HOME -> 城跡データ -> 山形県の城跡一覧(置賜地方) -> 小桜城
安倍宗任の娘の卯の花姫の居館で、伊達氏が置賜郡を制圧してからは片倉氏の城となった。現在は本丸跡に旧郡役所があり、全体的に市街地に埋もれている。
年代 | 出来事 |
---|---|
1058年頃 | 安倍宗任の娘の卯の花姫がこの館を築いて源義家の襲撃に備えたと伝わる。貞任の娘の説もあり。 |
15世紀頃 | 伊達宗遠によって置賜郡が制圧されると、伊達氏家臣の片倉氏がこの城に置かれた。 |
1542年頃 | 「天文の乱」が勃発すると宮郷の片倉伊賀(片倉景時)は晴宗派に属したため、稙宗派の鮎貝氏、大立目氏、最上氏の攻撃を受けた。一時は野川まで攻め込まれるが、一門と周辺の村地頭を率いて蚕桑まで押し返したという。 |
1553年頃 | 「天文の乱」の終結後、片倉伊賀は小松郷を賜って移り住み、子の片倉壱岐(景親)が伊達晴宗から宮郷の所領を安堵された。 『晴宗公采地下賜録』 |
16世紀後半 | 片倉景綱の居城という説もあるが、景綱は小松郷の片倉館が居城とされており定かではない。 |
1587年 | 鮎貝宗信が最上氏に鞍替えしたため、伊達政宗は鮎貝討伐軍を結成し、最前線のこの城に討伐軍の拠点が置かれたという。 |
1590年頃 | 伊達政宗の岩出山転封によって片倉氏もこの地を去り、城は廃城となったという。 |
1601年頃 | 城跡には米沢藩の蔵が置かれ、1663年には特産品の青苧を収容する蔵屋敷が建てられたという。 |
城は野川、最上川、白川に囲まれた平地にあり、方形の主郭の周囲に外郭が展開する梯郭式に近い縄張りだったとされるが定かではない。土塁が残っているというが確認できず。