2010年1月31日(日)  日本遺産

そろそろ潮時かなと思い、今年度でワークショップをやめようと思った。
そこに至るまでのそのときどきの心模様を列挙するのは難しい。様々な要因がある。ただ、今月その話を持ち出したときに、続けてほしいという塾生の希望で、来年度も続ける結論をとりあえず出した。
今年度のワークショップは、途中でリタイアする塾生や、家庭の事情、自分の事情で欠席する塾生がいつになく多かったが、それを差っ引いてもおもしろかった。少なくなった塾生の数を考えると、妙なことだ。

数というものが意味を持つことがある。多ければ多いほどいいというのではなく、例えばぼくが話をするとき、適切と思う数は10名くらいだろうか。30名では多すぎる。数名では少ない。マンツーマンでは相手にもよるけれど、話が逸脱し、どんどん横道にそれることが少なくなるからつまらない。話は逸脱するほどおもしろいのだ。
10名ほど。ぼくと相手の距離感がちょうどいいのがそれくらいの人数だ。踏み込みすぎず、離れすぎず。相手の表情も読み取れ、気軽に質問も出来る。

母校で非常勤講師をしていた頃は、狭い部屋に30-40名の学生がいた。それだけの数になると、ぼくの声は届いているのだが、ぼくの思いは届いているのか、と考えつつ話すことがあった。しかもほぼ一方通行である。非常勤だから学生たちと距離があり、彼らの心情に踏み込むことも難しい。特講(特別講義)という授業形態がとりわけそうなった理由かもしれず、学生たちの心をつかむ力がぼく自身に欠けていたことも原因かもしれない。話すことに慣れていなかった。
話も熟練が要る。とりわけ人を引き込む力と、豊富な実体験。

学生たちに話をするのは難しい。知識や体験に個人差がありすぎるからだ。話を聴く能力や写真に対する懸命さもまったく違う。例えばそんな学生たち100人、200人を前に眠くならない話をするのは至難だろう。
写真学校の学生たちがよくこんな話をしていた。○○先生と○○先生の講義は眠くて困ると。ふたりは共に写真の世界では知られた人だからおかしかった。眠るどころか、目に鈴を張って聞かなければならない話だとぼくは思うのだけれど、講義はまるで催眠術やお経だと学生たちはいう。ふたりのしゃべりを再現する学生を見ると納得する部分があった。有意義なはずの話にもかかわらず・・・である。
文章も似ている。どんなに優れた本でも、途中で投げ出す本があり、最後まで読んでしまう本もある。後者には読ませてしまう力があるということだ。個々の読解力や興味の差が存在するとしても、投げ出す本と、読んでしまう本の差は確かにあるだろう。

去年の秋に武蔵野美大に行ったときは、10数名の学生たちと4時間ほど授業をした。理想に近い数である。前半はぼくの知人について話し続けた。変な知人の話だ。変と言っても、普通の人が考えつかないような奇妙なことに興味を持ち実践している、とてもおもしろい人である。そういう意味で、ぼくも変だと思われたいと常々思っている。学生たちにもそうなってほしい。それがアートの根であるからだ。
おとなしい学生たちはあまり表情を変えずに聞き、ぼくは手応えを感じないままに帰宅した。後日、小林のりおさんに電話したとき、学生たちがぼくの話をおもしろかったと喜んでいたと聞き驚いた。お世辞かと一瞬思ったが、小林さんはそんな人ではない。おもしろかったならもっと反応すればいいのに。反応すれば、話はもっとエスカレートしただろう。しかし、何かを質問しても返事がなかなか返って来ないのが現実である。
ムサビだけでなく、写真学校も母校もそうだった。その上、彼らはアートに関連する言葉や人や作品すらあまり知らない。それらを知っていれば、おもしろさは増幅する。そして、一方通行ではなく、発言のやり取りがあれば、話は際限のない深みを獲得するだろう。

今月、ワークショップのおもしろさを再認識したのは、塾生たちがぼくの話に反応するからだ。
学生よりも塾生たちの方が知識や自分の意見を持っていることも、ワークショップをおもしろくしている。しかしそれ以上に発言をするからだと思う。人は鍛えればできるようになるのだ。そして当たり前のことながら、写真をいっぱい持ってくる。写真を目指しているくせに、この当たり前のことさえできない若者が多すぎる。それで上達しようなんて、虫がよすぎる。
ワークショップで話すことをぼくはきちんと決めているわけではなく、塾生たちの反応を見ながら、急に思い出した話などを織り込んでいくから脱線が甚だしい。今月のその日、ある話をしているとき、ぼくが座る椅子の横にあったマガジンラックの『芸術新潮』が目が止まり、彼らに考えてほしいことがあったのを思い出した。

その芸術新潮は一冊丸ごと「私が選ぶ 日本遺産」という特集だった。
わが家にはその雑誌が毎号ある。しかしぼくはほとんど見ることはない。先日のように新聞休刊日であるとか、興味ある特集の号だとか、そういうときだけパラパラと流して見る。1月号は表紙の特集の言葉にちょっと惹かれて手に取った。
その特集は、日本の著名人(?)たちに「自分が選ぶとすれば、何を日本遺産にするか」を尋ねたものだった。それはこういう雑誌が何年かに一度必ず組むような、それほど目新しい発想ではない。しかし「日本遺産」という言葉がちょっと引っかかった。拾い見をしたら、意外とおもしろい。
選ばれた対象、つまりそれぞれの人が選んだ「日本遺産」への興味もそうだが、それ以上に「誰が何を選んでいるか」がおもしろいのだ。そこにその人の思考が読めてくる。

ぼくは僅かにページを繰っただけで、その雑誌を閉じた。
ワークショップで塾生たちにも「私が選ぶ 日本遺産」を尋ねてみたくなったのだ。当然ぼくもそれに参加する。そのためにはひとりだけフライングをするわけにはいかない。
そうしてワークショップ当日を迎えた。

彼らは最初、キョトンとした顔をした。話を理解すると、誰かが「場所ですか?」と言った。「何でもいいから三つ挙げるように」と答え、タバコを一本吸い終わるまでに考えてほしいと言い残してキッチンへ行き、ぼくは換気扇をつけた。
これは短時間の方がおもしろい。人間の思考がストレートに現れるからだ。長い時間は人に余計なことを考える時間を与えてしまう。
ぼくも思案した。ふたつまではすんなりと思いついたが、もうひとつがなかなかだ。リビングに戻り、それらを紙に書いている途中で三つ目を忘れ、仕方がないから新たに考えた。
「そろそろいいかい」
ジャンケンで発表順を決めた。

これを読んでいる人も、「私が選ぶ 日本遺産」をしばし考えてみて下さい。

<次回に続きます>



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