渡辺水巴「白日」
 
渡辺水巴篇「白日」

 第一篇
 四季雑詠(自昭和四年仲秋 至昭和十一年初夏)
 新年
花屋いでゝ満月に年立ちにけり
枯れ草にまじる蓬の初日かな
  修善寺
山路来て正月青き芒かな
正月や山雀あそぶ松さくら
 春
さヾ波は立春の譜をひろげたり
  青梅街道
早春や枯木常磐木たばこ店
空も星もさみどり月夜、春めきぬ
浮葉みえてさヾ波ひろき彼岸かな
灌仏の横向いてゐる夕日かな
海苔舟や鷺みな歩く潮の中
椿映る水やゐもりを追ふゐもり
散るも咲くも枝垂れ明りや薄紅梅
山風のひ音深し梅咲かず
山風は荒御魂飛ぶ梅白し
  富岳好晴
山をあふれ/\水辺のげんげかな
桃咲くやあけぼのめきし夕映に
てのひらに落花とまらぬ月夜かな
  掛茶屋
汁粉すヽる新兵に花過ぎにけり
日と空といづれか溶くる八重桜
  鹿野山
かたまって薄き光の菫かな
九十九谷春行く径消えにけり
 夏
水中の日に縄を張る田植かな
  与瀬舟遊
六月の鶯ひヾく荒瀬かな
篠懸の皮噛む虫や夕立雲
  箱根大涌谷
土用の日巻きこめし霧の匂かな
  十国峠に登る
航空燈台暑し草山尨然と
釣竿の竹大束や鰹船
  修理
船に打つ五尺の釘や夏の海
墓原の鴉きこゆや氷店
下りまじき光や高う行く螢
  鷺山(埼玉野田)
白鷺の牡丹かすめて飛びあへり
花桐やながれあふ鷺脚黒き
竹の子や抱卵の鷺冷々と
巣を造る小鷺は楚々と飛ぶ若葉
摶ち合つて若葉にくづれ鷺叫ぶ
鷺死んで下る新樹の白日や
  東郷元師の葬列お濠端を通過す
新緑や皇居名残の霊柩車
水蜜桃や夜気にじみあふ葉を重ね
天つ日の寂寞さ牡丹咲きいでぬ
ぼうたんや七宝焼の壷に紅たるヽ
  東海禅寺
離れ咲く牡丹は淡し椎落葉
 秋
初秋の花つけている柘榴かな
釣船や鈴の光の秋涼し
蒼空や桑くヾりゆく秋の暮
  麹町元園町にて
仲秋や空めぐる鶴かたむかず
仲秋や屋根の上行く大き鶴
天の原鶴去つて残暑すみにけり
秋風や眼を張つて啼く油蝉
  武州高尾山に南浪の精霊を弔ひて
秋風や墓の下なる滝の音
秋雨や藻刈りすみたる水の上
  月杖居雅宴
十五夜の豪雨しぶくや洗ひ鯉
あさがほの花照りそめつ後の月
秋晴や白日雪をこぼすかに
草穂つかんで立つ蟷螂や佐久平
菊人形たましひのなき匂ひかな 
黄菊ぬれ白菊うるむ朝となんぬ
大星雲すがるヽ菊にうちけぶり
白雲は乱礁の浪や雁来紅
川にひびくひよこの声や草の花
さむうなりし道の垣根や草の花
友の肺に月夜沁むかも草の花
光こめて深くも裂けし柘榴かな 
歯にあてヽ雪の香ふかき林檎かな
  塩原土産を需めて
むらさきは霜がながれし通草かな
行けど/\川浪高し櫨の花
  上野動物園
秋雨や漆黒の斑が動く虎
獣見し匂ひさめたり雨の萩
 冬
年の夜やもの枯れやまぬ風の音
冬の夜やおとろへうごく天の川
葬儀社に鉋の音す霜夜かな 
  禅林
月輪に万霊こもる霜夜かな
うす/\とけぶる梢や冬の月
一等星欅に荒き寒夜かな
  三宝寺池
寒凪の水にやすらふ羽虫かな
潮騒やぶちまけし藍に冬日照る
花売る娘冬の西日に人を見る
頬白来しが跡もとヾめず雪の暮
薄雪の消ゆるま照らす月夜かな
スタンドの燈は何さそふ雪夜なる
雪月夜裸婦の屍伏し/?て
見ゆるかぎり火を発す星雪凍る
啼き帰る鵜にヒリウスの光る雪
藍をふくむ星の光や雪の垣
雪照らして光の渦の日が渡る
霜除や月を率き行くオリオン座
蒼白きものふるへ来る月の霜
星座みなきらめくは霜降りかヽる
草の霜降るは見えざる月夜かな
柿の木の蔕落す鳥や霜日和
みぞるヽや戸ざすに白き夜の芝
ふるヽものを切る隈笹や冬の山
空の蒼さ滝落ちながら氷りけり
ぱり/\と霊柩車行く氷かな
日光はうつろ充たして枯野かな
家建ちて硝子戸入るヽ枯野かな
さいかちの月夜や灯る焼藷屋
疾走するトラックの人ら日向ぼこ
塔婆煽つ風に外套脱ぎにけり
貌すこしうごかしてやみぬ冬の蠅
電燈の明るさに鶴凍てにけり
  東村山
大貯水ふるヽもの鴨と松風ぞ
一つ行きてつヾく声なし鳰
吹かれてより千鳥の脚のそろひけり
天日のきらめき千鳥死ぬもあらん
  友の眼疾癒えず
山茶花の散るさえ黒き眼鏡越し
鶯の眦さむし花八ツ手
八ツ手咲いて金の三日月よく光る
山雀が尾を打つ音の枯木かな
 彼岸の鎌倉
  淨智寺
連翹は雪に明るき彼岸かな
  円覚寺
さむけれどみぞるヽ花に逢ひにけり
降りしきる雪をとどめず辛夷かな
  境内楽々庵
木の芽はむ鵯やみぞるヽ音幽か
木の芽打つて雪はげし句々抹殺す
 北伊豆の旅
  韮山
富士の雪解けぬまげんげさかりなる
雪の富士に藍いくすぢや橡咲いて
大富士は日照り返し梅実る
  山葵沢(上大見村)
山葵田の水音しげき四月かな
癩者住みし山といふ山葵花咲いて
山人が水に束ぬる山葵かな
雪いくたび降りし山葵ぞ抜かれたる
言葉少なに去る山葵田の花ざかり
  山道
天城越え褪せつヽ菫つヾきけり
  一頻駕に乗る
雉子啼くや卯つ木枯萓雲も見つ
蕨老いて天日雲に冷えにけり
天城嶺の雨気に巻きあふ蕨かな
  奥堤峠展望
霽雪に鹿つヾく道ときく若葉
高嶺つヽむ雲の中こそ若葉なれ
風荒き峠の菫冴えにけり
  下山
新緑や水恋鳥が啼きしと云ふ
  湯ヶ嶋落合楼温泉プール
泳ぐ友の妖しく青し春暮るヽ
神饌の夜振か天城雨となり
  朝餉
渓若葉水裂く声は鶺鴒ぞ
  酒中婢に答ふ
奔流や冷えしぞ初夏の蕨汁
 十和田湖
  払曉尻内にて
蝦夷近き雨雲渡る早苗かな
  滝沢の部落を過ぐ
渓流の音に雨添ふ田植かな
  奥入瀬
橡咲くや露わたる音の原始林
マッチ擦れば焔うるはし閑古鳥 
密林や少し明らみ橡の花
水音の中に句を書く新樹かな
新緑や魚棲むらんか枝に石に
新緑やたましひぬれて魚あさる
さみだれや襦袢をしぼる岩魚捕り 
  子の口の案内所にて曉江君に答ふ
昼餉すやさくらは無くも楢の花
  十和田湖
五月雨や蕗浸けしある山の湖
  遊覧船にて
十和田湖や幣の花かもなヽかまど
さみだるヽ鵜に伴ありぬ山の湖
雲こめて帰る鵜遠しさみだるヽ
  小嶋の名を問へば蓬莱と云ふ
水中やさみだるヽ嶋の薄紅葉
さみだるヽさヾ波明り松の花
  一泊して翌朝雨中の緑陰を歩く
短夜やかくも咲きゐし若薺
  半嶋を離るヽ遊覧船より十和田神社
  の方を望みて
社参せぬ身に降りまされ五月雨
  尻内の旗亭に戻りて、斉藤草村君初め
  青森の諸君と遂に名残を断つ
別るヽや炭火なほ燃え閑古鳥
 室戸岬
南海の藍うち晴れて野菊咲く
末枯や怒濤あびしか梧桐林
秋の暮花摘んで遍路足早な
巌仰ぐや胃が痛みきし秋の暮
紺の夜を朱の月いでぬ毘沙姑巌
蛇吊りし家も榕樹の朱の月か
月の出をうしろにきえし遍路かな
岩へ滴るヽ巌の紺や月の潮
 中秋鹿野山
月の餅搗くや鶏頭真ッ赤なる
  白鳥山十三州見晴
風の音は山のまぼろしちんちろりん 
落暉望んで男ばかりや尾花照る
天の原月出づる大気ながれけり
東方に満月うすし十三州
西方に浄土の富士や秋の暮
  白鳥山下の芝原に九十九谷展望
月影のさしきしといふ友の顔
月の句碑影曳くほどにぬれきたり
  深更月笠君と旅館を出でヽふたヽび
  九十九谷にあそぶ
影も二つ月の友かな弟かな
月光にぶつかつて行く山路かな
月の芝煙草すふ手が真白なる
がちゃ/\や月光掬ふ芝の上
句碑照りて明らかに死後の月夜かな

 蒼天
雁行の声落ちにけり冬座敷
  物干台に起ちいでヽ
雁行のとヽのひし天の寒さかな
門松のたちそめし町や雁渡る
雁行に雲荒れもなし年の暮
雁過ぎて水仙に水さしにけり
 我が家
  新年
笹鳴を覗く子と待つ雑煮かな
獅子舞や寒気煽つて耳震ふ
紙鳶あげし手の傷つきて暮天かな
  四日より机に対ふ
輪飾の歯朶青うして選句かな
  春
ほんの少し家賃下りぬ蜆汁 
けふ買ひし金魚眠りぬ宵の春
春の夜や子の貯金箱うすよごれ
  亡父祥月忌霊前
病む友がくれし春夜の牡丹かな
牡丹花に紙覆うてある春夜かな
汁粉できて竹の淡雪凍りけり
  未完成の絶筆「春の野辺」を見る
ひとみなくて飛ぶ蝶白し省亭忌
  伊勢雄君より初子に贈らる
行春やうしろ向けても京人形 
 夏
涼しさや過去帳閉ぢて夜の雨
  初めて子生る
産着着てはやも家族や蝉涼し
薫風や元日から咲く桜草
  東郷元師の訃
汗ばみて甍去を語る家族かな
一筋の秋風なりし蚊遣香
木柱に何も映らず午睡かな
  三伏
風鈴や選句に占めし梯子段
  霊前に鉢植の牡丹を贈らる
包み紙たヽみつ仰ぐ牡丹かな
束ねられて茎の青さの牡丹かな
霊前の夜を花たヽむ牡丹かな
いみじくもふくれきし牡丹覗きけり
鉢抱けばまぶた冷たき牡丹かな
一斉に牡丹散りけり十三片
一つ籠になきがら照らす螢かな 
ひあはひの風に棚経すみにけり
いねし子に電車ひヾくや魂祭
送り火や蒸し暑き夜を去りたまふ
 秋
  二階の藤椅子に凭りて
月の蚊帳に影法師吹かれ秋来たり
月の虫鉦を叩いて穴に居り
 趁うて蓑虫かへる畳かな
蓑虫や足袋穿けば子もはきたがり
  二階書斎
鶴すぎしさヾ波雲や葡萄吸ふ
 冬
さわやかな耳あぶる朝の火桶かな
水仙の束とくや花ふるへつヽ
妹叱つて独り者めくいぶり炭
  独酌
箸にかけて山葵匂はし雪の暮
湯豆腐や輪飾残る薄みどり
湯豆腐や鶯笛を子に鳴らし
並び寝の子と手つないで雪夜かな
肺炎の児に蚊帳くヾる霜夜かな
炭斗や病む児にひヾく蓋の音
  黄雀風君の房州土産を床に活けて
菜の花や一葉は寒の濃紫
  敬太君に示す
風邪見舞のみなよく泳ぐ金魚かな
凍る夜を花もこぼさず桜草
  五十年ぶりの大雪帝都を襲ふ
豆打てば幻影走る吹雪かな
  節分小宴
大吹雪夜食する燈は太陽ぞ

 第弐篇
 四季雑詠(自大正十一年仲春 至昭和四年初秋)
 新年
何の木か梢そろへけり明の春
日白うして鳰啼くや松納
 春
  宇都宮の田園に知辺を訪ひて
桐の実やもの影ほしき春の暮
長閑さや暮れて枯草ふくらめる
樹々に触るヽ手の生き/\と朧かな
  郊外惜春
一樹/\押し来る幹の朧かな
行春や地に寝て犬の耳やすし
行春やしきりに滲む夜の立木
  夜店
春行くや苗一つ/\しまふ燈に
桜餅人の寒さに匂ひいでし
夜を凍てヽ薄色褪せずさくら餅
  萓原
みな去んでもとの一つの蝶々かな
ひらり高う嫩葉食みしか乙鳥
裏梅も見えて夕映ゆ老木かな
梅の夜の雲見てあれば死ぬるかな
月夜鴉水吸ひ上ぐる柳かな
  恋
三日月に誓ふて交すげんげかな 
風明るく蛭に波ある躑躅かな
椎にまじる花に日ありぬ虫柱
門掃かれてあろじ出でずよ夕桜
喧嘩解けし雀ら啼くや花の雨
大藪の揺るヽ夜空や花の雨
  函嶺強羅倉田屋別荘
山めぐりやめて雨聴く桜かな
温泉へ起つや橿鳥翔る花の雨
春行くや樋の水走る窓の岩
  房州鋸山日本寺
顔も膝も蔦の羅漢や夏近き
 夏
短夜や引汐早き草の月
稲妻をさして水ゆく土用かな
乙鳥の朝から翔る暑さかな
  松月院の庭
滝涼しはこぶ餌を待つ小鶺鴒
水無月や仏に咲きし秋海棠
梅雨寒の日の出早かれ柳散る
生垣にさす灯ばかりや五月雨
夕立のあとの大気や石拾ふ
蜂を払つて橡の下ゆく袷かな
水に見るものなくて去る袷かな
  軽井沢
涼む灯ともなくて浅間の夜雨かな
蓑虫は水に下りつ朝納涼
草市のあとかたもなき月夜かな
うしろむいて秋の姿の鹿の子かな 
しづかさや実がちに咲きし桐の花
歩くまもそこらほぐるヽ若葉かな
宇治に仰ぐ日月白き若葉かな
夏木仰げば花をこぼして老いにけり
撞き終へし鐘に雨降る夏木かな
会釈したき夜明の人よ夏柳
筍の竹になる四方の緑かな
薔薇散るや拾ふ子毟ぐ子かヾやかに
月見草はなれ/\に夜明けたり
 秋
初秋や通夜の灯うるむ花氷
引く浪の音はかへらず秋の暮
さヾ波の絶えざる瀞や秋の暮
どの道も秋の夜白し草の中
秋雨や夜明に似たるお茶の花
火種借りて杉垣づたひ星月夜
草木映りて澪の長さや星月夜
  宮田国郎君逝く
月の光友減り/\て澄み来たり
一木も国土を守る月夜かな
  高知五台山竹林寺
ものヽ影みな涅槃なる月夜かな
  室戸岬
乱礁の巣に鳥入りし月の秋
風の音にくさる菌や秋の霜
 苡やひそかに匂ふ秋の霜
うしろから秋風来たり草の中
こほろぎや入る月早き寄席戻り
薮の墓に緑けぶりけり竹の秋
  宇治にて
誰れへ土産となく土瓶買ふ紅葉かな
 冬
かろ/\と帰る葬具の寒さかな
赤い実を喉に落す鳥寒う見ゆ
紫陽花を鳴らす鶲の時雨かな
涙わくや馬が糞する雪の中
ポストから玩具出さうな夜の雪 
寒空やみなあきらかに松ふぐり
百舌鳥啼くや焚火のあとの大凪に
夕映に何の水輪や冬紅葉
落葉踏むやしばし雀と夕焼けて
風の枝に鳥の眼光る落葉かな
白日は我が霊なりし落葉かな
 東都大震
松蔭の避難者よ日の出さわやかに
避難者のうと/\仰ぐ秋の蝉
秋風や余震に灯る油皿
地震あとの土塊ぬらす夜露かな
  余震なほ頻々
地震飽きてふらと出でたる夜寒かな
行李に秘めし位牌取り出す月見かな 
彼岸果つる月夜鴉ぞ明るけれ
十六夜や追炊やめて梨の味
 延寿荘
  東都大震直後より「曲水」発行の関係上
  大阪郊外豊中村に仮寓す
 秋
両手伸べてみな/\今朝の案山子かな
日の出叫ぶ鳥や柿の葉びしょぬれて
布団干すやいしくも濡れし露の蓼
天渺々笑ひたくなりし花野かな 
鶲来て木の実はむペンのすヽみやう
稲懸ける音ほそ/\と月夜かな
 冬
大空のしぐれ匂ふや百舌鳥の贄 
山茶花の垣に挿し過ぐ落穂かな 
寒風や菜に飛ぶ虫の散り/\に
行年の山へ道あり枯茨
除夜の灯のどこも人住む野山かな
 新年
元日の桜咲きけり畑の中
元日や入日に走る宇治の水
元日やお茶の実落ちし夕明り
鶲来て枯木うちはゆ雑煮かな
旅に住みて四方に友ある雑煮かな
 春
茨の芽に日深き山の二月かな
余寒惜む独りかも風の萓に来たり

 我が家
 新年
小照の父母をあろじや明の春
元日やゆくへもしれぬ風の音
雑煮すんで垣根の霜を惜みけり
初夢もなく穿く足袋の裏白し 
大風の夜を真白なる破魔矢かな
  事繁くして妹未だいねず
初鴉白玉椿活ける手の凍え
妹よ二人の朝の初鴉 
 春
茶を焙ず誰も来ぬ春の夕ぐれに
  妹に答ふ
投入に葱こそよけれ春寒き
白日の閑けさ覗く余寒かな
  亡母十三回忌の朝
春浅き牡丹活ける妻よ茶焙は
  亡母霊前
牡丹咲いて我も春夜に逢ひにけり
雀四五日来ずよ庭木の風おぼろ
お涅槃や大風鳴りつ素湯の味
  独居
茶を焙る我と夜明けし雛かな 
空の蒼さ見つヽ飯盛る目刺かな
出そびれて月夜に花の句作かな
障子張る妹に花も過ぎにけり
 夏
涼しさや家計簿にしるすきり/\す
  古き写真を見て
幼な顔の兄妹よ涼充ちきたり   
雀よく干飯をたべて旱かな
蒸し暑き夜を露光る下葉かな
月明に老ゆるひまなし夏の露
夕立やかしこまる蠅に火種掘る
壁の蛾の凍てきし四方の夕立かな
  書斎
小照の父咳もなき夕立かな
冷々と雲に根は無し更衣
朝餉すみし汁やお位牌光をり
朝戸出の腰にしづけき扇かな
屋根瓦ずれ落ちんとして午睡かな 
縁にしなふ竹はねかへし冷奴
妹瓜を揉むま独りの月夜かな
いよヽ秋の油足さうよ走馬燈
魂祭るものかや刻む音さやか
柚子匂ふのみの設けや麻木箸
妻も来よ一つ涼みの露の音  
風蘭に雨月ありけり蚊帳に入る
月焼に散る葉音なし蚊帳に入る
日輪のめぐる夜深し蚊帳に入る
  礼状にしるす
御仏に供へたき鮎や月夕
筍の光放つてむかれたり 
 秋
新月に刈萓活けて茶漬かな
  望みに任せて離別承諾の返事を妻の許へ送る
別るヽやいづこに住むも月の人
若竹の高さすぐれたり秋の空
  路地に住む事はや六年になりぬ
ひあはひに枇杷の葉青し秋の空
妹見よや銀河といふも露の水
 冬
小鼠よ小春何も無き台所
どれも/\寂しう光る小蕪かな
鉢の梅嗅いで息づく寒夜かな
霊膳の湯気の細さや夜の雪 
  独居
雪の音の幽けさに独り茶漬かな
選句しつヽ火種なくしぬ寒雀
寒さ疲れ線香煙らしてながめけり

 第参篇
 東雲(自大正七年初夏 至大正十一年初春)
 新年
町ほの/\鶏逃げあるく出初かな
雑煮待つま八つ手に打ちし水凍る
眠れねば香きく風の二月かな
ぬかるみに夜風ひろごる朧かな
  庭前
冷やかに牡丹蕾み居る遅日かな
  亡父一周忌
花鳥忌やひそかに拝む二日月
大空にすがりたし木の芽さかんなる
芽吹きつヽ枯木のまヽの月夜かな
霜除は納豆の苞や牡丹の芽
山吹や暮れかねつうごく水馬
  柴屋寺に宗長法師の面影を拝す
葉蘭活けて春行くまヽのお木像
  修善寺新井旅館
春を惜む灯に幽かなる河鹿かな
 夏
  亡父百ヶ日逮夜
涼しさのさびし走馬燈火をつがん
  亡父百ヶ日法要
人少なにあれど薫風釈迦如来
卯月住むや楓の花と妹ぎり
梅雨の溝に蛙鳴き澄む深夜かな
  軽井沢散歩
落葉松の緑こぼれん袷かな
寄せ書の灯を吹く風や雨蛙
葭切のさからひ啼ける驟雨かな
花桐やなほ古りまされ妙義山
灯を愛づる夜冷に柿の落花かな
散る薔薇に下り立ちて蜂吹かれけり
  亡父の霊前にて
牡丹散らば寄せて熏べばや釈迦如来
向日葵もなべて影もつ月夜かな
白う咲いてきのふけふなき蓮かな
  犬吠岬にて
北斗露の如し咲きすむ月見草
 秋
散る葉見つヽものぬくみなし天の川
十六夜の寒さや雲なつかしき
宵闇の水うごきたる落葉かな
雲に明けて月夜あとなし秋の風
  亡父の画債整理の為又々遺墨を売却す
妹泣きそ天下の画なり秋の風
啼きやめてばた/?死ねや秋の蝉
秋の夜や啼いて眠りし枝蛙
よべの虫がけろりと歩く落葉かな
障子入れて日影落ちつきぬ雁来紅
きのふ古し遺筆に活けてこぼれ萩
雨をふくむ菊玲瓏とすがれけり
 冬
住みつきて芭蕉玉巻く小春かな
萩刈つてからりと冴えぬ月明り
凍てし木々の響かんとして暮れにけり
 妹
凍てし髪の綿屑知らで夕餉かな
除夜の畳拭くやいのちのしみばかり 
大雪や風鈴鳴りつ暮れてゐし
竹払へば雪滝の如し門燈に
家毎に雪掻く灯影旅に似し
家々の灯るあはれや雪達磨
大雪や寝るまでつがん仏の灯
大雪や幽明わかず町寝たり
空澄みて拝むほかなき枯野かな
夕焼のうすれ山茶花も散りゆくか
山茶花のみだれやうすき天の川
幼な貌の我と歩きたき落葉かな
雲しづかに枯萩の芽の尖りけり
  左衛門氏の遺骨納棺
水仙の花触るヽ顔笑ふべし

 花影(明治四十四年初夏 至大正七年晩春)
 春
法堂や二月厳しき松の幹
春寒く咳入る人形遣かな 
春暁や見たきもの巣の時鳥
雪解風牧場の国旗吹かれけり
曙は王朝の世の蛙かな
巨石占めて莨火擦るや谷の梅
  円覚寺にて
椿落つる時音やある人知らず
手をうたばくづれん花や夜の門
河東語る灯影しづむや花の雨
木がくれて藤残る家の障子かな
 夏
水無月の木陰によれば落葉かな
花過ぎてゆふべに人恋ふ新茶かな
稗蒔を見つヽ妹と午睡かな
三日月にたヽむ日除のほてりかな
昼寄席に晒井の声きこえけり
親と行くたそがれ貌の鹿の子かな
塔の中に秘密なかりし若葉かな
伽藍閉ぢて夜気になりゆく若葉かな
卯の花や戸さヽれぬまの夜気に寝ん
日輪を送りて月の牡丹かな
牡丹二本浸して満つる桶の水
 秋
樹に倚れば落葉せんばかり夜寒かな
  浅草
仲見世を出て行く手なし秋の暮
山国の夜露に劇場出て眠し
  信濃にて
家づとに蕎麦粉忘れじ秋の雨
  三十にして妹嫁がず
秋風に咲く山吹や鏡立
秋風や机の上の小人形
椎落ちて復音もなし歩まんか
家移らばいつ来る町や柳散る
葉を出でヽ雪一塊の芙蓉かな
肥汲が辞儀して活る芙蓉かな
  日光山中
大崩れの崖裾ひろしむら紅葉
 冬
木枯やすかと芭蕉葉切りすてん
  禁酒を命じられて
しぐるヽやなむごろに包む小杯
陶窯を取り出す皿や雪晴るヽ
影落して木精あそべる冬日かな
冬山やどこまで登る郵便夫 
牡丹見せて障子しめたる火桶かな
燈の下に今日の身はなき布団かな
水鳥の声に行かばや擽原
雨までは淡くも日あれ枇杷の花
  父の画堂
寒菊やつながれあるく鴨一つ
今日もなほ咲かぬしづかや冬牡丹

 鶯笛(明治三十三年初春 至明治四十四年晩春)
 新年
庭すこし踏みて元日暮れにけり
町灯りてはや売りにきぬ宝船
 春
数珠屋から母に別れて春日かな
楢林春日あるかぎり踏まんかな
楫取のつぶらなる眼や雪解風
長崎の燈に暮れにけり春の海
一桶の春水流す魚の棚
土雛は昔流人や作りけん
畑打や畑でうべなふ寄進帳
一本の桜吹き散る染場かな
柴漬を揚ぐる人あり花の雨
菜の花が岬をなすや琵琶の湖
 夏
水盤の鷺草飛ばん更衣
柏餅古葉を出づる白さかな
咲きつけて灯に片よりぬ水中花
水中花萍よりもあはれなり
蚊帳越しや合歓は軒端にさめてあり
いさヽかの草市たちし灯かな
掃きよする柘榴の花や蟇
蘭を刈るや刈りしところに水馬
鷭啼くや浮草に潮落ちてあり
二本これ書画を玉巻く芭蕉かな
山百合に雹を降らすは天狗かな
 秋
うそ寒の身を押しつける机かな
  両国
雁しきり来るや江楼書画の会
釣り上げし鱸にうごく大気かな 
鉈豆の蔓の高きに蜻蛉かな
団栗の己が落葉に埋れけり
提灯にほつ/\赤き野萩かな
著せ綿を除けば菊の赤さかな
草花や垣根も無しに台所
 冬
寒き夜の仏に何を参らせん
山国や冬ざれてゐる畑の土
松に菊蕎麦屋の庭の時雨かな
紙漉は枯野に住みて日和かな
煤掃いてなほ残る菊をいとほしむ
ぬかるみに踏まれし歯朶や年の市
乾鮭は仏彫る木の荒削り
打ち返しある山畑の落葉かな
落葉さへあらぬ山路となりにけり
折り取つて日向に赤し寒椿
枯柳雀とまりて色もなし
 

筑摩書房 現代日本文学大系 95
「現代句集」平成12年1月発行 より
 
 
 
 
 

水巴「白日」鑑賞

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