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小桜城 こざくらじょう

別名
卯の花館、宮村館
時代
平安時代~安土桃山時代
分類
中世平城
規模
面積:南北180m×東西180m
現状
市指定史跡/旧西置賜郡役所、市街地
場所
山形県長井市大町
最終訪城日
2012年5月26日

安倍宗任の娘の卯の花姫の居館で、伊達氏が置賜郡を制圧してからは片倉氏の城となった。現在は本丸跡に旧郡役所があり、全体的に市街地に埋もれている。

城史

年代 出来事
1058年頃 安倍宗任の娘の卯の花姫がこの館を築いて源義家の襲撃に備えたと伝わる。貞任の娘の説もあり。
15世紀頃 伊達宗遠によって置賜郡が制圧されると、伊達氏家臣の片倉氏がこの城に置かれた。
1542年頃 「天文の乱」が勃発すると宮郷の片倉伊賀(片倉景時)は晴宗派に属したため、稙宗派の鮎貝氏、大立目氏、最上氏の攻撃を受けた。一時は野川まで攻め込まれるが、一門と周辺の村地頭を率いて蚕桑まで押し返したという。
1553年頃 「天文の乱」の終結後、片倉伊賀は小松郷を賜って移り住み、子の片倉壱岐(景親)が伊達晴宗から宮郷の所領を安堵された。 『晴宗公采地下賜録』
16世紀後半 片倉景綱の居城という説もあるが、景綱は小松郷の片倉館が居城とされており定かではない。
1587年 鮎貝宗信が最上氏に鞍替えしたため、伊達政宗は鮎貝討伐軍を結成し、最前線のこの城に討伐軍の拠点が置かれたという。
1590年頃 伊達政宗の岩出山転封によって片倉氏もこの地を去り、城は廃城となったという。
1601年頃 城跡には米沢藩の蔵が置かれ、1663年には特産品の青苧を収容する蔵屋敷が建てられたという。

縄張り

城は野川、最上川、白川に囲まれた平地にあり、方形の主郭の周囲に外郭が展開する梯郭式に近い縄張りだったとされるが定かではない。土塁が残っているというが確認できず。

【本丸跡の旧西置賜郡役所】
基本的に平地だが本丸跡は周囲より少しだけ高くなっており、その中心付近には明治の洋風建築である旧西置賜郡役所が建っている。この隣が公園となっていて、城跡の説明板は駐車場側に立っていた。

【青苧蔵御門】
本丸跡の一角には米沢藩によって蔵が置かれ、1663年に青苧蔵の正門として建てた門が残っている。門は屋根が当時のものとは多少変わっているが、数少ない藩政時代の遺物の一つとなっている。

アクセス

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