掲載日 1999.12.28

第120回 天皇賞

1枠1番エアジハード
2番アンブラスモア
2枠3番サクラナミキオー
4番メジロブライト
3枠5番ダイワテキサス
6番ステイゴールド
4枠7番セイウンスカイ
8番ユーセイトップラン
5枠9番スペシャルウィーク
10番サイレントハンター
6枠11番スティンガー
12番シルクガーディアン
7枠13番クリスザブレイブ
14番ホッカイルソー
8枠15番メイショウオウドウ
16番キングヘイロー
17番ツルマルツヨシ
1999年12月26日、スペシャルウィークが引退した。17戦10勝、勝ち鞍にはダービー、天皇賞(春)(秋)、ジャパンカップが含まれている。
1900年代最後の年である1999年の競馬界はこの馬を中心に回っていたと思う。この馬は歴代の名馬が為し得なかった事を次々と実現していった。まずはタマモクロス以来、10年ぶりとなる天皇賞(春)(秋)連覇。前人未踏の天皇賞(秋)、JCの制覇。 引退レースとなった有馬記念で再び、グラスワンダーの前に敗れはしたものの、 ゴール寸前まではこの馬の鼻先が前に出ていた。最後はわずか4pの差に涙を飲む事となったが、その強さは疑う余地のないものだと思う。あのシンボリルドルフでさえ、秋GT3連戦を全て勝つ事はなかった。スペシャルウィークはそれと同等の結果を残している。 欲を言えば、キリがない。私はここまで頑張ったスペシャルは凄いと率直に思う。

しかしこのような大記録が始まったのも、このレースがあったからだと私は思っている。 第120回天皇賞。それは東京競馬場の芝2000Mで争われた。レースはスタート前から異様な雰囲気に包まれていた。 一番人気を背負ったセイウンスカイがゲートに収まらない。スタート時刻が5分近く遅れての発走となった。 戦前の予想通りのHペースだった。アンブラスモアがドンドン飛ばし、その後ろをクリスザブレイブ、サイレントハンター、サクラナミキオーが追っていた。 その時この馬は馬群の後方を走っていた。その走りはダービーを制した時とよく似ていた。春先は馬群の先頭を走り危なげなく抜け出していた。しかしこのレースは 自分の最も得意とする形で走った。もしこのレースでも中団に付けていたなら勝てなかったかもしれない。それよりも京都大賞典に続く大惨敗を喫して、駄馬と化していた恐れもある。 このレースでスペシャルウィークは競馬を思い出し、名馬として再び歩みだしたような気がしてならない。もちろん、それには多くの関係者の願いもあっただろうが、この馬が自ら立ち直ったと思いたい。もう二度と彼が競馬場で走っている姿は見られないが、次は子供達にこの馬の栄光の足跡を少しでも辿る者が現れる時まで待つことにしようと思う。 写真
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