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高舘 たかたち

別名
判官館、衣河館
時代
平安時代~中世
分類
平山城?
規模
標高:70m、比高:約30m
現状
高舘義経堂・雑木林
場所
岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所
最終訪城日
2008年11月3日

建てられた時期は不明だが藤原氏の館の一つで、源義経の最後の地と伝わる。今は高舘義経堂と雑木林。

城史

年代 出来事
1045年 かつては安倍頼時が築いて安倍貞任が拠った衣川柵を前身とする説があった。
12世紀 藤原秀衡の居所と伝わる。
1185年頃 藤原基成の居所と伝わる。
1187年1月 藤原秀衡は源頼朝に追われた源義経を保護して衣川の館(高舘)に住まわせたという。
1189年4月30日 藤原秀衡の死後に家督を継いだ泰衡は、源頼朝の圧力に屈して源義経を襲撃し、義経は館にて自刃して果てたという。一説には炎上してこの時に廃城となったともされる。
中世 葛西氏家臣の升沢摂津守の居城と伝わる。
1683年 仙台藩の藩主の伊達綱村の命により、館跡に義経堂が建立される。
1689年 松尾芭蕉がこの場所を訪れて「夏草や 兵どもが 夢の跡」の俳句を残した。

縄張り

城は北上川右岸に接した丘陵にあり、平泉の街の北端に位置している。丘の上の郭は掘で別けられているが、敷地が狭いため、中腹の郭が屋敷があった場所と考えられる。ただ、川によって削られて半分になったという伝えもあるので、丘の上は当時はもうちょい広かったのかもしれない。

【義経堂】(有料区域)
丘陵東側の頂上の郭に建てられている御堂で、1683年に伊達綱村によって建立された。内部には義経の木像が安置されている。なお、基本的に丘陵東側一帯は「高舘義経堂」という有料区域となっている。

【堀切】
丘陵の頂上には堀切があり、これにより郭が分断されている。

【郭跡?】
丘陵の西側や南西中腹には比較的広い郭があるが、記録にある開墾時、又は駐車場とした時に広げられたものかもしれない。西側の配水池建設の際の発掘では平安期の建物跡が見つかっている。

関連施設

【資料館】
義経関連の展示がある小さな資料館。高舘義経堂の中にある。
<開館時間>8:30~16:00(※義経堂全体)
<休館日>不定休(※義経堂全体)
<入館料>200円(※義経堂全体)
<駐車場>義経堂専用駐車場あり
<場所>岩手県平泉町平泉字柳御所14

アクセス

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