壬 生 道 |
● ぼくの細道 | |
![]() ほとんど素通りに近いスピードで通過したのは、これといって見るべきところはなかったということだろうが、下野(栃木県南部)のこのあたりは、丹念に見ると古墳群を初め、国分寺、国分尼寺(左写真)などの史跡もあり、万葉時代にはかなり栄えた地であって興味深い。 ![]() (右)公園内にある万葉歌碑。 「紫の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋めやも」 (大海人皇子=天武天皇) この歌は、額田王の「あかねさす紫野行き標野行き、野守は見ずや君が袖振る」の返歌として、万葉集に収録されている。 |
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(左)落ち葉の降り積んだ疎林の奥で、静かに時の流れを楽しんでいる石塔があった。真偽のほどはわからないが、あの「源氏物語」の作者、紫式部の墓と伝えられている。 |
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(右)金売り吉次の墓。田んぼの真ん中にぽつねんと、が、いかにも歴史の裏方らしく控えめに、鞍馬の牛若丸の思い出を語っているようだった。源義経ファンの芭蕉はもちろん立ち寄っている。吉次の墓、は、実はもうひとつ、福島県の白河にもある。こちらへは芭蕉の立ち寄った形跡はないが、白河のほうが本物らしく見えるのは私だけだろうか。 | ![]() |
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