か さ ね |
● おくのほそ道 本文 |
那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかかりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降、日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明くれば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば野夫といえどもさすがに情しらぬには非ず。いかがすべきや、されども此野は縦横にわかれて、ういうい敷旅人の道ふみたがえん。あやしゅう侍れば、此馬のとどまる所にて馬を返し給えと、かし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したいてはしる。独は小姫にて名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、 |
● ぼくの細道 |
![]() 当時、那須野はほとんど原野だったようだから、道といってもかなりあやしかっただろう。 当時の旅人は足が速い。時速5キロくらいはこなしていた様子はあるが、それは東海道のような広く整備された迷いようのない道でのこと、見知らぬ原野では早くて時速4キロがいいところだろう。だとすれば、この間は17時間を要することになる。これに加えて、雨。いくら途中見るものはない原野だとは言え、ぶっ続けでは歩けない。泣きたくなるような旅だったろう。 幸い途中の農家に宿を得て止宿。 翌日ふたたび黒羽への道をたどったが、だらだらと続く野道に、やんなっちゃった、のだろう。放し飼いの馬を見つけて草刈の男に「なげき」寄り、つまり泣きを入れて、馬を借りることに成功した。 この交渉は、おそらく曽良がやったのだろう。芭蕉先生は、かたわらで今にもひっくり返りそうな演技をしていたに違いない。やるもんだ。 芭蕉を乗せた馬が黒羽を目指して動き出すと、子供が二人走ってついてきた。絵のような風景だが、子供たちにしてみれば、見知らぬ人に大事な馬を盗まれてはならじ、と心配してのことだろう。 名前を聞かれて、つい心配事を口にした。 「かさね(貸さねえ)」(^○^) |
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