子規の句鑑賞
 
岩波文庫「子規句集」高浜虚子選、全2306句。その中で好きな句にチェック、120句ほど書き出した。その中で、今まで見た句、覚えのある句は除外し、同様、子規の句と分かるので共感、という句も除く。以下、私なりのベスト20句。

  神に灯をあげて戻れば鹿の声    明治25年
  天は晴れ地は湿ふや鍬始      明治26年
  居酒屋の喧嘩押し出す朧月     明治26年
  山吹や人形かわく一むしろ     明治26年
  妻よりは妾の多し門すゞみ     明治26年
  一寸の草に影ありけふの月     明治26年
  金比羅に大絵馬あげる日永哉    明治27年
  絶えず人いこふ夏野の石一つ    明治27年
  燕や酒蔵つゞく灘伊丹       明治28年
  故郷はいとこの多し桃の花     明治28年
  子は寝たり飯はくふたり夕涼    明治28年
  夕立や砂に突き立つ青松葉     明治28年
  汽車過ぎて烟うづまく若葉哉    明治28年
  病む人の病む人をとふ小春哉    明治28年
  暁の氷すり砕く硯かな       明治28年
  白菊の黄菊の何の彼の枯れぬ    明治28年
  名月や笛になるべき竹伐らん    明治29年
  石ころで花いけ打や墓参      明治30年
  筆ちびてかすれし冬の日記哉    明治33年
  十年の苦学毛の無き毛布哉     明治33年
  ラムプ消して行燈ともすや遠蛙   明治34年

*ベスト5鑑賞

  暁の氷すり砕く硯かな       明治28年

暁の氷すり砕く…で、何かなと思えば、硯かな、で一点集中、硯の中に大きな自然が出現する。昨夜、使ったままの硯の残った墨汁にも薄く氷が張りつめている。墨でその氷を割りながら、今日の新しい墨をすり直す。身の引き締まる佳句。

  子は寝たり飯はくふたり夕涼    明治28年

  テレビもラジオも無かった時代の心の豊かさを感じる句。夫が仕事から帰ると子はもう寝ている。ふすまを開けて子の寝顔を見ながら夫婦差し向かいで夕飯。妻の後片づけも終わり、「あー暑いね」と少し暗くなった縁台で夫婦、夕涼み。一日を終えたゆったりとした充実感と爽やかさの感じられる句。あとは、寝るだけ…。

  夕立や砂に突き立つ青松葉     明治28年

取り方二つ。夕立中か、夕立後か。夕立の最中、斜めに降る雨雫と一緒に矢のような細く青い松葉が発止と砂に突き刺さる。灰色の世界に、青い松葉が印象的。
夕立の後の静けさの中、砂という灰色の世界に突き刺さった細く、青い松葉が夕立の激しさを伝える。どちらにしろ印象的な句。子規の唱えた写生句のはしりでは。

  白菊の黄菊の何の彼の枯れぬ    明治28年

白菊が枯れ、黄菊が枯れと具体的なものの説明から、何のかのという言い回しにかたに変わるところに、俳諧味を感じる句。俳句という言葉遊びの楽しさ。
  病む人の病む人をとふ小春哉    明治28年
病気を持った人が、自分以上に重い病気を持った人を思いやり、見舞いに出かける。ありがたいことに、今日は暖かい小春日和。「病む人」「病む人」と重なる暗い言葉のリフレインが、小春という一つの言葉で救われる、作者も読み手も。

*子規俳句読後感想文
「けっこう、月並みな俳句というか、あえていえば、駄句も多いな」というのが、句集を読んだ第一の実感。考えるに、これは句集というより、虚子によって、子規のメモ帳ごときものを集めまとめたものではないか。子規が句集として、自ら推敲しなおし、選択し出版したものではない。生涯で2万句もの句を作ったといわれるが、出来れば子規自らの手でまとめた句集を見たかった。そうであれば、彼の方向ももう少し分かったのでは。でも彼には時間が無かったのだろう。
「絵を描くように俳句を作る」簡単にいえば子規の唱えた「写生」はそういうことだと思っていた。確かに夕立の句、硯の句など、写生句としてすばらしいし、当時としては画期的に、そして現代にも通じる新鮮さを感じる。が、得てして、子規の写生という意識の中で作られたものの中にはイージイに創ったというか、駄句というか、あまり成功していない句が多数というのも私の実感。芭蕉、蕪村以後の「月並調」を批判し、俳句を新しい方向を導いた功績は大を思うが、それが「写生」という実践には結びつくには、少し時間が無かったのではないだろうか。
逆に、人事句というか、人の感情の機微をすらっと詠んだ句、生活感あふれる句に共感した。今に伝えられる子規の句の多くも、彼の思いとは別に、病床の心象を素直に表現した句がほとんどではないか。子規イコール写生ということにもあまりとらわれなくてもいいのでは。
「月並調」を批判して子規は俳句革新をめざした。その「月並調」の月並みと、今、使われている「月並俳句」とは言葉の意味が違うように思う。私自身は「月並み」を、あまりマイナーな意味にはとらえていない。「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」ってのは月並みで良いと思うけどナー。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」鶏頭論争というか、島崎藤村が絶賛し、虚子が選をしなかったのはけしからん、といったとかいわなかったとか。でも、句集を読んだ私の素直な感想は、虚子に賛成。だって
  冬ごもり金平本の二三冊      明治28年
  静かさに雪積りけり三四尺     明治30年
  白露に家四五軒の小村哉      明治26年
  方丈や月見の客の五六人      明治28年
  鯛鮓や一門三十五六人       明治25年
  鶏頭の十四五本もありぬべし
と並べれば、こういう言い方、子規のおはこだったみたい。以前には無かったということで、新しいのは新しいけど…。
*最後に20句には選ばなかったが、前から知っていた子規の句で好きなもの。
  毎年よ彼岸の入に寒いのは     明治26年
  漱石が来て虚子が来て大三十日   明治28年
  小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん 明治29年
  いくたびも雪の深さを尋ねけり   明治29年
  寒からう痒からう人に逢ひたからう 明治30年
  黒きまでに紫深き葡萄かな     明治35年
  糸瓜咲て痰のつまりし仏かな    明治35年
以上、私の勝手な感想文でした。
 
 

正岡子規句集

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