2009年12月23日(水)  クリスマスの電飾

外国から来るメールの末尾に「Merry Christmas for you and your family!!!」とある季節になった。こちらから出すメールにも似た言葉を書く。
相手は日本人のほとんどがキリスト教徒ではないということを知ってか知らずか、この時期の儀礼というか、習慣としてそう書いて来る。ぼくは相手の宗教を知っているから、相手の身になって書く。同じ「Merry Christmas!」という言葉でありながら、実はそこには大きな隔たりがある。

ぼくは毎年この時期になると、とても妙な気持ちになる。ほとんどの国民がキリスト教徒ではないのに、日本中がクリスマス一色になる不思議。信仰せず、ミサに行くこともないのに、ケーキを食べ、ツリーを飾り、贈り物をする。どう考えても腑に落ちない。

クリスマスというものが日本の社会に定着したのは、いつのことなのか。
昭和30年代の古い映画の、頭に三角の帽子を載せたサラリーマンが千鳥足で寒空の町をふらつき、その背後でクラッカーが鳴らされ、クリスマスソングが流れるというシーンが思い起こされる。その時代からすでにクリスマスは庶民の生活に入り込んでいたことになる。
自分の記憶のなかでも、幼稚園に入る前の妹の枕元に、ボール紙で作られ様々な飾りの付いた赤い長靴が置かれていたのを思い出す。その中には菓子が詰まっていた。ぼくは菓子に飢えていたにもかかわらず、菓子よりもその長靴型の容器に心惹かれた。ぼくがクリスマスというものを初めて意識したときであったろう。今でもスケッチが描けるほど、その長靴は魅力的だった。
子どもが寓話や菓子やプレゼントに惹かれ、あの夜に夢中になるのは仕方がないのかもしれない。ただしそれは、クリスマスの本質を知らない子どもだけのものだろう。
とにかく日本のクリスマスは、商売人の輝かしき手法として最上位に上り詰めるほどの大成功を収めた。表面的な事象(カタチ)だけを模倣して何でも商売に取り込んでしまう日本の象徴でもある。(中国は昔も今もその上を行くほどの商業主義だ)。

大学3年の夏からぼくは長崎の島に通いはじめた。数年のあいだ盆とクリスマスと正月には、いつもその島にいた。カトリックの島である。正確にいえば、潜伏キリシタン(俗に隠れキリシタンと呼ばれる)の末裔が暮らしていた。そこでぼくは初めてキリスト教、天主堂(教会堂)に出会った。もちろんクリスマスも。
赤レンガの重層構造、内部に高いリブ・ヴォールト天井を持つ壮麗な天主堂でイヴのミサがあった。窓やドアの隙間からの寒気を感じながら、ミサは粛々と執り行われた。大きな建物だったが人々は入りきれず、ポルチコ(玄関ホール)に立ったままの人もいた。
杉の葉で飾られた天主堂前のマリア像。ポルチコの天井につり下げられた金の色紙を貼った大きな星と、そこから下に伸びる何本かのキラキラと光るテープ。脇祭壇に設けられたイエズス誕生を再現する年季の入った小さなジオラマ。それらが僅かにクリスマスを示していた。でも、それで十分だった。島の天主堂は辺境の地に似合わないほどの光を放っていたが、その日はいつもより輝いていた。人々の顔も普段のミサとは違うように見えた。
その夜、家庭の食卓には心づくしのごちそうが並んでいた。ただ、ツリーはなく、クリスマスケーキを食べることもなかった。子ども時代、仏教徒のわが家でもそれを食べていたというのに。
そんなパラドックスを商業主義の為せる業と片付けるだけでいいだろうか。
徳川の260年という歳月、キリスト教徒は信仰を隠しひたすら潜伏を続けた。信仰が発覚すれば棄教するまで拷問を受け、あるいは棄教せず殺された。第二次大戦時は、敵国の宗教を信仰する者として非国民の扱いを受けた。それが今や日本中がクリスマスに躍っている。

島の人々はクリスマスを「ご誕生」と言った。その響きがとてもいい。その日の意味も実に明快だ。飲んで食べて、何かをもらって楽しむだけの日でないことがよくわかる。

2年前、11月のワークショップが終わり、塾生たちと夕食に行った。わが家の隣の集合住宅(マンション)の脇を通る時、みんな驚いた。まだ11月だというのに、ある家族が住む一階の15mほどもある長細い庭一面だけがクリスマスの電飾(イルミネーション)で煌煌と輝いていたからだ。塾生たちは昼間そこを通ってわが家に来たはずなのだが、夜にこんな光景が出現するとは誰も気がつかない。最初に橋本聡子が声を上げた。
「悪趣味ですね」
ぼくはそれを無視して、電飾を眺めるために歩をゆるめた塾生たちと逆に、足どりを加速した。電飾の庭から早く離れたかったのだ。そして少し離れた場所まで来ると、こらえていたものを爆発させて笑い、橋本に言った。
「庭で作業していた人が、振り向いただろう?」
その場所を通り過ぎる時、電飾の手直しか、増やす作業をしていた女性がいたのだ。その部屋の住人だ。暗い場所にかがみ込んでいたからみんな気がつかなかったらしい。その人は自慢の電飾をけなす橋本の言葉に反応し、ムッとして振り返ったのだ。
そこを通る人の反応は分かれる。きれいと言ってしげしげと眺める人、眉をひそめる人。ぼくも塾生たちも後者である。でも前者の方が多い。特に子どもはその庭のフェンスを両手で握りしめ、頭をフェンスにこすりつけたまま動かない。

半年経った夏のことだ。その家の開け放たれた窓から内部が伺えた。そしてぼくは発見した。檜で作られた今どき珍しい立派な神棚を。隣には新宿・花園神社の酉の市で買ったと思われる、縁起物の熊手が掛けてあった。しかも由緒ある大店に飾ってあるほどの巨大さである。クリスマスの直後、年末に購入したのだろう。ちなみにその家族に子どもはいない。35歳以上と思われる大人4人が暮らしている。
庭の電飾は年を経るごとに激しさを増し、それは既にクリスマスの電飾という概念を越えて、まるで新宿の歌舞伎町である。いやその上を行っている。しかも11月1日から点灯する。

この国の人間はまったく節操がない。
平和だなとつくづく思う。

何事も度を過ぎれば気味が悪くなる。



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