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高子館 たかこだて

別名
高子ヶ岡館
時代
鎌倉時代~
分類
中世平山城
規模
標高:90m、比高:約40m
現状
八幡神社、雑木林、畑
場所
福島県伊達市保原町上保原字高子
最終訪城日
2013年4月13日

奥州に下向した伊達朝宗が最初に居館とした場所と伝わり、この事から『伊達家発祥の地』と呼ばれている。現在は八幡神社がある丘で、斜面は畑と果樹園となる。

城史

年代 出来事
1189年冬 奥州合戦での戦功により朝宗は陸奥国伊達郡の地頭職を賜り、伊達姓を称してこの地に冬頃に下向した。この時、高子岡に館を築いて居城としたという。 『伊達正統世次考』
1189~1199年 伊達朝宗は新たに山城として赤舘(西山城)を築き、高子館から居城を移したとされる。 『伊達勤王事歴』

縄張り

城は阿武隈山地から続く丘陵地帯と阿武隈川右岸の低地との境界付近にある丘に築かれており、南西側が丘続きの半島状の小丘だが付け根は元から鞍部でかつては堀切によって切り離されていたという。当時は阿武隈川も城の北麓付近を流れており、それなりに要害だったと思われる。

【頂上(丹露盤)】
丘の頂上は岩がむき出しになっており、北と西側が断崖になっている。『高子二十境』のうちの一つである『丹露盤』という名勝地になっており、ここからの景色はなかなか良い。

【亀岡八幡神社】
頂上より一段低い場所に亀岡八幡神社があり、この神社は伊達朝宗が下向した時に鶴岡八幡宮から勧請したものであるという。この神社のある辺りが郭と呼べなくも無いが、館を築くには狭いのでやはり麓側に居舘があったと考えた方が良さそうだ。

【郭跡?】
丘の南西側の鞍部に向かう場所には畑などになっている空間があり、一見すると郭跡に見える。ただ、こちらの方面は私有地のようで開発で削られた跡が見られるため、郭跡かどうかは定かではない。

【頂上からの景色】
崖下から頂上までは50mあるかどうかという程度の高さだが、ここからの景色はなかなかのものでかつての伊達郡内が良く見える。

アクセス

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