か さ ね
■ 曾良随行日記 ■ 
一 同三日 快晴 。辰上尅、玉入ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。

一 四日 浄法寺図書ヘ被招。

一 五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。

一 六日ヨリ九日迄、雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。

一 十日 雨止。日久シテ照。

一 十一日 小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。

一 十二日 雨止。図書被見廻、篠原被誘引

一 十三日 天気吉。津久井氏 被見廻而、八幡ヘ参詣被誘引。

一 十四日 雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参。

一 十五日 雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ 被参。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参 。
■ 奥の細道登載句 ■ 
かさねとは八重撫子の名成べし  曽良
■ 曾良の細道 ■ 
 これ、「おくのほそ道」本文に収録された句で、俳句としては特に評価するに値しないが、「おくのほそ道」かさねの段のほんわかとした雰囲気をよく表した句だと思う。
 作者として曾良さんの名が記されているが、実は曾良さんが作ったという形跡がない。どうやら芭蕉翁が作って「曾良」という名を借りたものと考えられる。
 なぜそんなことをしたのか? 芭蕉翁の「照れ」じゃないかねえ。この句、先に述べたように、独立した詩としての「俳句」という意味ではまるで評価できない。が、前段の本文を含めて考えると、実に見事な句になっている。
 で、芭蕉翁はこう考えた。自分の作品として発表するにはためらいがある、が、よくできた句には違いない。ここは私の分身といってもいい曾良に登場してもらおう。ということでは? ・・・違うかなあ。
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