児童書の世界へ

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犬 オオカミ

児童書の世界へ大切な人へのプレゼントに最適!
中学生から
アンジュール-ある犬の物語E
作/ガブリエル・バンサン (ブックローン出版)
 『アンジュール-ある犬の物語』 この題名が、絵本の中にある唯一の「言葉」です。その他に言葉は一切ありません。絵もデッサンのみ。色も一色だけです。それにも関わらず、感情豊かに物語が語られます。

主人公の犬は、飼い主に捨てられてしまいます。孤独とともにさまよいながら、それでもこの犬は、絵本の外側から暖かい眼差しをいっぱいに受け、包まれているようです。それはきっと、作者の大きな思いであり、また読み手である私達のもつ思いなのかもしれません。静かに本を閉じるとき、一匹の犬とともに、自らがその大きな暖かなものでいっぱいに包まれていることを実感できるでしょう。

題名のアンジュールはフランス語で、原題は「un jour, un chien」、英語にすると「a day, a dog」になります。日本語版を出すにあたり、唯一の言葉である題名を「アンジュール-ある犬の物語」と決めるまでに、どれほどの逡巡があったことでしょう。アンジュールを犬の名と思えるこの日本語の題名が、私は好きです。

子どもでももちろん楽しめますが、多くの経験を積んできた大人にこそ深く響く絵本だと思います。

家の常備絵本!
幼児から
おりこうなアニカ (世界傑作絵本シリーズ・スウェーデンの絵本) E
作/エルサ・ベスコフ 訳/いしいとしこ (福音館書店)
 スウェーデンの農場に暮らす幼い女の子アニカは、お母さんに壊れた柵から牛が出ていかないように見ていてね、と頼まれて、大きな牛の近くで遊んでいます。そこに通りかかるちょっと怖そうに見えるおじさんやちょっと乱暴そうに見える大きな男の子、それから小人の家族。ベスコフの物語に出てくる人々はみんなごくごく自然で、とても暖かいので、読んでいて安心できます。この本のように、小さな子どもたちが、たくさんのやさしい人たちに囲まれて、大きな自然の中でゆったりと生活ができる世の中にしていきたいものです。

 息子が幼い頃、ベスコフの本が大好きで何度も何度もたくさん読みました。暖かな家族、豊かな自然、力強い小人たち。子どもたちには満足感と安心を、それから読み手の大人たちにも大きな安らぎを与えてくれます。

子どもの言葉より
「やさしいわんわんの、なんだっけ。やさしいわんわんすきー」「うちにアニカあるよね」ないよ、図書館だよ。と答えると「やーだー」とだだこねました。(息子2歳頃)

幼児から
マドレーヌといぬE
作/ルドウィッヒ・ベーメルマンス 訳/瀬田貞二 (福音館書店)
子どもの行動より
最後のページ、子犬が生まれたところで嬉しそうに声を立てて笑いました。言葉がちょっとむずかしいかな、と思ったけれど、「〜ってなあに」の声をきくことなく、最後まで読むことができました。そして楽しそうに笑ってくれたのでほっとしました。(1997.1 娘5歳)

幼児から
どうながのプレッツェルE
作/マーグレット・レイ H・A・レイ 訳/わたなべしげお (福音館書店)
 胴がとっても長いことが自慢の犬プレッツェルのお話です。特技は、長い胴でパンのプレッツェルの形になること。でも大好きなグレタは、そんなプレッツェルに感心してくれません。どうしたら感心してくれるのでしょう。

子どもの行動より
 娘は幼稚園で細長い茶色の箱をみつけてプレッツェルをつくりました。おうちに持ち帰ると、さっそく首につけたひもをもってお散歩です。ちゃんと口を開けられて、ベロもあります。息子もお気に入り。家中をお散歩させます。夜、「おかたつけしなさい!」のママの言葉に、いつもだったら2人揃ってご機嫌斜めになるところですが、お姉ちゃんは「いいのいいの。○ちゃんはお散歩してて!」と一人できれいに片づけました。自分がつくったプレッツェルを弟にたいそう気に入ってもらえたためか、お姉ちゃんが一気にお姉ちゃんらしくなりました。ふたりともゴキゲン。(娘4歳・息子2歳)

パンを捏ねて、プレッツェルとグレタをつくりました。食べるのがもったいなくて、なかなか食べられません。(1997/4 )

幼児から
さむがりおばさんとクロ
作/吉本宗 (評論社)
 犬の散歩に行こうとすると、外は雪。さむがりおばさんは、たくさん着込んでお散歩に連れて行きます。

 犬の表情が豊かに描かれています。さむがりおばさんのクロへの愛情、思いやりも伝わってきます。(1997/2 )

子どもの行動より
犬のヤツ!と持ってきます。ページをめくるたびに、きゃっきゃっと声を立てて喜びます。(息子2歳頃)

幼児から
ゆうたくんちのいばりいぬE
作/きたやまようこ (あかね書房)
 このシリーズは、ある時期、子ども以上に大人である私が楽しんだのではないかと思います。このシリーズのどの本も、ゆうたくんちに住むシベリアンハスキーじんぺい「オレ」からみた世界が描かれています。じんぺいはいばっているけれどいばりくさってはいない。さめているようでいて、暖かい。ゆうたの家の家族模様を、普通とは違う犬の視点から見ることによって、思いがけない発見があります。だから、人間世界での家族関係に煮え詰まっている方には、特にお勧め。ユーモアたっぷりのじんぺいの視点によってこころがゆるみ、あれ? うちの家族も、もしかしたらこれでいいのかもしれないなぁと、ホッとできるかもしれません。(2006.1)

幼児から
あおいイヌ
作/ナジャ 訳/山中きよみ (福武書店)
エジプトからアメリカへ移住したという作者ナジャの絵は力強く、迫力があります。大きなサイズの本なので、小さな子どもには余計にその迫力が迫ってくるはずです。
 お話の内容は、単純なようでいてとても深いもののように思われます。主人公の少女にとって、何か遠い存在の両親、少女の元に日々現れる大きな野良犬「あおいイヌ」。犬を飼うことを拒否され、バスタブにつかり暖かな湯気に囲まれていながらも悲しげにうつむくやわらかな少女の曲線と、対比されるバスタブの縁に腰掛けた母のタイトスカートに黒いとがったハイヒールの足。
 両親から離れ、深い森に迷い込んでしまった少女と、その少女を助けたあおいイヌ。夜中のくろひょうとの戦いに象徴されるであろう両親のこころの葛藤。何も知らずに安心して寝ている少女。もどってきた家族の絆と、もどってきた少女の輝かしい笑顔。

 絵本なので言葉は少なく、ただ、大きな迫力ある絵がすべてを物語っています。きっと、大人以上にこども達の方が、この本から多くのものがたりを読みとることでしょう。(2006.1)

子どもの言葉より
「あおいイヌ好き。あおいイヌやさしいよね」と、しばらくはなしませんでした。数週間の間、毎晩読みました。(息子2歳〜3歳頃)

小学生(中学年)から
フーチのあおむけすべり E
作/岸川悦子 絵/狩野ふさ子 (学習研究社)
 親の都合で引越をして、我が子がさみしがっていたら、犬を与えようと思うことはあると思う。それでも、子どもは新たに友達をみつけ、犬は忘れられ...。

子どもの言葉より
「物語だけれど、これも本当にあった話なんだろうな。(娘小6)」(2002.12)

小学生(中学年)から
ぼくのそり犬ブエノ S
作/畑正憲 絵/西山史真子(学習研究社)
 このところ小3の息子が何度も「犬ぞりをやってみたい」と言うのでなぜだろうと思っていたら、原因はこの本でした。この本を読むかぎり犬ぞりの訓練は厳しいことが多そうなのに、それでもやってみたいと思ったことに驚かされました。まだまだ、甘えん坊だとばかり思っていたけれど、こころのどこかに一人で挑戦する種みたいなものが、育ちつつあるようです。
 これは畑正憲さんの本なのですね。私は小中学生の頃、お小遣いで畑正憲さんの本をたくさん買いました。畑さんの育てた熊のお話、どんべえ物語には、ずいぶんと泣かされましたっけ。(2002.12)

小学生(高学年)から
野生犬ドール E
作/マイクル・フォックス 訳/藤原英司 絵/加藤孝雄 (国土社)
 「何が大切かを知った人は、そのために働かなければならない。」という最後の一文は、やわらかな娘の心に一撃を食らわしたのではないだろうか。少しずつ、今ではない未来、将来の存在に気がつき始めた小5の娘、勉強もスポーツも音楽的センスも??だし、ものごとの理解力や自己表現に関しては絶望的ではあるけれど、感受性だけは人一倍もっています。一撃を浴びたからといって何が変わるわけでもないけれど、さてどんな人生を送ることやら楽しみです。
 野生に生きる動物の生活を観察して書かれているこの手の本を、娘 は毎回借りてきます。オオカミ、コヨーテなど家族とともに群れをつくる彼らの生活は、彼女に大きな魅力と安心感を与えるように思います。幼少時(3〜6歳頃)、彼女が何度も借りて読んでいた「ねこのオーランドー」、こちらは擬人的なねこの家族のごく平凡な生活が描かれた本でした。成長とともに借りる本は変わりましたが、彼女が求めているものは決して変わることがありません。日常の家族の生活、安定した群れの関係、そういったものを強く求めているようです。身につまされる思いです。(2003.02)

 この本を読んで以降、我が家では上野動物園に行くと「ドール」の前でかなりの時間を過ごすようになりました。集団で活発に動き回るドールは見ていて飽きません。以前、2頭が並び、まったく同じ動きでスピーディに森(?)を駆け抜ける様は惚れ惚れしました。手前にある大きな池もただの飾りではなく、木から水に飛び込んだり、水を飲んだりもしています。地味な動物なのでそれほど人気はないのでしょうが、動物園に行くことがあったら、ドールのことも、ちょっと気にとめてみてくださいね。

↓上野動物園のドール(東京都公式ホームページより)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2003/02/20d2p200.htm

荒野のコヨーテ E
作/マイクル・フォックス 訳/藤原英司 (国土社)
雪原のオオカミ E
作/マイクル・フォックス 訳/藤原英司 (国土社)

小学生(高学年)から
太陽の牙 (偕成社の創作文学 (54))
作/浜たかや (偕成社)

中学生から
クロニクル千古の闇1 オオカミ族の少年
クロニクル千古の闇2 生霊わたり
クロニクル千古の闇3 魂食らい
クロニクル千古の闇4 追放されしもの
クロニクル千古の闇5 復讐の誓い
作/ミシェル・ペイバー (評論社)
 部族間の問題や信仰、出生の秘密や宿命などのキーワードから、読み始めてすぐに「太陽の牙」を思い出しました。オオカミの習性に関してはマイケル・フォックスの著作も参考にしているとのことで、オオカミが好きな私にも、その行動に違和感はなく、大いに楽しめました。まだ2巻までしか出版されていないシリーズものですが、この先がたいへん楽しみです。ただ、題名がいかにもといった風で、もう少しどうにかならなかったのかと思う。電車で読むには少し勇気がいります。

子どもの言葉より
 これ、編集者がもう少しがんばれば、もっとよくなったんじゃないかなぁって思うよ。(2006.7.24 中二娘)

小学生(高学年)から
ジップはゆうれい犬? ES
作/E・リッチモント 訳/長滝谷富貴子 絵/津尾美智子 (文研出版)
 小3の息子は、この本を読んで以降「犬、飼いたい!」を連発しています。読み始めより、現実の世界とファンタジーの世界とが折混ざり、重なり、掛け合い、不思議な協奏曲を聴いているようです。最後には両者の世界がひとつとなり、大きなクライマックスへと向かいます。(2002.11)

中学生から
ペーターという名のオオカミ
作/那須田淳 装画/ミヒャエル・ゾーヴァ(小峰書房)
 舞台は現代のドイツ、主人公は父の仕事でここに住む日本人の少年RIOである。RIOが父親に反感をもって家出をした頃、ベルリンの町にはあるひとつの事件が起きていた。町のどこかに、野生のオオカミが潜んでいるというのだ。町の人々は、見えない恐怖に怯え、騒ぎ、一方で猟友会の人々は腕を鳴らして集まっていた。
 このオオカミの事件を中心として、自ら家族という群れから離れた少年RIOと、群れと群れとの狭間に生きざるを得なかった別の少年と、群れから強引に引き離された人間たちが、各々の群れとの関係をとりもどしてゆく。
 主人公はRIOだが、すべての登場人物にそれぞれの物語がある。ベルリンの壁、ドイツの歴史、その中に生きざるを得なかった人々の苦悩をふまえ、ドイツのもつ美しい文化をもとに、壊されてしまった関係の修復が図られる。作者の人間への思い、ドイツのへの思いが伝わってくる。

 読み終わって余韻に浸りながら、久しぶりに男性によって書かれた作品を読んだと感じた。そう感じて初めて、最近読んで感動させられた本は、女性によるものが多かったことに気がついた。男性による作品と女性による作品のどこが違うのか、少なくとも、主人公の性別による違いではない。今はただ、違うということだけを強く感じています。この違いについては、いつかしっかりと見極めたいものです。(2006.2)

 子どもの言葉より
表紙の絵を見て、『少年のころ』と同じ人が書いた絵だと思ったから借りてみた。まぁその前に、題名でこれは面白いかなと思って手に取ったんだけれどね。絵を見たら絶対そうだと思った。『少年のころ』の最後のところに、この作者の他の作品があって、確かこんな題名が書いてあったもの。(中二娘)

少年のころ

中学生から
片目のオオカミ
作/ダニエル・ペナック 訳/末松氷海子(白水社)
 動物園でオオカミを見たことがあるだろうか。本来ならば深い森林で縄張りを持ち群れで生きるオオカミが、殺風景な狭い檻の中で何を感じ生きているのだろう。何か後ろめたい思いに突き動かされて、オオカミの檻の前からそそくさと逃げるようにして離れてしまうのはなぜだろう。そんな私の思いとは逆に、オオカミの檻の前から離れない少年がいた。それが、この本に登場する少年「アフリカ」だ。

 この本に登場するオオカミも、都会の動物園に暮らしている。かつては遠い地で野生として群れとともに生きていた記憶を持ちながら、人間に捉えられ、片目となり、人間を信じることができずに生きている。ある日オオカミは、一人の少年の存在に気が付く。毎日檻の前に立つその少年に苛立ちながらも、オオカミは少年を無視し続けることができなかった。オオカミがとうとう少年のことを見たとき、少年は、オオカミと同様に片目をつぶる。彼もまた、遠い地からこの都会に来た少年だった。
 少年とオオカミは開かれた片方の目を通して、言葉を必要としない魂の会話を始める。その会話は、閉ざされていた心の深くを解き放っていく。

 目は、ときに言葉以上に深くものを語る。同じ傷をもっているもの同士は、言葉がなくとも、目を見つめ合うだけで多くのことを分かち合うことができる。そして、分かち合うことにより、その傷は癒され、広く開かれた新しい明日への生きる原動力が生まれる。逃げるばかりでなく、正面から見つめる勇気が、明日への扉を開く。

(2002.7)

中学生から
南総里見八犬伝1 妖刀村雨丸 
原作/滝沢馬琴 編著/浜たかや 画/山本タカト(偕成社)
 生協のチラシにこの本が掲載されており、有名なお話なのに内容をきちんとは知らないことに思い当たり借りてきました。どうやら人気があるようで、2巻3巻は貸し出し中。内容はかなり不気味で、首が飛んだり血しぶきがあがったりしますが、最近の安易な本にありがちな惨たらしい場面を書くのを目的として書いてあるわけではなく、意味あって飛ぶわけですから、読んでいて不快感はありませんでした。ただ、私が手を付ける前に息子が一気に読み終えており、しかも一切感想を言わないので少々不安。せめて10才くらいになってから出会って欲しかったように思います。一方の娘は、絵を見ただけで触れようともしません。
 早く続きが読みたいのですが、果たして図書館にあるでしょうか。(2003.3)
南総里見八犬伝2.3.4.
原作/滝沢馬琴 編著/浜たかや 画/山本タカト(偕成社)
 怖いのは嫌いなどと言いながらも、誰よりも楽しんでいたのが娘でした。「それでさ、呪いはどうなっちゃったわけ?」と娘。「最後がちょっとなぁ。もっと続かないとダメだよ」と息子。終わり方が中途半端の尻切れトンボなのですが、最後に出ていた解説を読んで納得しました。現代でも人気のコミックが読者の要望に応えてなかなか終わりにならないのと同じで、滝沢馬琴の時代にも大人気だった八犬伝、ずるずると長引いたのですね。そして、流行り廃りを繰り返しつつ、現代にも残ってきただけあって、娯楽性はぴかいちだと思います。(2003.4)

中学生から
オオカミのようにやさしく ES
作/G・クロス 訳/青海恵子(岩波書店)
 現実とはなにか。ごく普通と思われる祖母との暮らし、突拍子もない母との暮らし、まったく異なる価値観で暮らす人々に翻弄され、ごく普通の少女は混乱し、それでも自分自身を見つけていく。プラスチック爆弾、テロ、スクォッター、慣れない言葉が並ぶ中、それを現実として生きる少女がいることは、同年代の娘(11歳)にとって衝撃だっただろう。象徴としての「オオカミ」が物語にうまく絡んでいる。

これは児童書といえるのでしょうか。大人の小説に限りなく近い印象です。ファンタジーの要素はなく、真っ正面から現実と向き合います。また、この本は登場人物や舞台背景の説明が一切なく始まります。読み始めは、書かれていることの意味がまったくわかりません。それでも頭の片隅に疑問をおきながらがまんして読み進めると、最後にようやく意味が分かる構造になっています。娘が「オオカミのようにやさしく」を読み切ったことは、私にとって衝撃でした。彼女の理解力、思考力は、少しずつ子どもを離れつつあるように思います。本との関わりにおける最近のめまぐるしい成長には、驚かされます。(2002.11)

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