関  所
 ● ぼくの細道

 粕壁を発った芭蕉一行は、雨の中、杉戸、幸手を過ぎて利根川の渡し(現栗橋町)にかかる。「おくのほそ道」には、草加以降、室の八島までは何も書かれていないので、この間のことは曽良の日記によるしかない。
 利根川の渡し場には関所があった。
(写真は、栗橋関所跡碑)
 この関所は江戸幕府が交通統制と治安の維持を目的に設けたもので、特に「入鉄砲と出女」を封じるのが目的であった。同じ目的で設けられた関所に、東海道箱根の関、中仙道碓氷の関があり、いずれも詮議が厳しいといわれていた。
 「この日、栗橋の関所を通る。手形も断りもいらず」と、曽良は日記に書いている。厳しいと聞いていたので、手形のチェックや口頭試問の追及を予想して曽良は緊張していたが、意外にもあっさりと通してくれた。拍子抜けした感じが日記の行間に読み取れる。

 ところで、関所というやつ、この時代の旅には厄介ものだった。
(左写真は、不審者と見られて吟味にかけられている様子)
 なにしろ日本国が徳川幕府により統一されているとは言っても、各藩は独立国なのでそれぞれに関所(番所、木戸)を設けて出入りするものをチェックする。伊達藩のように、入国の記録がなければ、出国もできない、というのもあったらしい。
 そのために、今日流に言えばパスポートやビザに当たる「手形」が欠かせない。その上、たいした額ではなかったが、通行税も取られたようだ。
 芭蕉翁と曾良は、この先もたびたび関所(番所、木戸)を通過し、かの有名な尿前の関など、いくつかの番所では不審者と見られて散々絞られることになる。(それについては面白い話があるのだが、後のお楽しみということにしておこう。出羽路にかかったら要注意、ね)
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