2009年11月24日(火)  布団の母

そんなこと、ぼくは昔から実行しているのですよ。
新聞を読みながら、そう思うことがある。
毎日新聞はマータイさんの「モッタイナイ」をことさら大きく扱う傾向がある。ただし、他の新聞をそう読む機会はないから正確なところはわからない。他紙もやはり取り上げているのだろうか。
父と母の影響なのか、それともぼく自身の資質なのか、ちょっとうんざりするほど「モッタイナイ性格」満載だ。
節約する。ものを大切に扱う。使えるものは捨てない。壊れたものでも何かの役に立つかも、と思えばとっておく。捨てないだけでなく、役立ちそうな様々なものを拾ってくる。

食事の残り物を冷蔵庫にしまうとき、あまり汚れていないラップは使い回している。ティシューペーパーも鼻水を拭いたあとはさすがに捨てるが、テーブルにこぼれたお茶をちょっと拭いたくらいでは捨てない。輪ゴムも捨てない。クリーニングに出した衣類のタグを止めてある小さな安全ピンは売るほどたまっている。菓子や荷物の包装に使われていた紐は箱にためてある。厚紙や梱包の木材、壊れた家電、チビた鉛筆…。書き上げればきりがない。
だからわが家のラップやティシューの消費はとても少ない。輪ゴムは引っ掛けているフックで伸び切ってしまい、引っ張るとすぐに切れるものがある。ただし、ためるだけでなくそれらを役立てているから、かみさんは文句を言わない。
おやつにも事欠く少年時代、というものが反映しているのかもしれない。とにかく、ものが無い時代に育った。

結婚した頃、かみさんには不要でも、ぼくには必要なものを勝手に捨てられることが相次いで、何かを捨てる時にはぼくに確認するように告げた。こんなヤツと結婚して…。かみさんはそう思ったことだろう。以来20数年が経ち、かみさんはぼくを理解するようになった。(はずだ)。
貧乏性。ケチ。ぼくも自分のことをよく理解している。

しかし絶対に捨てないわけではない。その証拠にぼくの家は巷で騒がれるようなゴミ屋敷ではなく、かなり片付いている。捨てない基準は、今後何かに使えそうかどうかだ。ただし、その基準に沿わなくても捨てないものがある。それは思い出があるものだ。
例えば物置で大きな面積を占め、なんとかしたいと思いつつ何とも出来ないでいるのは、故郷から東京に出て浪人し、初めてひとり暮らしを始めたときから使っていた布団だ。
亡き母が故郷の布団屋で別注品としてわざわざ作り、布団袋に入れて送ってくれた。今の若い人がほとんど知らないであろう重い綿の布団である。高級品ではないけれど、良いものを長く使うという考えだった母親のことを考えると、そんなに安物でもないだろう。ぼくはその布団で数えきれないほどの夢を見た。

母の思い出の品は他にもあるから、捨ててもいいかと思いつつ、これが踏ん切れない。この世にいない母から、何かを貰うことはもうない。そう考えると母にまつわるものが捨てられないのだ。捨ててしまおうか、と先日もかみさんに言ったら、捨てないでおいたら…と言われた。やさしさからの発言なのか、捨てたことをぼくが後悔し、お前のせいだと言われるのが嫌なのか。

9年前、この家に越して来るとき、いくつかの運送屋で見積もりを取った。驚いたことに最高価格と最低価格の差額は2倍以上だった。その中で一番高いところはもちろん外した。一番安いところも外した。見積もりに来た人間が信用できそうになかったからだ。2番目に安い会社は人柄が誠実で、その会社に頼むことを迷わなかった。
ぼく自身も荷造りをしたが、パートのおばさんたちが3人来てくれた。それでも3日ほどかかり、前日にはとうとう見積もりに来た若者も手伝いに来て、なおかつ社長が追加の段ボール箱を運んで来るほどだった。
4トン車2台と2トン車1台を見れば大家族の引っ越しだとみんな思うだろう。4人の若者たちでも十分と思われたが、他家の引っ越しを済ませた4、5人も途中で応援に来てくれた。痒いところに手が届く会社だった。彼らは実にテキパキとよく働いてくれ、ぼくは彼らにお金を包んで渡した。
「完全に見積もりを誤りました。雜賀さんの家の荷物は普通の家の二軒分ありました」
見積もりに来たのは我が家を担当したチームのリーダーで、彼に多めの謝礼を渡して良かったと思った。
引っ越しのプロが見積もりを誤った理由はただひとつ、部屋の片付け方がとてもうまかったから、家財が少なく見えたのだ。押し入れもすべて確認したというのに。
写真の機材や暗室用品という普通の家庭にはない荷物を差し引いても、実際はふたり家族とは到底思えない荷物があったということだ。

その後も、ものは増え続けた。それを予測して作った屋根裏の物置だったが、現在はうかつに踏み込めないほどだ。一階の書庫兼写真の収蔵部屋は他の荷物が通路に山をつくり、探したい本も見つけられない。最近はデジタルカメラを使うからさほど困らないけれど、暗室も写真以外の品で埋め尽くされ、仕事など出来ない有様だ。
夏前、それに終止符を打つべく、やっと心を決めて動きだした。ところが屋根裏の暑さに閉口した。秋になればと思いつつ、もう晩秋になった。冬の屋根裏の寒さを思うと、そうゆっくり構えていられない。
屋根裏と書庫と暗室を単に片付けるのではなく、それぞれをリンクさせて荷物を移動させる必要がある。一番面積の広い屋根裏が鬼門なのだ。
いろいろと理由をつけることはもう止めて、少しずつ実行している。他人にはそれほど進展したとは見えないほどの歩みだが、確実に片付いている。来春までに劇的な変化が起きるだろう。(と思う)。

その前にものを捨てなければならない憂鬱がある。短気で、さっさと事を運ぶ性格である。優柔不断な人間を見るとイライラする。そのくせ、ものは捨てられない。簡単にものを捨てられる人を羨ましく思う反面、多くの引っ越しの度に捨ててしまったものにまだ未練を残す性格は、そうそう変えられないと思う。

小・中学校の通学路の途中にあった布団屋で、息子の布団の綿や布地や枕を思案する母親。布団を見る度に、そのときの姿と想いがしのばれる。いっそ記憶など無くなればいいと思う。そうすれば平べったく薄汚れた単なる古布団などすぐに捨てられる。
しかしぼくを想った母親を、ぼくが想わなくて誰が想うのか。感傷でいいのだ。
感傷を飛び越えられればもっといい。



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