鬼城の句鑑賞
 
村上鬼城を読んで
<鬼城>という俳号と<冬蜂の死にどころなく歩きけり>という句から、今までの私の持っていた鬼城像は怖くて厳しそうな人という印象。今回、県立図書館で検索「群馬文学全集」第3刊を借りて読んだ。今までの鬼城像は私の誤解。通読して、田舎の好々爺とした鬼城の優しさ、暖かさを感じながら、楽しく読ませていただいた。
印象は大きく3つ。

@俳偕味あふれるユーモア
句を読むと真面目で律儀な人というのが伝わる。耳が不自由というハンディを負いながらも、でも人間としてのあたたかさと明るいユーモアあふれる句集。読んでいて、こちらまで楽しくなった。@のベスト10+α
◎痔バンドの腹に喰入る暑さかな  昭和8年版
 痔バンドが俳句になるかー。でもここまでやると、向かうところ敵なし、
 世の中怖いもんなしという感じ。
◎庵主や雛の間に寝る北枕     大正15年版
 昔の父親って結構権威があったのでは。でも娘のための雛飾りで蒲団も窮屈。
 「おい、これ北枕やないか」「がまんしてくださいよ」
◎山中の一軒家の猫孕みけり    大正15年版
 あら、不思議って言う世界。とぼけたユーモアに笑ってしまう。
◎元旦やふどしたたんで枕上    大正6年版
○たんと食うてよき子孕みね桜餅  大正6年版
○今朝秋や見入る鏡に親の顔    大正6年版
○となりから四五本はえて竹の秋  大正15年版
◎菱餅のそりくりかえる五日かな  昭和8年版
○笠飛んで目も鼻もなき案山子かな 昭和8年版
◎何も彼も聞知ってゐる海鼠かな  昭和8年版
◎十六夜や遅参の僧に秀句あり   昭和13年版
○補聴器を祭って年を送りけり   昭和13年版

A生きとし生ける物に対する愛情と抜群の観察力
鬼城といえば生き物の句。句集を読んで、いきとし生ける物への愛情がひしひしと感じられる。一茶もそうだけれど、自分の境遇の苦しさが、同じ世界に生きている生き物への優しい眼差しとなったのでは。Aのベスト10+α
◎闘鶏の眼つぶれて飼はれけり   大正6年版
◎地虫出てまた捜しけり別の穴   大正6年版
○静さに堪へで田螺の移りけり   大正6年版
○痩馬のあはれ機嫌や秋高し    大正6年版
○飼猿や巣箱を出でて月に居る   大正6年版
◎樫の実の落ちて駆け寄る鶏三羽  大正6年版
○冬蜂の死にどころなく歩きけり  大正6年版
○行春や親になりたる盲犬     大正15年版
○高樋を蛇のつるんで落ちにけり  大正15年版
◎秋水を蹴分くる蛙挟みかな    大正15年版
◎鶺鴒のしたたか飲んで飛びにけり 大正15年版
○寒烏戦飽きて唖々と鳴く     昭和8年版
○逃げながら吼立つ犬や冬の月   昭和13年版
○飼鶴の秋の空恋ふ高音かな    昭和13年版
◎蟷螂の頭らまはして居直りぬ   昭和13年版
 この句も、すごい。観察力の強さが、結局表現力になるのだろう。考えてみれば、タモリの物まねのうまさも観察のおかげ。彼もよく動物の生態を観察しているとおもう。写生?

B大正から昭和初期の自然と生活風景がいきいきと
句を読むと、今なくなりつつある、昔の田舎の澄んだ自然と生活が甦る。私も子供のころ、父の田舎の実家へ連れられよく行った。広い庭、放し飼いの鶏、日の当たる筵に干されて広がる種々、牛小屋、蚕部屋、家の中では、長男の主が、囲炉裏の定位置に座る。そんな昔を思い出させてくれた句集となった。Bのベスト10+α
○走馬燈消えてしばらく廻りけり  大正6年版
◎冬山を伐って日当る墓二つ    大正6年版
○川霧にともして並ぶ娼家かな   大正15年版
○菊あげて御堂の錠をおろしけり  大正15年版
○鍬鍛冶や冬木に小さき煙り出し  大正15年版
○よく光る高嶺のの星や寒の入り  昭和8年版
○山焼やかさきてうるむ峰の月   昭和13年版
○音もなくさしくる汐や蘆の角   昭和13年版
◎雹晴れて深山烏の鳴きにけり   昭和13年版
○蓮の花ゆらりとゆれてちりにけり 昭和13年版
◎松笠の真赤にもゆる囲炉裡かな  昭和13年版
 囲炉裏の中で燃える松かさ。姿そのまま、真っ赤に変わる。芸術ですね。
○船住の波にゆらるる炬燵かな   昭和13年版
◎幾人の母になりけん踊かな    明43

いや、子規、虚子と読ませていただいたが、鬼城の句集は面白くて、楽しかった。ファンになりそう。
 
 
 

村山鬼城句集

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