかっているように感じます。
 残念ながら、私にはこの本を読むことが楽しいとは思えないけれど、でも、映像描写に優れていて、視覚的にテンポがよいため、先へ先へと勢いをもって読み進められるのには感心しました。(2003.02)