1997.12.17
私が童謡「青い眼の人形」のモデルは何でしょう? と質問したところ、
とても熱心に調べてくれました。
「キューピー説は確かめられず。」
いくつか参考になりそうな文献を以下に挙げます。
『大月CDブック 七つの子 野口雨情歌のふるさと』(古茂田信男著 大月書店 1992年)では、
「この童謡が作られたころは、外国製のセルロイドが珍しいものでした。 (中略)
子どもたちはそのセルロイド製の人形を大事に大事にしながら遊びました。
雨情は、それに興味を覚え、異国の夢と結びつけて子ども心をうたったのでしょう。」(65ページから)
とあり、特にどのような人形がモデルであるのかには言及していません。
また、『日本童謡童画史』では、
「大正期の文化の特徴はアメリカナイズされたラテン文化の流行であったと云っていいでしょう。
ダンスがはやり、おもちゃのキューピーや青い目の人形が輸入されてきたのです。
この童謡はそうした社会現象に対する発想から生まれている歌です。」
とあります。
茨城県土浦市の土浦市立博物館で開かれた、
第16回企画展「青い目の人形―戦争と平和の証言者―」のパンフレット
「人形名撰 横浜人形の家コレクション」
(編集:(社)横浜国際観光協会 横浜人形の家/発行:龍野市立歴史文化資料館、土浦市立博物館)
では、
「〈青い目の人形の来日〉(中略)
これらの親善人形は、折しも1922(大正10)年に発表された
童謡「青い眼のお人形」(野口雨情作詞、本居長世作曲)の
流行とも重なり、「青い目の人形」の名で親しまれた。」
とあります。
雑誌「サライ」(小学館 1997/8/7)のとじこみ付録「童謡・唱歌の世界」では
「青い目の人形というのは実はキューピーだった」という文章があり、
「日本人にとって、この歌に出てくる「アメリカ生まれのセルロイド」は、
「フランス人形」だという思いが強いのではないだろうか。
このイメージの源は、昭和2年にアメリカの宣教師が日本の子どもたちへと
贈った人形にありそうだ。この人形、フランス人形ではなく、ドイツ生まれの
ビスクドールが中心だったが、それらと混同したというのが真相らしい。
そこで、浮上するのが「キューピー説」である。1909年(明治42年)にアメリ
カで生まれたキューピーは、日本でも大人気。セルロイド製ということや、時
代背景からいっても、野口雨情がイメージしていたのは、
このキューピーではないかと考えたほうが自然なのである。」
とあるのですが、「キューピー説」の根拠が曖昧で、
ほとんど唐突に登場するという感じなので、信憑性に乏しいと思われます。
また、「青い眼の人形」が掲載された「金の船」大正10年12月号の誌面を掲載しており、
この挿し絵には着物を着た少女と熊のぬいぐるみ、日本風の人形、
そして外国風の人形(キューピーではない)が描かれているのですが、
この事には全くふれていないという点も疑問です。
最近、水戸市のツルヤブックセンターという書店から刊行された本でも、
雨情の「青い眼の人形」はキューピーだとする文章が載っているとのことなのですが、
まだ入手できていないので、また後日メールいたします。
ただし、読んだ人の話ではこの本の「キューピー説」も
特に確証のある根拠は書いていないとのことです。
また、キユーピー株式会社のWebページによれば、「キユーピーマヨネーズ」
の発売は大正14年だそうです。参考までに。
http://www.kewpie.co.jp/4712.html
(残念ながら、このページは既になくなっています。)