2010年2月8日(月)  私見、日本遺産

ジャンケンの結果は次のようになり、ぼくは最後に発表した。

牧 秀明「小堀遠州の日本式庭園」「お盆にまつわる人々の行動。あるいはお盆そのもの」
相原健二「竜安寺(京都)」「蔵王のお釜(湖らしい)」「花巻の宮沢賢治」
菊池飛鳥「黄金町」「正月にのどに餅を詰まらせる老人のニュース」「谷川俊太郎」
雜賀雄二「俳句」「ホンダのスーパーカブ」「電柱のある風景」

それぞれ、らしいもの、らしくないものを選んでいた。選んだ理由を聞いたけれどそれについてはメモがなく、忘れたか正確に覚えていない。理由は正確に記さなければ彼らに失礼だし意味をなさないから、残念ながら書くことが出来ない(本当はそれを書かなければ、意味をなさないのだが)。

彼らが選んだものを聞いたときは、そう来たかと思った。牧は人間関係が濃厚に残る土地に住む建築家らしい発想だし、東北出身の相原らしい選択だ。「蔵王のお釜」というものを見てみたいと思った。菊地は本当はもう少し長い言葉だった。それを書いても理解が難しいかもしれないが、正確には次のように言った。
「黄金町の猥褻な渾沌と、横浜という都市の中におけるスポット的村社会」
「毎年正月にもちを喉に詰まらせる老人のニュース」
「凄い言葉を作る、が故に、影響が現実にも普及し2度も離婚し愛人を作る、谷川俊太郎という愛すべき存在。倫理と不道徳の言葉の聖人」
これについてはそれぞれが勝手に解釈するしかない。

ところで彼らは「世界遺産」と「日本遺産」の意味付けを考えたかもしれない。ぼくはまったく考えなかった。また、ずっと残したい日本の素晴らしいもの、そういう考えを持たなかった。だから既に評価が定まっているようなものを選ぶ気持ちはなかった。例えばそれは、外国人が来日するときに持ってくるガイドブックに載っているような、ステレオタイプ化された「日本らしいもの」。

「俳句」は今更言うまでもない。世界に類を見ない最短の文学。あるいは、世界観。あるいは、心の有様。こんなものは他にあろうか。短歌も加えようかと考えたが、俳句の方が短くて潔い。短い語句の中に、あらゆるものをつめることが出来る。短い言葉から湧き起こる読み手の限りない想像力。

「安かろう、悪かろう」の代名詞のような存在だった戦後の日本製品は、60年代に大きく飛躍する。世界と肩を並べ、抜き去る製品の数々が世に送り出され、それらは今もMade in Japanに脈々と流れ続ける「高品質、安心感」というイメージを生む礎となった。
ソニーのトランジスターラジオも頭をよぎった。小さいながらも世界に衝撃を与えた偉大な製品として尊敬に値する。しかし、トランジスターの時代はとっくに終焉を迎えた。 
カブは日本テクノロジーの化身であるとぼくは思う。これまでにどれだけ大量に生産されたか。どれだけ亜種を生んだか。燃費も含めて、どんなにコストパフォーマンスに優れているか(時代を先取りしている)。そして今も世界中の足として現役である。累計の生産台数1900万台は二輪車として最多、四輪車のフォルクス・ワーゲンのビートルに匹敵する。(ビートルはとっくに生産が中止されている。また、カブ大国のベトナムでは、カブを何台所有するかがステイタスである)。
50年の間で基本的な仕様変更がほとんどないというのは、驚異である。製品、コンセプト、戦略、それらが当初からいかに優れていたかを証明している。
モーターバイクという男の乗り物を、おばさんでも簡単に乗りこなせるものに意識転換し、カブは日本人の行動にある種の革命をもたらした。傑出した人物、長い歳月、膨大なエネルギー、はたまた政治でも変えられないのが人の意識(社会通念)というものだ。ところが単なる工業製品がそれを一変させてしまった。
敬意を払うべきものでありながら、文化の文脈で語られることなく、生活のなかでもほとんど顧みられず、今もそこいらを走り回っている、何でもない「カブ」。
それこそが選んだ理由である。そんな存在になった見事さ。

「電柱のある風景」は美という観点からすれば、醜い風景である。明治初期に撮影された日本の町並に、ぼくは激しく驚いたことがある。整然とした町の佇まいがあまりに美しい。日本にこんな風景があったのか。
ところが明治の三分の一を過ぎる頃から、その風景が突如瓦解をはじめる。電気が導入され、電話が敷設され、町には電柱が立ち並んだ。そのころの電柱は今以上に電線が張られていたから、日本の町の空を電線が占領することになる。
文明というものがもたらした結果を、人は醜いとは思わなかった。その光景を人々は文明の証として誇ったのだ。以後、電柱は津々浦々まで延び続け、君臨した。
景観に敏感な西欧人はそんな光景が許せなかった。それらの国では電線の地中化という方法で目隠しし、その猥雑な物件を始末した。日本でも銀座や芦屋などで行われているが、それは決して主流とはならなかった。なぜなのだろう。
理由はともかく、結果として日本人は電柱を美醜の観点で捉えることなく、丸ごと受け入れてしまったのだ。今でも、その光景を不可思議に思わない人がほとんどだろう。美醜を超えて、あるのが当然のものと化した。電柱に限らず、清濁併せ飲むような資質が日本(アジア)には脈々と流れているのかもしれない。例えば、『ブレード・ランナー』という映画の世界はまるでアジアだった。未来の都市をそう描いた監督には、ある種の卓見があったように思う。
世界遺産の建物の周辺にも、新宿の飲み屋街にも、ぼくの田舎にも、どこを切り取っても電柱がある。電柱と町が共生している不思議な均衡、あるいは予定ではない奇妙な調和。日本人の原風景になったとさえいえる光景。そういう意味で、ぼくは銀座に違和感を感じることがある。
銭湯の混浴が普通であった江戸期からの日本の風俗と、そこに秩序や道徳心の欠如を感じて眉をひそめた明治の西欧人の違い。混浴の秩序が理解できず、猥雑としか見なかった西欧人の倫理に通じる気質が、電柱を見る目にも感じられるような気がする。
富士山と対極にある電柱の風景。しかし電柱も日本の現実。

みんなの選択を聞いたあとで、ぼくは『芸術新潮』を開き、日本遺産を選んだ人たち68名の名前を読み上げた。そして誰の選んだものを知りたいかを尋ねた。塾生の求めに応じて名前とその人が選んだものを読み上げつつ、案外普通だなと思った。ステレオタイプ化された「日本らしいもの」や、それに近いものを多くの人が選んでいる。
「富士山」「厳島神社」「東大寺」「ご飯」「みそ汁」「日の丸」「源氏物語絵巻」・・・。
別に否定はしない。むしろ賛同する。でも普通である。
その逆もあった。ビートたけしの選んだものを挙げよう。
「八ツ場ダム」「林家三平」「ジャイアント馬場」「矢沢永吉」「岡本太郎(太陽の塔)」
これはいかにもビートたけしらしくてつまらない。いわゆるベタなのだ。その人ならそれを選ぶだろうという予測の域を出ていない。吉本新喜劇の予定調和の笑いと同じである。「日本らしいもの」を選んだ人たちも、選んだものとの関係が至って調和的である。

そんなことを思いつつ、そんなことどうでもいいと思い直し、選ばれたものだけを最初からまんべんなく見た。個々の人物、その人が選んだものという単眼的な見方だけでは「日本遺産」を見誤る。
日本にはこんなに素晴らしいものがある。おもしろいものがある。ページを繰りながら、それをあらためて認識した。

外国人にはガイドブックに載っているものを追認、確認するのでなく、ガイドブックにはない日本も見つけてほしい。
ぼくたち日本人も同じだ。知っていると思わないこと。知っているはずの日本をもう一度見ること。何かの媒体を通してではなく、その目で直に見ること。

それはまさしく「写真」という行為でもある。



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