2009年10月22日(木)  牛乳瓶のフタ

夕食後にソファーでうたた寝をして、目が覚めたらいつの間にかTVがつき、楽天イーグルスと日ハム戦を中継していた。日本のプロ野球にはほとんど関心がないから、もちろん贔屓のチームはなく、春先に今年はこのチームが勝てばいいなと何となく思う程度だ。今年は、セリーグは広島で、パリーグは楽天である。ここ数年はその2チームだ。だからペナントレースの試合は見ないけれど、日本シリーズに進めるかどうかがかかったこの試合は、ちょっと気になっていた。
ところが楽天はほぼ手中にした勝ちをリリーフ陣の失敗で逃し、大逆転負けをした。やっぱりな。それはぼくの予言通りだった。楽天は先発投手は充実しているが、リリーフ陣が弱体だから、先発組が完投しなければ、勝つのは難しい。

バックスクリーンに設置したTVカメラから映し出された、ピッチャーとバッターが対決する後ろの壁には、宣伝のための広告看板がやたらと掲げてあった。その場所は常にTVに映るから、球場の他の場所に比べれば圧倒的に高額な料金がかかる。それでも宣伝になるから企業はお金を惜しまない。
その試合は日ハムのホームゲームで、札幌の球場である。ご当地らしく広告のひとつは「よつば乳業」だった。近所のスーパーではその会社のバターを売っている。年初めだったろうか、バターが店頭から一斉に消えた時期、不思議にそのスーパーには在庫があり、かみさんは会社の同僚のために「よつばバター」をいくつか買った。しかし残念ながら牛乳は飲んだことがない。

そんなことを話していたら、函館が思い起こされた。
箱館山の山裾に広がる町は、キャッチボールも出来ないほど長い坂が多い。取り損なったボールが遥かな彼方までまっすぐに転がり落ちてしまうからだ。古い建物が多く現存する函館のなかでも、その山裾はとりわけ時代を感じる町並みが残っている。
その一角にソーセージやハムを売る小奇麗な店がある。そこで昼食にホットドッグとサンドイッチを食べた。近くにロシア正教、カトリック、浄土真宗、イギリス国教会などの教会・寺院があり、観光客が往来するような場所だから、味には期待していなかった。一般的に、観光客相手の店はまずく、地元の人が入る店はおいしい、と相場が決まっている。
ところがその店の肉製品はとてもうまかったのだ。しかもそれらを挟んでいるパンがこれまたうまい。飲み物はビン入りの懐かしさに惹かれ牛乳を選んだ。肉厚のビンは手に取ったときの重さがいい。そして口に付けたときの独特の感触のあとに驚きが待っていた。濃厚でしっとりまろやか。
ぼくは牛乳好きではない。味も、飲み終わったあとの口の中がねっとりする感触も嫌なのだ。子どもの頃の給食で、まずい脱脂粉乳を嫌というほど飲まされたせいかもしれなかった。それにもかかわらずその牛乳はもっと飲みたい気持ちにさせた。
店を出るとき店員に、肉製品もパンも牛乳もとてもおいしかったと言ったら、パンは自家製ではないが味を吟味して納入先を選んでいる。牛乳は近くの大沼の牧場のものです、と誇りを秘めた顔で答えた。
帰京後に知った話によれば、その「山川牧場牛乳」は古くなると脂肪が分離してフタの裏側にべっとりと付着する。それがまたコクがあってうまく、飲む前にフタをなめるのが地元の人の流儀らしい。いつも飲んでいる牛乳では、いつまで待ってもそんなことにはならず、腐れ果てるのが関の山だ。脂肪を抜きすぎてさっぱりとした牛乳に慣れた者は、その味を想像するだけである。
日光の光徳牧場の牛乳も、うまかったという記憶がある。でも味をきちんと覚えていない。ぼくが知る限り山川牧場牛乳が一番うまいと思う。

以前のNoteに書いた「建物の忘れ形見」をコレクションしている一木努さんと、林丈二さんはぼくの友人である。ふたりには共通点がある。「路上観察学会」の設立会員であることもそうだが (他の会員は赤瀬川源平、藤森照信、荒俣宏、松田哲夫、四方田犬彦、南伸坊、などの諸氏)、共に奇才であり、世間離れし、一風変わった、唯一無二の偉人である。その上ふたりは180cmを超える大男なのだ。
なぜそんなに大きくなったのかと質問し、その答えを聞き、もっと早くに知っていたらと残念に思った。ふたりは牛乳好きだった。子どものころから水をほとんど飲まず、「喉が渇けば牛乳」「ご飯のときにも牛乳」というほど半端ではない量を毎日飲んでいたらしい。家業が医者というご両人ならではだ。

異常なほど様々なものに興味を持つ林さんは、膨大なコレクションがある。昔、自宅に伺ったとき、リクエストして多くのコレクションを見せてもらった。牛乳好きが高じたことから始まった、全国のビン入り牛乳のフタ(紙キャップ)も勿論コレクションのひとつである。フタの数々は北から順番に正しく几帳面にホルダーに収まっていた。
「一番珍しいものはどれですか?」
示されたのは「御料牧場牛乳」のフタだった。それは天皇一族専用の牧場牛乳で、もちろん入手が難しい。それを聞いてぼくは思い出した。
「東大牛乳、知ってます?」
沈黙のあとで、身を乗り出すように林さんが言った。
「そ、そ、それ何ですか?」
林さんは驚くと吃り気味になる。ぼくは得意になって話しはじめた。

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自宅から歩いて行けるところに東京大学の農場がある。そこは農学部の研究施設で、住宅街に囲まれた別天地だ。ディズニーランドが作れるほど広大な土地で様々な植物が栽培されている。巨木ポプラの並木があり、牛も飼っていたからサイロもあり、まるで北海道の気分である。しかも植物園のように百科の木々が植えられた演習林まで付属する。以前は、かみさんと散歩によく出かけた。
農場でたまたま牛乳ビンの木箱を見つけた。職員に尋ねると、確かに以前、牛乳が作られていたという。しかし「もう昔の話です」と、にべもなかった。当時(1986年頃)も牛を飼育していたが、その昔はもっと多く飼育して搾乳し、わずかに販売もしていたらしい。農場近くの人しか知らない、幻に近い牛乳だったのだ。なんだか頭が良くなりそうで、飲んでみたかったがすでに遅すぎた。ぼくは職員に食い下がった。
「フタないでしょうか?」
「ビンのフタですか? どこかにあるかもしれませんね。ちょっと捜してみましょう」
とうきび畑の横で待っていたら、その人は長い筒のようなものを持って現われた。
「これだけあればいいですか?」
そして筒の片方を開け、無造作に一枚を取り出したが、ぼくにはそれが水戸黄門の印籠のように思えた。筒をいただくと、意外なほど重かった。ぼくは胸に抱えて帰った。何百枚あるのか、23年が過ぎたのにいまだに数えていない。

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「行ってみるといいですよ。フタはまだあるはずです。歴史も知りたいでしょう?」
フタをもらってきてからそう時間が経過していないときだったから、ぼくは林さんにそう告げた。
林さんは浮き足立って早速出かけたらしい。ところが、のちに林さんに電話したら、農場の隅に転がっていた牛乳瓶は見つけたけれど、フタのことなど誰も知らなかったという。あれが最後のフタだったのか、それとも昔を知る古い職員がもういなくなったのか。とにかく林さんは消沈していたから、ぼくは言った。
「何枚いりますか?」
「一枚で十分です」
ぼくは次に林さん宅を訪ねたときそれを持参し、「御料牧場牛乳」のフタを一枚もらった。

『サライ』に長い間連載を書いていたほどの林さんは、もう数え切れないくらいの本を出版している。処女作のマンホールのフタから始まり、日本と海外の路上観察など、多種多様である。何冊目かの著書に牛乳瓶のフタについて書いていた。そこには「写真家の雜賀さんにもらった東大牛乳のフタ」という一節があった。大切にしてくれているらしい。

最近農場を訪ねてびっくりした。牛舎に近づくと異様なものがいる。牛舎だった建物の周りを大きく囲んで柵が張られ、そこで駝鳥(ダチョウ)が走り回っていたのだ。ダチョウは比較的飼育が簡単で、良い肉を安く供給するための研究をしているらしい。初めてきた人はそこが牛舎だったとは気がつかないだろう。ダチョウは、東大牛乳が復活することなく永遠に失われた象徴だった。

昔よりも社会の変遷が急激になった。在るはずのものが、簡単になくなる時代である。山川牧場牛乳は残ってほしいが、それすら先はわからない。次に函館に行ったら、山川牧場牛乳を毎日飲もう。古くなった牛乳のフタの裏も是非なめてみたい。

 

「山川牧場牛乳」の写真



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