室の八島
 ● おくのほそ道 本文
 室の八嶋に詣す。同行曽良が曰、「此神は木の花さくや姫の神と申て富士一躰也。無戸室に入て焼給ふちかひのみ中に火々出見のみこと生れ給ひしより室の八嶋と申。又煙を読習し侍もこの謂也」。将、このしろといふ魚を禁ず。縁記の旨世に伝ふ事も侍し。
 ● ぼくの細道
 まずは言葉の解釈から。「室の八島」ってなんだろう?
八島(八洲)、とは日本国のことで、大八島ともいう。八つ(多く)の島で出来ている国、という意味だ。
 が、「室の八島」というと、成語としてちょっと違う意味を持つ。占いの一種で、除夜に八島(かまど)を祓い清め、その時の灰の状態で、翌年の吉凶を占ったことをいう。
 この占いは、実は太古に元になった謂れがある。曽良が解説する「この花咲くや姫伝説」である。この伝説については語る知識がないが、火が重要なキーワードになっており、ここから、かまどや灰、煙が関連付けられたようだ。

 さて、そのことは置いて、歌枕としての「室の八島」を見ることにしよう。
 「室の八島」は、古来、不思議な煙が立ち昇る地として、数々の歌に詠まれ、東国の歌枕として有名な地であった。これは、広く言えば、現在の栃木市惣社町にある大神(おおみわ)神社、狭く言えば、その境内にある八つの島を配した池のことである。
(写真右=室の八島)
 八島にはそれぞれ祭神があり、橋を渡って巡り歩くことで、香取神宮、二荒山神社、熊野神社、富士浅間神社、雷電神社、鹿島神宮、大宰府天満宮、筑波神社の八神に詣でることが出来る。
 かつてこの一帯は湿地帯であり、こんこんと湧き出る水に満たされていたようで、そのために水煙が立ち上っていたという。
 大神(おおみわ)神社とは、その読みの通り、三輪神社のことで、本社は奈良・桜井にある。三輪山がご神体で、わが国最古の神社である。元は、官幣大社の格式である。
 写真は、1月3日の撮影。さぞかし初詣の人で賑わっているだろうと予想していたのだが、見るとおり、閑散?としていた。
 芭蕉が訪れたときはもっとさびしかったようだ。
 定家や実方など、古の詩人が詠んだすばらしい歌の数々で、芭蕉は、歌枕けぶり立つ「室の八島」を夢に描いていたと思う。が、二人が訪れた室の八島は、当時、すでに湧き水は涸れ、空堀になっていたようで、先人たちの歌った「けぶり」を見ることは出来なかった。で、「おくのほそ道」の室の八島の章段は、上記の通り、そっけなく曽良による解説を記したのみになった。
 とはいえ、芭蕉はプロの詩人である。期待したほどではなかったとはいえ、キチンと仕事をこなした。曽良の「俳諧書留」によれば、
   糸遊に 結びつきたる 煙かな
   あなたふと 木の下暗も 日の光
など、数句を発している。
 おやっ?と思った方もあるだろう。2句目、「あなたふと…」はどこかで聞いたことがある? そう。この句は、この後の日光の章段に採用された「あらとうと青葉若葉の日の光」にそっくりなのだ。つまり室の八島での発句「木の下暗も」を下作として「青葉若葉」の句が出来上がったのだろう。
 が、私は「木の下」も好きだ。名作だと思う。「青葉若葉」をしのいでいると言ってもいい。うっそうとして薄暗い森に差し込む小さな木漏れ日、その昔けぶり立つと歌われた室の八島がささやかな名残を見せる…… そういう情景が実に見事に描かれているではないか。これほどの句を下作として葬り去ってしまう芭蕉と言う詩人は、凄いというしかない。

   さて、句碑に採用されている「糸遊……」のほうを見てみよう。
 句の解釈は、昔から煙が歌い継がれてきた室の八島だが、いま来てみるとかげろうが煙と結びついて立ち上っている、と言った感じが一般的だ。「糸遊」という言葉を使って「結び」で煙をつなぐ。手馴れたものだ。
 名句ではあるが、私はこの句にも食えないジジイ芭蕉を見る。
 いいかね。
 「煙かな」と結んだことで、誰もがこの句は室の八島を歌ったものと思い込んでしまう。が、よくよく考えて欲しい。糸遊(かげろう)は、森の中に立つもんじゃない。夏の日差しがあふれかえる野原、道、田畑…… そういうところに立つものだよ。この一点を指摘しただけでわかるだろう? この句は、名句だが、神社がありがたがって碑を建てるような性格のもんじゃない。ヒニクられてるんだぜ。(^○^)
 芭蕉は、いまや煙の立たない室の八島を見て「なあんだ」と思った。神社の森の外は、地平線まで広がる関東平野。夏の日を浴びて陽炎が立っている。こっちのほうがよほど絵になる。
 煙(室の八島伝説)は、いまや陽炎に取り込まれてしまっているじゃないか……
 句碑とか、歌碑と言うものは、ただ建てればいいというものじゃない。その詩の雰囲気を生かし、周囲の風景に溶け込ませるように建ててこそ生きるものだ。
 解説は必要だろうが、周りにこれでもかとばかりにべたべた貼り付けられちゃ、肝心の句碑が死んでしまうってもんだ。(左上写真=芭蕉句碑)
 うん。芭蕉はこれも予知していたのだろう。わしの芸術は、所詮ボンクラどもにはわかりゃあせんだろう、と。
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