2010年4月15日(木)  左で打ってみなさい

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王と荒川が初めて出会ったのは、王が中学2年生だった1954年の秋にさかのぼる。毎日(現ロッテ)の外野手だった荒川は、ある日、家の近所に少年野球を見物に行った。そこで体格の良い左投手が目に留まった。その少年は、打つ時は右で打っていた。それが王だった。
荒川は声を掛けた。「なぜ、君は左投げなのに右で打つのか。左で打ってみなさい」。王は素直に左打席に立ち、二塁打を放った。
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荒川は56年前の王の印象をこう語る。「アドバイスに『ハイ』と言って従った。言うことを聞かなかったら、それで終わり。素直でないとうまくなれない」。王の素直な性格が荒川を引きつけ、将来の「一本足打法」へとつながった。
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今朝の毎日新聞のスポーツ欄にこんな記事があった。「王貞治の野球人生」という連載の3回目だった。「球道」という大見出しが鼻についたからこれまで読まなかったのに、今日は何となく読んでしまった。

巡り合わせとは妙なものだ。後年、ふたりは巨人の打撃コーチと選手という関係になっていた。
そして結果を知っている者には当然のことながら、荒川博と王貞治は伝説となる。伝説とは、本人が亡くなってから語り継がれていくものである。ところがふたりは生きながら伝説となった。
希有の打者とそれを育てたコーチ。ふたりは単なるコーチと選手の関係ではなく、師弟と呼ぶべき深い絆があり、あまりにも多くの逸話が存在したからだ。
王はセンバツで優勝投手となり、その打撃センスを見込まれて巨人に入団する。しかし、期待を裏切り続けた。「王、王、三振王」。期待が大きければ大きいほどに、ヤジは辛辣さを増していく。それは心に刺さるトゲ、あるいは笑いと事実を溶かし込んだ毒のようなものである。心の弱い者は、そこで消え去る。
王に遅れること3年、荒川が巨人のコーチに就任する。三振王は荒川の自宅であらゆる試行に取り組んだ。そして荒川道場の日々はついに一本足打法に極められた。王はホームラン王だけでなく、三冠王として開花する。世界に誇る驚異の野球人の誕生である。
野球のワールドカップとも呼ばれるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、日本チームの初代監督であった王が、開催国のアメリカで現役大リーガーたちからサイン攻めに遭うのをテレビで見た。王は今でも「世界の王」なのである。
荒川がいて、王が生まれた。王がいて、荒川は名伯楽と呼ばれるようになった。
ふたりが出会っていなければ・・・。そう、荒川がいなければ、王は普通の選手で終わったかもしれない。人の出会いとは、偶然でありなから、運命ともいえるところがある。

師を選ぶのも才能のうち。
常々そんなことを思っている。名を残す人は、人生を導き、ともに思考をしてくれる師に恵まれる、という裏や過去を持っている。もちろん、本人に才があるかどうかが一番の要因だ。そういう人間に「目から鱗」の体験をさせられるかどうかが、指導する側には問われる。それができれば、あとは放っておいても人は自分で伸びていく。
ある人の教えを受けている間は、芽が出なかったのに、違う人から指導を受けることで、才能を開花させることがある。アートでも、スポーツでも、科学でも、あらゆるジャンルで王と荒川のような事例は存在する。
指導する側にかかっている部分が大きいのだ。本質をわかっているか、人を見る目があるか。・・・。そんないくつもの連鎖が、人を育てることに結びついていく。指導される側がどれだけ指導者を信頼するかでもある。
こう書きながら、ハタと考えてしまう。ぼくは師と言われるようなタイプではないとつくづく思う。師という言葉には崇高なものを感じてしまうが、そのイメージにそぐわない冗談やバカをよくやる。
それはともかく、師も人を選ぶが、人は師を選べるのだ。誰を師とするかで、自分が決まってしまうことがある。

いま、荒川さんと王さんのような師弟関係が、一部の職を除き、遠い記憶になろうとしている。師弟関係が存在しにくい社会になりつつあると言うべきだろうか。人間関係がとても希薄である。ワークショップを一年の途中でやめてしまった人間たちを思うとき、その例を見る気がする。
昨年度にやめたふたりがそうだった。ある種の才能と呼ぶべきものを持ちながら、リタイアしていく彼らを惜しいと思う。写真をやめるなら仕方ないけれど、そうではないだろう。別の誰かにつくのか、ひとりでやっていくのか。しかし、彼らは誰から教えを乞うても、結局同じではないかと思う。また、ひとりでやれるほどのタフさを持ち合わせているとは思えない。人ごとながら、それを憂う。
表向き彼らは「ハイ」という。ただ、それは王貞治さんが荒川さんに言った素直な「ハイ」とは違う。仕方なくの、とりあえずの返事である。それはその後の行動やレポートに現れていた。レポートを読むと、ぼくの話を聞いているのだろうか、という歯がゆさがあった。素直になることが、自分を捨てることだと勘違いしているように思えた。あまりにも頑なにすぎるなら、ワークショップに来る意味はない。頑なすぎる頭に、ぼくや他の参加者たちの話が、入り込む余地のあるはずがない。
ところが反面、妙に脆弱である。聞き捨ててもいいほどの他人の言葉に、いつまでもくよくよし、右往左往を繰り返している。
尊大とも取れるレポートと、簡単に折れそうになる心。この矛盾を、どう捉えればいいのかわからない。極端に振れる心模様は、ふたりに共通するように思う。彼らも自分の中の他人のような自分に戸惑っているのかも知れない。
そんなときのためのワークショップであったはずなのに、その役目を果たさなかったようである。腹を割って、彼らはもっと話すべきだったと思う。
苦しいときこそ、踏ん張るとき。写真をやめるのはいつでもできる。彼らの前途が明るいものになればと願う気持ちだけがある。

関わってきたあちこちの場で、こんな人間が確実に増えている。この傾向は男に顕著である。
こんな若者の現状と、モンスターと呼ばれる、あるいは大学の入・卒業式に休みまでとって駆けつける親の出現、学生にべんちゃらを言って取り入る教師、学生をお客扱いする大学、これらの様々な現象を見ると、教育の現場が確実に様変わりしてきたことを実感する。少子化はこれにますます拍車をかけるだろう。
これでは「人間」が育たない。

この文章を書いているとき、あまりの眠さに、ソファーに横になった。気分転換にテレビを付けたら、『のだめカンタービレ』というドラマの再放送をやっていた。のだめが、ヨーロッパに行くかどうかで迷っている千秋(?)という指揮者志望の男に、大声でこう言う。
「グズクズしとるんじゃなか! ケツの穴の小さか男たいね!!!」
笑った。眠気が飛んだ。このセリフは、あのふたりに、そして今の日本の男に向けて発せられたように思えた。
便器の自分の糞を見た。



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