黒髪山、曾良
 ● おくのほそ道 本文
 黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。
    剃捨て黒髪山に衣更  曾良
 曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。
 ● ぼくの細道
 私たちは、常識的に、「奥の細道」は翁と曾良の主従二人旅、と知っているからこの本に曾良の名が登場しても違和感はないが、初めて出版物に接した人は「室の八島」の段で登場した曾良とは何者だろうと思うに違いない。そこで芭蕉翁は、ここにいたって曾良を紹介している。
 その紹介の仕方が面白い。まず曾良自身の句を載せて自己紹介させているのだ。
 曾良は、芭蕉翁のこの旅に随行するに当たって、髪を落とし僧形に身を改めた。何もそこまですることはないのだが、その思い切りの良さに翁はいたく感動した、ような書き方だが、曾良が髪を切ったのは前年のこと。この旅とは、直接関係あるまい。
 衣更。曾良は、ここでは季節のことと自らの墨染めへの衣更えを重ね合わせていっているのだが、芭蕉翁は、この旅を通して、衣を更えた曾良の存在が如何に大きかったことか、そのことを翁は言っていると思う。

 ところで髪を下ろして墨染めを着、僧形となったのは曾良ばかりではない。われわれのイメージする芭蕉翁は、まさに僧形だ。俳諧という自らの信ずる世界に己が人生を投じた、すなわち出家したという意味では僧に似ていなくもないが、正確に言えば身分の詐称だろう。(^0^)
 この時代、僧は特別に身分保証された存在だった。寺社奉行により厳しく管理され、庶民とは別格の扱いだった。というのは表向きで、決して少なくない僧を一人ひとり識別することなどそう簡単にはできなかっただろう。特に庶民の自由往来が厳しく制限されていた時代、旅をするには僧形がふさわしかったといえる。
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