虚子句集感想
 
  黄亀子擲つ闇の深さかな
  遠山に日の当りたる枯野かな
  桐一葉日当たりながら落ちにけり

俳句を始める前から上記の句は大好きで、俳句を始めたころも、歳時記などで虚子の句に出会い、あこがれの俳人でもあった。今回、岩波文庫「虚子5句集」(上・下)を買い求め、初めて虚子の句を通読した。

「子規と虚子」
前回、子規の句も退屈して読んだが、虚子はそれ以上に退屈、途中で投げ出したいぐらいだった。虚子を読んでみて逆に、断然、子規が好きになったと云える。思えば子規の句集には人間性というか、子規の人柄や必死さが伝わってきた。虚子の句集には、そんな人間らしさが感じられなかった。子規が「小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん」と虚子への思いを句に託したのに、「五百句」の中には子規への面影のかけらも、その死を悼む句すら入っていない。虚子を後継者にと託した子規に、ちょっと失敬、冷たいじゃありませんか。そして「朝顔や政治のことはわからざる」のように、戦中、戦後を世間と無関係ですごしたような感じも。
「俳人と評論家・教育者」
私の好きな上記三句は、いずれも虚子40才までの句。彼の句が、生き生きしていたのは、それぐらいまでで、子規よりバトンタッチされた、俳句革新のエネルギー、それが「ホトトギス」の主宰となり、攻める側から、守る側になり、徐々にその革新性が失われていったのではないか。以後は「ホトトギス」のドンとして君臨し、俳句活動より、主宰誌の普及と若手の育成に力をそそいだ。そういう意味で、彼は偉大な指導者であり、良き俳人育成者といえる。現に、彼のもとから、すばらしい俳人が登場したのも虚子あってのことだと思う。
「主宰は神様?」
晩年の句は、句会での句が多い。そして、これが又、私には退屈きわまりない句の羅列。私なら句会で絶対とらないが、はたして、これらの句は句会で高得点をとったのだろうか。「先生、だめですよ、こんな句じゃ」という人は居なかったのか。俳句の神様にもの申す人は居なかったのか。いや、いただろう。でも、もの申す人は、袂を分かっていったのではないか。私は星野立子の句が大好きで、以前、まとめて読んだことがあった。が、同じように、感動したのは全て34才迄の第一句集の中の作品。「玉藻」主宰以後は、人が変わったように、おもしろくない句を量産しだす。主宰というのは、裸の王様になりやすいのでは?とも思ったりもして…。
「慶弔贈答句の達人」
虚子5句集の最後の慶弔贈答句抄をよんで救われた。虚子はやっぱりうまいなーと改めて感服。即興でつくる慶弔贈答句、この力量はさすが虚子をして怪物と言わしめる

ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ
これよりは恋や事業や水温む
とめどなき涙の果ての昼寝かな
素十抱き富士子受取る菖蒲の子
祖母立子声麗らかに子守唄
地球一万余回転冬日にこにこ

 「季語の使い方のうまさ。平明な語」
文章も四コマ漫画も「起承転結」が基本。この句集を読んで、俳句は「起承転」のような気がした。「結」は言わないで想像させる。そして大切な「転」が季語。虚子は、この季語の生かせ方が絶妙にうまい。

かりに着る女の羽織玉子酒
吹きつけて痩せたる人や夏羽織

そして、虚子の句をワープロに打つと、素直に変換される。平易な文章を心がけていたのだろうと思う。
虚子におこられそうな勝手な感想となりましたが、以下、虚子ベスト20。

黄亀子擲つ闇の深さかな      明治41
遠山に日の当りたる枯野かな    明治33
桐一葉日当たりながら落ちにけり  明治39
かりに着る女の羽織玉子酒     大正15
せはしげに叩く木魚や雪の寺    昭和 6
襟巻の狐の顔は別に在り      昭和 8
浴衣着て少女の乳房高からず    昭和 8
一を知って二を知らぬなり卒業す  昭和10
吹きつけて痩せたる人や夏羽織   昭和10
手毬唄かなしきことをうつくしく  昭和14
よろよろと竿がのぼりて柿挟む   昭和15
悲しさはいつも酒気ある夜学の師  昭和17
裸子をひっさげ歩く温泉の廊下   昭和21
流れ星悲しと言ひし女かな     昭和22
蝉取の網過ぎてゆく塀の外     昭和22
念力のゆるみし小春日和かな    昭和22
手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ   昭和24
熱燗に泣きをる上戸ほっておけ   昭和25
羽子つこか手毬つこかともてなしぬ 昭和26
すぐ来いといふ子規の夢明易き   昭和29
 

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