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戦争・平和
せかいでいちばんつよい国
作/デビッド・マッキー 訳/なかがわちひろ(光村教育図書) |
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自分たちの国ほど素晴らしい国はないと信じ込み、世界の人々の幸せのためにとあちこちの国に攻め入って征服している強い強い!国がありました。一方で、軍隊をもたずに、どんな人をもにこにこと迎え入れる小さな小さな国がありました。強い強い!国は、戦わずしてその国を征服したと思っていたのですが...。
作者が風刺漫画家だっただけあって、ユーモアと皮肉がたっぷりの絵本です。絵本なので幼児でも読めるには読めるのですが、きちんとこのユーモアや皮肉を理解をするには小学生からでないと難しいかもしれません。 本当につよい国とはどんな国なのか、強いと信じている国が本当に強いのか、この本を読みながら、じっくりと世界を眺めてみましょう。(2006.6) |
3びきのかわいいオオカミ
作/ユージーン トリビザス 訳/(冨山房) |
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悪いぶたから守るために、かわいいオオカミたちは家をどんどん強固にしていきますが、強固にすればするだけぶたはどんどん凶暴になり、結局はどの家もいとも簡単に壊していきます。そして、最後にオオカミたちが選んだ家をたてる材料はあまりにも意外なものでした。
題名からわかるように、三びきのこぶたの逆バージョンパロディー本です。三びきのこぶたが古典的なお話なのにくらべ、こちらはいかにも悪そうなぶたがコンクリートで建てた家をドリルで壊しに来たり、鉄条網と鎖で囲った家をダイナマイトでぶっとばしたり、やることは過激で現代的です。一応この本のお勧め対象は小学生からと書いておきましたが、過激なので幼児には早いという意味ではなく、幼児のうちには本来の三びきのこぶたをしっかりと身にしみこませて欲しい時期だと思ったからです。その意味では、実は小学生低学年でもまだ早く、中学生以降、大人こそが本当の意味で楽しめる本なのだと思います。 それから、これはただのお笑いパロディーではありません。現代の辛辣な風刺絵本だと思います。ただ、表だっての風刺ではないので政治的な意図は感じられず、素直にほんわかと楽しめます。 大好きなので、たくさんの大人にプレゼントしたい本です。 |
じろり じろり―どうしてけんかになるの?
作/デイビッド・マッキー 訳/はらしょう(アリス館) |
ぞうの世界には白いぞうとと黒いぞうがいました。白いぞうと黒いぞうとはけんかをしていました。けんかが嫌いなぞうたちは隠れてしまいます。けんかが終わり、隠れていたぞうたちが出てきます。白いぞうと黒いぞうではなく、白黒混ざったぞうがぞろぞろと...。これで世界は幸せになると思ったのに、今度は大きな耳と小さな耳のぞうがけんかをし始めます。
違うって素晴らしい!はずなのに、どうしてけんかになってしまうのかな。簡単には答えのでないことがこの世にあるということを、子ども達が初めて知る本かもしれません。(1997.1) |
あのころはフリードリヒがいた
作/ハンス・ペーター リヒター 訳/上田 真而子(岩波書店) |
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1925年に生まれた主人公の少年は、幼なじみのフリードリヒやその家族とともに成長していく。...していた。...していくはずだった。当時のドイツで何が起き、そこに生きる少年は何を考えていたのか。望もうが望むまいが、人々は、明確に迫害する側とされる側とに分けられていく。白黒つけるということ、善悪を単純に考えること、答えがひとつしかないということ、そういう世界で人間として生きるには、どうしたらよいのだろうか。 『あのころはフリードリヒがいた』を読み終え、付された年表の文言を追いながら、この本の迫力はこの年表にあると思った。この年表の中に、無数のフリードリヒとその家族、無数のぼくとその家族、無数のレッシュ氏、無数のノイドルフ先生が見える。私がフリードリヒであったかもしれないし、ぼくだったかもしれない。レッシュ氏だったかもしれないし、ノイドルフ先生だったかもしれない。 私たちは、時代に生きる時代の子だ。私達は、過去の人々の営みを土台として、この時代に生まれ、この時代の子として人生を歩んでいる。年表の中に無数のフリードリヒが見えるように、今も無数の「私」がこの時代に生きているだろうことに気がつき愕然とした。 今という時代が歴史となっていく過程で、年表の中に見える「私」の考えること、「私」の行動はどういう意味をもつようになるのだろうか。私たちは、その大きな流れをもつ時代という大河の中で、大河の小さな一滴として、大きく目を見開いていよう。そして、私という小さな一滴が、私たちの時代を土台として立つ未来の人々へ、どのような大きな流れと共に手渡されるのかを見届けたい。(2004.5) 子どもの言葉より (これを読んだからには、)『ぼくたちもそこにいた』も読まなくちゃなぁ....(2005.11娘中二) |
ぼくたちもそこにいた
作/ハンス・ペーター リヒター 訳/上田 真而子(偕成社) |
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子どもの言葉より
最後のところ、「ハインツー」じゃなくて、ハイーンツ、ハイーンツなんだね。あれ、よくわかんないんだけれど、転がってきたんだよね?(2005.10息子小六) ---ローラー作戦の意味がわからず、何かがゴロゴロ転がってきたのだと理解した息子です。それによって、最後の盛り上がりはさっぱり意味がわからなかったようで、残念無念。さらに、息子には、「自分とはまったく関係のないどこか遠いところでおきたもうずいぶん昔の出来事」としか捉えられずにいる様で、もどかしい。(2005.10 息子小六) |
若い兵士のとき
作/ハンス・ペーター リヒター 訳/上田 真而子(偕成社) |
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あのころはフリードリヒがいた ぼくたちもそこにいたに続く3冊目。 17歳のぼくが、なぜ兵士になり、どうして戦い、友はどうやって死んでいったのか。決して感傷的ではなく、ただ淡々と語られていく事実ほど強い力をもつものはない。
子どもの行動より |
ぼくは松葉杖のおじさんと会った
作/ペーター=ヘルトリング 訳/上田 真而子(偕成社) |
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子どもの言葉より
『ヨーンじいちゃん』を書いた人だったから借りてみた。でも、読まないうちに期限が来て返しちゃった。 (2005.10娘中二) 途中まではおもしろかった。松葉杖のおじさんが、バスにいるところあたりまではすごくおもしろかったけれど、その後はあんまり。(2005.10息子小六) ---小六の息子には、時代に翻弄される人々の経験が、他人事にしか理解できなかったようです。あぁ、本当にもどかしい。でも、無意識のうちに何かしら心のどこかにひっかかるものがあったかもしれないと言い聞かせ、静かに、「そのとき」が来るのを待っています。--- |
父への四つの質問
作/ホルスト・ブルガー 訳/佐藤真理子 |
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1929年に生まれた作者ホルストが、息子の質問に答えるという形式によって自らの生きた時代を描く。
ドイツはなぜあんな戦争をしたの? 少年は、父に問いただします。どうして、だまってあんなことをさせてしまったの? なにも知らなかったの? 少年志願兵としてドイツのために命をかけて戦った父ワルターは、自らの体験を息子に伝えます。なぜ、人々はあの戦争をしたのか。 せざるをえなかった..。せざるを得ないようにしむけられた。本当はしたくなかった。戦争が終わり、ほとんどの人がそう語った。みんな、自分はナチとは無関係だったかのような顔をしていた。でも、そういった人々が、数え切れないほどの人を殺した。数に数えられていない数え切れないほどの人の尊厳を踏みにじった。数え切れないほどの人の人生を、破壊した。もう、立ち直れないほどに。そして、ドイツにだって数え切れないほどの犠牲者が出た。 「数だけが問題じゃない。どんなにわずかでも、おおすぎるのだ。」 日本人は、忘れてしまったのでしょうか。一体、どうしてまたこの道を進んでいるのでしょう。戦争が終わり、ワルターが出会った一人の収容所生還者が話したこと、 「......いまはまだいい。人びとは、手につばし、力をあわせて一本の綱をひいている。水あげされるのは、なんであれかまわない。富が目標だ。マイホームに冷蔵庫、そしてマイカーといったところだ。だが、ある日、彼らはふたたび目ざめるだろう。おそくとも、進歩が思わしくなくなり、前進にうんざりし、どうしようもなくなればだな。 その通りではありませんか。また、手を取り合って、同じ道をたどっていることに、どうか気がついて欲しい。日本が今、どういう状況にあるのか、どこまでこの道を歩んできてしまっているのか、気がついて欲しい。無関心でいるうちに、見えないところで進んでいること、用意周到に準備されていることに、気がついて欲しい。決して「知らなかった」ではすまされないことに、気がついて欲しい。自分が「当事者」以外のなにものでもないことに、気がついて欲しい。(2005.11) 子どもの言葉より ---確かに、表紙の絵のせいで、いかにも古い本だという感じがします。内容は決して古いものではないので、表紙に絵がない改訂版を出していただきたいと思います。--- |
ジャンヌ・ダルク
S
作/M・ブーテ・ド・モンヴェル 訳/やがわすみこ(ほるぷ出版) |
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このところ家の中で、オルレアンの少女、ドラクロアの絵などが話題にあがっていたので借りてきました。作者のモンヴェルはオルレアンに生まれ育ったため、自らの生涯懸けてのテーマとして取り組んだ作品だそうです。 この絵本を読むと、それまで単なる歴史に登場する人だったジャンヌを、一人の少女としてとらえることができます。だからこそ、彼女の晩年の苦しみは身につまされる。 戦いの是非、民族の善悪、宗教の正誤、それらについては安易に判断せず、当時の時代背景を読むことが必要だと思います。(2003.02) |
まほうのスープ
ERS
文/ミヒャエル・エンデ 絵/ティーノ 訳/ささきたづこ(岩波書店) |
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夜、寝る前にこの本を読み、朝、目覚めた息子が布団の中で突然一言。「あれってさぁ、戦いのところ、どっちがどっちだったかわからなくなっちゃって、何度も戻って読んだよ。」対する娘は「あたし、そんなのいちいち考えないで読んだよ。どっちだっていいじゃん。」朝からこれまた二人の意見は合いません。同じ本を読んでも、心の中にとりこむものは全く異なるのでしょう。娘はそれなりに面白かったとのことですが、息子はあんまり....、と無反応でした。そんな風に意見が食い違う様子を見ている私は、とても面白いのですがね。(2002.12) |
こぎつねコンとこだぬきポン
作・松野正子 絵・二俣英五郎(童心社) |
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きつねとたぬきの家は代々続く犬猿の仲。こどもたちの世界は、過去に捕らわれず、未来への希望が溢れています。今の世の中でも、こどもたちの世界を通して、大人が固い心を少しずつ開いていかれるといいのですが…。(2002.1)
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オオカミのようにやさしく ES
作/G・クロス 訳/青海恵子(岩波書店) |
現実とはなにか。ごく普通と思われる祖母との暮らし、突拍子もない母との暮らし、まったく異なる価値観で暮らす人々に翻弄され、ごく普通の少女は混乱し、それでも自分自身を見つけていく。プラスチック爆弾、テロ、スクォッター、慣れない言葉が並ぶ中、それを現実として生きる少女がいることは、同年代の娘にとって衝撃だっただろう。オオカミという動物が物語にうまく絡んでいる。(2002.11 娘小5)
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戦争にまつわるひとりごと