深 川 |
● おくのほそ道 本文 |
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに |
● ぼくの細道 |
![]() もともと幕府の事業として埋め立てて拓かれた新開地だ。そこには木場を中心として庶民の就職口があり、岡場所と呼ばれた快楽の場があって活気に満ちていた。 そんな猥雑な町へ、詩人松尾芭蕉は、それまで住んでいた閑静な関口から移ってきた。スポンサーの関係やらなにやら、さまざまな事情があったのだろうが、なによりも詩人芭蕉翁にとって、閑静さよりも猥雑さのほうが好ましかったからだと思う。 静よりも動。もともと武士だった芭蕉の血は、静止した風景よりも脈動する大自然の営みにこそ騒がされたのではなかろうか。じっと止まった古池に小さな蛙を飛び込ませたのもそのためだ。静寂の中に蛙が描いた波紋と音は、まるで嵐のようにとどろいた。その蛙を、芭蕉翁はこよなく愛した。 |
![]() 芭蕉翁は、敬愛する文学の道の先輩、実方に手招きをされていたのではないか。深読みに過ぎるかなあ。 (写真上は、芭蕉展望公園の翁像。右は、芭蕉庵の想像模型) |
旅程索引 | 碑めぐり | 千住→ |