2010年3月18日(木)  蕎麦と天ぷら

外食をした。
ここ数年というもの、外食はせいぜい月に一度ほどである。まったくしない月もある。そんなぼくが二日続けて外食をした。

13日、ワークショップが終わると、わが家から12、3分ほど歩き、塾生の牧君と蕎麦を食べにいった。彼はその店を少し手前から見つけ、あの店ですかと言ったが、そこには、うまい蕎麦と言ったぼくの言葉と、店の佇まいにギャップを感じたようすが感じられた。確かに店の外観には蕎麦屋という風情はなかった。テーブルも5つほどだ。ちょうど夕食どきで、めずらしく席は埋っており、仕方なく入り口間近の落ち着かないテーブルに向き合い、ふたりで天せいろを頼んだ。

薬味とつゆが出て、しばらくするとせいろが、そして最後にアツアツの天ぷらがきた。
ぼくはせいろに箸をつけた。牧君もぼくと同じ行為をした。同じ行為とわざわざ言うのは、蕎麦を普通に食べたのではなかったからだ。まず、つゆをつけずに蕎麦だけを食べる。蕎麦だけを味わえば、その蕎麦がどれほどのものかは、すぐにわかる。彼はぼくの真似をしたのではなく、自らそうしたようである。なかなかやるな、と思った。
「とても香りがありますね」
「そうだろう? しかもこの蕎麦、二八だよ」
それを聞いて彼は驚いた。二八とはそば粉が八割、つなぎが二割の蕎麦である。蕎麦は蕎麦粉だけで作る十割蕎麦の方がうまい。ただ、蕎麦粉だけではまとまりが悪く、下手をすればボソボソになって茹でる時にブツブツと切れやすい。だからつなぎを混ぜて切れにくく、歯ごたえのある蕎麦にするが、その代わり蕎麦の香りや味は薄くなってしまう。
要するに十割を出せる店は、そば打ちの腕がいいということだ。その店で最初は十割を食べていた。しかし試しに食べた二八蕎麦は、想像以上だった。それなら値段の安い二八でいい。それがわが家の結論になった。以来、二八ばかり食べている。

ふたりで黙々と食べた。ふと気がつくと彼は薬味に手をつけていない。
「なぜ使わないの?」
「蕎麦の風味が飛んでしまいますから」
この男、かなりわかっている。ぼくもその店では薬味を一切使わない。ぼくは続けた。
「うまい蕎麦を食べるときは、薬味などいらない。うまくない蕎麦を食べるときは、薬味がなければ食べられない」
彼がアツアツの天ぷらにも手をつけていなのを見て、また尋ねた。
「天ぷら、食べないの?」
「油は蕎麦の味をわからなくしますから・・・」
実に見事な答えだった。その通りだから、ぼくは天せいろを注文するとき、いつも妙な食べ方をする。蕎麦をすべて食べ終わった後で、やっと天ぷらに手を伸ばすのだ。天ぷらを一口でも食べてしまえば、そのあと、蕎麦の風味は消えてしまう。蕎麦はそれほど微妙である。
「本当にそうなるかどうか、ちょっと試してみれば・・・」
ぼくが冗談半分に言うと、尊敬する先生の言葉であるから、しょうがないな、という顔で彼はエビ天をかじり、
「これ、うまいですね」
と言ったが、そんなことよりそのあとをぼくは楽しみにしていた。
「早く、蕎麦を食べてみて!」
「蕎麦の味がまったくしません」
彼は苦々しい顔で笑った。ぼくはかなり嫌なヤツである。
ただし、意地悪100%でもないぼくはちょっと反省し、薬味のひとつとして皿にのっていた大根おろしを一口食べることを勧めた。それで油の味を感じなくなるはずだ。そして実際にそれは正解のようだった。
蕎麦を食べ終えると、ふたりでおもむろに天ぷらを食べた。エビ天2本とイカ天も良かったが、旬のふきのとうは格別だった。牧君が言うように、この店は天ぷらも抜群にうまい。衣を残すことが多いぼくも、ここの天ぷらはすべてきれいに平らげる。衣は薄めでサクサク。しかも胃にもたれないのは、油の質がいいのだろう。しかもその店は天ぷら用に塩を出してくれる。
うまい蕎麦屋は蕎麦だけでなく、つゆが絶品だ。その両輪がそろって初めて、うまい蕎麦なのである。つゆは指に付けてなめてみればすぐにわかるが、食べ終わり、そば湯で薄めて飲む時に一段と明確になる。
ところが天ぷらを浸すと、つゆの味が変わる。蕎麦湯を飲む時に油の味がすることを嫌う人もいる。塩はそのためなのだ。
1500円でこんなにうまいものが食べられる。お金を少し節約して、たまにはこういう蕎麦を食べてほしい。

こんなにおいしい蕎麦を初めて食べたと彼は言い、うまいものがわかる舌を持っていることがそれでわかった。ぼくはなんだか嬉しくなった。30代後半という彼の年齢もあるだろうなと思う。スパイシーな味や、塩辛いものが好きな今の若者には、残念ながらこのおいしさは理解できないはずだ。
こういう男に食べてほしいと思うものが吉祥寺にある。次に彼がきたときには是非ともそこに連れて行きたい。

さて、満足した帰りの道で、最高の蕎麦をぼくは彼に語った。やはり家から歩いていけるところにあった店の蕎麦は、天下一品だった。ぼくが知る限り、どこの蕎麦よりもおいしかった。しかし残念なことに、今、その店は東京にない。いい水を求め、熊本の阿蘇に店を構えて、もう6年になる。食べに来て下さい、と手書きされた年賀状が毎年届くけれど、未だに果たしていない。
その店のメニューに天ぷらはなかった。
「蕎麦を食べるとき、天ぷらはダメです」
ぼくと同い歳の店主は穏やかな人だったが、天ぷらについては頑固だった。それは正しい。でも天ぷらを食べたいぼくは、奇妙な食べ方をはじめたのだった。

当時の店に牧君を連れて行けば、彼は何と言っただろう。
店の前に立っても、そこは蕎麦屋に見えなかった。普通の住宅の一階部分を改装し、「おもちゃ箱」と書いた小さな看板と、オマケのような暖簾があった。名前からは何の店だかわからない。近所でも知らない人がいただろう。初めての客は半信半疑で戸を開けたはずだ。ぼくたちもそうだった。
開店して間もない店は、感激ものの蕎麦を出すにもかかわらず、一年たっても客は少なかった。駅から遠い住宅街であることも影響していた。何とかやっていければいい、と言う店主は嫌がったけれど、ぼくは何とかしなければという思いで、知り合いの有名雑誌の編集者や、グルメ欄の担当者たちを連れて行った。早速紙面で紹介してくれたのは、その蕎麦がうまいことの証明だった。
次第に他のメディアでも取り上げられ、遠くの蕎麦好きまでもが来るようになった。玄関脇の一台だけの駐車場に、ときどき他府県ナンバーの車が停まっていた。桜の季節になると、今は亡き杉浦日向子さん(NHKの「お江戸でござる」に出演していた江戸研究家・漫画家) も一升瓶を抱え、「そ連」(蕎麦好き連)の一員を率いて毎年やってきた。

ぼくたち夫婦にとって幻のようになったあの蕎麦をまた愉しみたいと思うけれど、阿蘇はあまりにも遠い。いい水を得て、一段とうまくなったという蕎麦を想いながら、桜はもう六度も散った。

(現在の阿蘇での店名は「蕎麦や漱石」です)



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