2010年4月7日(水)  春

まさに満開だったけれど、桜に誘われたわけではなく、散歩に行った。
駅前を抜け、踏切を渡るとかなり広い公園がある。遊具のないただの広っぱである。土曜にも関わらずいつものように人はまばらで、野球に興じる花見の人たちや、犬の散歩をする人たちだけだった。
ふたりの女の子が地面を見ている。何をしているのかと尋ねると、見せてくれた小さなカゴにはつくしがあった。食べるのかと聞いたら、首を横に振った。お母さんに作ってもらいなさいと食べ方を教えた。

トートパックからグローブを取り出し、かみさんとキャッチボールを始めた。ボールを握るのは一年ぶりだ。かみさん相手にゆるいボールを投げた。
40代はよく野球をやった。かみさんの会社の某チームに入れてもらい、しょっちゅう試合に出た。馴染みにしていたチームがお膳立てをしてくれ「大球場シリーズ」というのをやった。神宮、横浜、東京ドーム、西武ドーム、千葉ロッテ球場、今はなき川崎球場と、プロ野球が使う関東の球場すべてを又に掛けた。川崎はぼくたちの試合が球場最後の試合となった。前日のニュース・ステーションでは、閉鎖される川崎球場からLIVE中継していた。久米宏さんとレポーターの長嶋茂雄の娘・美奈さんが番組の中で書いたチョークの相合い傘が、そのままダッグアウトの壁に残されていた。
ぼくはそれらの球場のすべてのマウンドに立った。ぼくがエース(ピッチャー)だったのだ。なんとも心もとないチームであることがそれで知れてしまう。それでも社内の野球大会で優勝し、ぼくはMVPのトロフィーをもらった。
毎日ダンベルで腕を鍛え、腹筋、背筋の運動をしていた。試合相手のチームからも声がかかって2チームに所属し、あちこちで試合をした。今もふたつのユニフォームを持っている。

知り合いの犬が来て、フリスビーやボール遊びを始めたから、キャッチボールをやめてそちらに向かった。犬はぼくたちを認めると走り寄ってキューキューと甘えた。
シェークスピアの物語からもらい受けた、ジョクという由緒ある名前をその犬はもっている。しかし、かまってくれる人なら誰にでもすり寄っていく性格ゆえに、「こいつはゴマスリなんですよ」と飼い主からバラされ、そのときからわが家では「ゴマスリ」「ゴマちゃん」という通称で呼んだ。
ゴマスリはスコットランド原産の小型犬で、白黒で短足、耳が大きい。飼い主は建築家で、ときどき仕事で海外に出かけ、そのたびにお供をする。まだ3歳だというのに、すでに何度もイギリスとドイツを往復し、今年は厳寒のNYに2週間も滞在した。飼い主は寒さに閉口したが、ゴマスリはものともせずに散歩を楽しんだという。
その日、不名誉な通称を返上すべく、ゴマスリは奮闘した。飼い主が15mほど先にフリスビーを投げる。それが地に落ちようとした刹那、全速力で追いかけたゴマスリは一瞬に跳び上がり、それを見事に掠め取る。その瞬間の美しい体の反応と動き。そしてどうだと言わんばかりの顔で、飼い主の元までフリスビーを持ち帰る。飽きずに何度もそれを繰り返し、ぼくたちは感嘆の声を上げ続ける。
ところがしばらくするとさすがに疲れ、フリスビーを持ち帰るなり、ゴロンと仰向けになって万歳の格好をとる。勇姿とそのダレた格好のギャップこそ、ゴマスリの真骨頂だ。「疲れた?」と言いつつ腹をさすってやると、トロンとした目つきになる。
戸建てに住んだら犬を飼おうと言いつつ果たせず、他人の犬をいつもかまっている。

夕食の買い物を済ませて家に帰ると、肩や腕が疲れていた。ヤワになったものだと思いつつ、春を感じた一日だったとも思う。何ヶ月ぶりかでビールを飲んだ。



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