2010年6月18日(金)  プジヨーのミル

コーヒーをしばらく飲んでいない。このひと月ほどの間に飲んだ記憶は2回だけである。
嫌いになったのではなく、体が受け付けないのでもなく、飲みたい気持ちがあるにもかかわらず、飲めなかった。とても忙しかったのだ。
ぼくにとってのコーヒーは、儀式のようなところがある。コーヒーを淹れるのは、もちろん飲むためだが、ぼくは飲むまでの過程を楽しむ。だからコーヒーメイカーで淹れようとは決して思わない。コーヒーは同じ豆を同じ方法で淹れたつもりでもその時々で香りや味は微妙に違う。いや、コーヒーの香りや味は同じなのかもしれない。それを味わう自分の舌や、そのときの精神的な身の置き方の違いがそう感じさせるのかもしれない。

コーヒーを淹れること楽しむにはゆとりが必要だ。性急に入れたコーヒーなどうまいわけがない。とりわけ豆をミルでガリガリやるときの音、手に伝わる感触、匂い始める砕かれた豆、それらがたまらない。ハンドルを回していると、何故か不思議と無心になれる。水の質、湧かし加減、それをドリッパーの豆に差す加減。それらですべてが決まる。幾分緊張する瞬間である。
コーヒー好きには当たり前のことながら、挽いた豆など買わない。風味がまったく違うからだ。豆は淹れる直前に挽くに限る。凝り性のコーヒー好きは、生の豆を自分で焙煎する。
忙しいときこそ、コーヒーを淹れて一服したい。しかし、それらの過程をなおざりにするくらいなら、コーヒーを淹れないほうがいい。そういう論理で、しばらくコーヒーを飲まなかった。コーヒーを淹れることが気分転換となり、ひと心地がつくことも考えられた。しかし時間がそれを許してくれなかった。こんな忙しさは、しばらくなかった。

4月に知らない人からメールがきた。
ぼくのサイトの雜賀雑貨に掲載しているミルについての問い合わせだった。プジョーのディアボロを以前から欲しいと思っていたが、入荷したら連絡が欲しい。そういう内容だった。
この人は誤解をされているなと思った。メニュー頁に書いているように、所有しているもので手放してもいいものを、ぼくは雜賀雑貨に載せている。ものが多くなりすぎたから、欲しい人があればということだ。基本的に売るために購入しているのではない。ぼくは凝り性で、何かに関心を持つと、かなり徹底的にやる。少し前まで、G1というプジョーのミルを10個以上持っていた。

コーヒーを飲みはじめてから、ミルが重要なことに気がついた。行き着いたのがプジョーのミル、なかでもG1だった。形も使い勝手もいい。どんなものでもそうなのだけれど、使ってみなければ本質はわからない。ぼくはこのミルに惚れ込んだ。そうなると、のめり込む性格である。製造されて60年が経つ品物だから、同じ品物でも使われていた状況で感触がまるで違う。使ったの人の使い方の痕跡が品物に残るのだ。それが個々の味となる。
現在、世界中には様々なミルが存在する。しかしそれらの多くがプジョーの製品を真似ている節がある。それだけこの会社の製品が優れているということだ。現在は多くの改良を経て、プジョーよりも優れたミルが存在するかもしれない。しかしそんなことはどうでもいい。ぼくはプジョーの古い鉄製ミルが好きである。
乱暴に扱われたものは塗装の剥がれが目立つし、逆に塗装がとてもきれいなものも、塗装がはがれすぎてリペイントされているものもある。見た目だけでなく、心臓部のグラインダーからも以前の持ち主の使い方がわかる。いわゆる「癖」というものだ。それらが相まって、同じ品物でありながら、ひとつひとつが別のものになっている。
分解して手入れをして組み立て直し、それでコーヒー豆を挽くときの心情は格別だ。
電動ミルは挽き具合の調整が難しい。挽く時間の長短で荒くも細かくもなるが、その時間のわずかな違いが、豆の粗さ細かさに現れる。極端にいえば、1秒の差が挽き具合に反映される。
手動ミルはそんなことを気にしなくてもいい。豆の挽き具合をピンで調節できるからだ。自分の好みに調節しておけばいつでも同じ粒に仕上がる。ハンドルを回しているときの感触で、豆の焙煎の具合もわかる。電動式では決して感じることのできない感覚である。ぼくは同じミルをそれぞれ違う挽き具合に調整し、細かく挽けるものから、粗挽きまで順番に並べていた。

しかし、そんな贅沢は続かなかった。贅沢が続かなかったのではなく、お金が続かなかったのだ。様々なものに興味があるから、手にしたいものが他にもある。そのくせ、お金はない。それなら手元にあるものを売るしかない。雜賀雑貨はその果ての産物である。
(ちなみに『Pen』という雑誌の3月15日号に、G1が名品として紹介されていたが、気が進まない品だった。塗装が剥がれていてもぼくは一向に気にしない。むしろ使われてきたものだから、塗装の剥がれなどあるのが当然なのだ。それが却って味になる。ただそのG1の剥がれ方は渋い味ではなく、醜い方向だった。それでも31500円)。


ディアポロも魅力あるミルだから持っていた。それはぼくが数年前に手に入れたプジョーの最初のミルで、思い入れがあった。考えた末に、自分用として使っているものを譲ってもいい、と返事に書いた。そうして大分県境に近い福岡県にミルは旅発った。

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雜賀さまへ

このたびは、私のぶしつけな問い合わせのメールに対して
本当に親切丁寧にご対応していただき、ありがとうございました。

雜賀さまのことも何も存じ上げておらず、失礼なメールを
送ったのは 私の無知が成せた偉業だと思ってます(笑)。

昨日、ミルを受け取りました。
中身、外見ともに、雜賀さまの説明どうりの見事なものでした。
私は母と2人で暮らしているのですが、古道具を何も知らない母も
ミルを見せたら
「なんか昔らしい色と形でかわいいね」と言ってました。

大切に使用させていただきます。
本当にありがとうございました。

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この人は写真ではなく、プジョーというキーワードでぼくのサイトにヒットしたことがわかる。それはともかく、すでに何度もやり取りをしたメールで、Iさんなら大切に使ってもらえるだろうと思った。
ぼくは返事を書いた。

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(略)
ぼくの手元にあるよりは、Iさんのような人に使われて良かったと感じています。

お母さんの一言に驚き、とても嬉しくなりました。人柄が伺えました。
アンティークを知る知らないではなく、ものにきちんと接する人には、
本質は伝わるのだと、あらためて思いました。

心が穏やかになるメールを頂き、良い気持ちになりました。
(略)

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Iさんとお母さんがどういう人たちなのかは知らない。ただ、頂いたメールで、想像はできる。
ぼくは30年前に他界した母を急に思い出した。



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