千  住
 ● おくのほそ道 本文
 弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の嶺幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼし。
むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
    行春や鳥啼魚の目は泪
 是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。

 ● ぼくの細道
 一般に旅というものには、計画がともなう。「計画」なんて大仰なものじゃなくても、おおよそどこへ行くのか、いつ帰るのか、予定というものがあるものだ。だが、芭蕉翁の「奥の細道」の旅には、計画もなければ予定もなかった。つまり陸奥から北陸路を通って大垣へ行くなどとはもともと考えてもおらず、その時その時の気まま旅、すなわち「放浪」が目的だったと思う。
 旅の計画、予定というものは、「帰る」べき生活の基盤、住居というものがあって成り立つもので、それを旅においてしまえば計画も予定もいらなくなってしまう。旅がらすあるいはホームレスと言ってもよかろう。家などというわずらわしいものを捨ててしまうと、なんと気楽なことか。奥の細道で、翁は笠島の道祖神に取り殺されたかったのではないか。(^○^)
    行く春や鳥なき魚の目は泪
 旅立ちの一句を、翁は、こう詠んだ。なんと悲しい響きを持った句ではないか。葬送の歌、と言ってもいい。そんなに悲しい別れのときだったのか。そうでもない、これは文章上の修飾で、実はもうちょっと明るい別れだったと思う。
    鮎の子の白魚送る別れかな
 翁には、このとき詠んだと思われるこんな句もある。明るい、なんとなくユーモラスな句だと思わない?
 まあ、何であれ、別れは悲しいには違いない。それを「おくのほそ道」というこの旅の雰囲気作りのために、ことさらに描いたのだと思う。食えないジイサンだ。(^○^)
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