2009年9月14日(月)  海峡の街

旅行から帰り余韻に浸っている。というよりも、余韻から抜け出せないでいる。
これと似た気持ちになったことがあるのを思い出した。ベルリンから帰って来たときだ。どこが似ているのかを明確な言葉にすることが出来ない。とにかく「心地よさ」が続いている。

初めての土地を旅するとき、人はつぶさにその土地を感じ取る。何から感じ取るかは人によって様々である。しかし誰しも何かを受け取ってしまうのだ。受け取ったものに好ましいものが多ければ、良い印象を残し、嫌なことが多ければ、当然印象は悪くなる。初めての土地を、そうして人は心の皺として刻んでいく。
旅行者に何がわかる、という人もいる。確かに定住しなければわからない事例も多いだろう。第一印象が間違いだったとあとで気がつくこともある。しかし、つかの間の滞在者にしか見えないものも存在する。それらは定住すれば見えなくなってしまう。

知ることは、理解に繋がる。理解が深まることで見えてくるものがある。一方で理解から生まれ出るものに思い込みがある。それはとても厄介なものだ。思い込みは目の前にかけられたフィルターだ。人はそれを通してものを見ることになる。言い換えれば、囚われた思考の状態だ。理解をしつつ、白紙を保つこと。難しいけれどそれが出来なければ、新たなものは見えてこない。
初めてという機会は貴重であり、忘れてはいけない瞬間の連続となる。

これまでのぼくは西方(南方)指向で、東京から西(南)は沖縄列島を除き、かなり隅々まで行ったことがある。普通の人が訪ねないような場所もけっこう知っている。ところが北海道も東北もまだ見たことがなかった。行きたくないのではなく、興味をそそる土地がこれまでは西だったということだ。
ぼくには南方系の血が濃く流れていると思っているが、微かで遙かな母なる匂いを辿る本能みたいなものが導いているのかもしれないと考えたりもする。
なかでも、長崎には二十代初めから去年までほぼ毎年行った。通っていた日々があったほど、特別な土地だった。しかし近年は写真学校の学生たちを連れて行くぐらいで、今年はそれすらなかった。却ってそれで目覚めた気がした。今のぼくは長崎に慣れすぎている。慣れは思い込みを増長し、目を曇らせてしまう。当分長崎を避けようという気持ちになった。
寂しい夏になりそうな予感に、どこかに出かけることにした。それならいっそ、北にしよう。

暗いうちに家を出て、函館に向かった。
それにしても飛行機というのは味気ない。初めて北海道の土地を踏むという心の高揚がないままに、あっという間に本州を出た。ただ、そういう移動の方法は違いを明確にするものだ。さっきまでの東京と、今ここにある北海道。
空港から海に沿って市内に向かうバスからの眺めはあまりいいものではなかった。つい先日まで、半年前まで、一年前まで商売をしていたと思われるいくつもの店が入り口を閉ざし、カモメの群れがそれらの駐車場にたたずんでいる。
町なかに入ると、歯が抜けたように空き地が点々としていた。ビルが多くないせいか、空が広い。車の少ないメインストリートを路面電車がガタガタと走り抜ける。函館駅前の広いバスターミナルに降り立ったとき、長袖のTシャツにちょうどいいほどの風が吹き、そして静かだった。目の前の光景が見慣れた駅前と違うことに気づき、袖をまくり腕時計を見た。平日午前の通勤時間帯にもかかわらず、人も車もまばらである。東京でも、長崎でも、街が活気の渦中にある時間帯だった。

ホテルに荷物を預けると、路面電車(市電)の一日乗車券を買い求め、終点から終点まで乗ってみた。街歩きをする前に土地の全体像を把握しておきたかった。
街の大きさの割に道路が広い。看板が少ない。緑も少ない。そしてやはり人と車はまばらである。
「寂れている」
それが函館への気持ちだった。

心が躍ったのは、古い建物の多さである。街のあちこちに、明治末期から昭和初期に作られたと思われる疑似洋風の建物が残っている。そのたたずまいがとてもいい。他の都市なら「特別な建物」として扱われるような建物が、現役の商店や民家として普通にある。使われることがなくなった建物も、平然と建っている。
函館は、長崎、神戸、横浜、新潟と並び日本で初めて外国人に解放された土地であり、外国人の居留地が設けられた。そこは日本の外国村だった。足を踏み入れた日本人は、驚嘆の面持ちだったことだろう。初めて見る異様なものに溢れていたからだ。
明治という時代は、西洋への驚きに充ちた時代であり、様々な西洋をいかに取り入れるかという試行の時代でもあった。それらは精神よりも形から入った。政府の官庁を手始めに、日本のあちこちに洋風建築の県庁や駅舎や学校が建てられた。そしてそれらは山の頂上から山裾へと、水を流すように広がっていく。外国人が居留する都市でそれが顕著だったのは、人々が西洋と直に接することが出来たからだ。
日本人のアイデンティティーを踏まえ、本来の西洋建築ではなく西洋建築のような疑似洋風がそうして出現する。それをまがい物と捉えないでほしい。疑似洋風は建物に新しい形を取り入れ、それぞれの土地・環境に合わせた結果なのだ。だから居留地ごとに建築様式はそれぞれの違いを見せた。
それらは日本人には洋風に見え、外国人には和風に映る、コウモリのような不思議な建物である。日本中に散らばる洋風建築と認識されている古い建物の多くは、正確には疑似洋風建築と言うべきだと思う。それらは日本で生まれた建築様式なのである。

そんな疑似洋風建築を、ディズニー・シーや、一時期の日本を席巻したニセ西洋のテーマ・パークと同列に見ることは間違いだ。先人の知恵から生まれ、人の暮らしがあった疑似洋風と、客を呼ぶためだけの目的で、どこかの国の雰囲気だけを持って来た○○村のニセ建築は似て非なるものだ。
開設当時は、たとえ客を呼び込む理由だったにせよ、函館の洋風デパートの建物はその使命を終えても、今に残ることによってそれを超えた。片や大金をかけて造りながら、客足が遠のいて閉ざされ、いとも簡単に壊されたニセ西洋村との違いは、そんなところからも伺える。

かつて長崎と函館は双子のような歴史と景観を持っていた。そして月日はそれぞれの街を変貌させた。ふたつの街を歩くとその違いが見えてくる。
違いをいくつも書き留めたいとは思わない。ひとつだけ挙げるとすれば、やはり建物だ。函館同様に洋風建築が建ち並んでいた長崎を、今、見ることはできない。経済の論理を優先したのだ。ぼくが長崎に足を運びはじめてからも、現役で使われていたおもしろく興味ある建物がいくつも壊され、その跡に野暮な建物が跋扈(ばっこ)している。
グラバー園には素晴らしい建物ががいくつかある。それも観光という経済の論理なのだが、それだけでもよくぞ残してくれたと思う反面、あれらは形骸ではないかとも思う。
とにかく今、長崎は集合住宅(マンション)だらけの街になった。
貴重な建物を文化財として保護することも必要だろう。しかし文化財として奉(たてまつ)ることのない市井の建物を、人の匂いがする建物、機能する建物、として存続させる意味を思う。それが街のひとつの骨格となる。

函館に古い建物が残ったのは、残そうとしたからではなく、皮肉にも街が「廃れていった」からに他ならない。
飛ぶ鳥を落とすほどの街の気風は、北の物流の大拠点という地位を失うことで急激に失われたらしい。かつて函館は札幌などよりずっと巨大な街だったと聞いて、ぼくは溜め息が出た。その人は函館の栄光を語ったのだが、その声が大きければ大きいほど今の函館は哀しく見える。
街を出る人は増え続けた。人口が落ち込むとき、人の流れにセンチメンタルな心情は働かない。出て行く人は己(おのれ)の生活の行く末だけが気がかりだ。寂寥とは残される人たちが感じるものだ。
「♪〜背伸びして見る海峡を、今日も汽笛が遠ざかる・・・」

街歩きの途中でかみさんが言った。
「函館はベンチが多い」
確かにそうだった。歩くのに疲れると座って喉を潤し、風景を眺める。人が少ない街は風景をストレートに見せる。
人といえば、向こうから話しかけてくるような人が多い長崎とは違い、函館の人は一見素っ気ない。ところが話しかけると、雄弁で会話が弾むところは同じである。柔らかい語尾の北海道言葉が耳に残り、穏やかな心もちにする。

最後の夜、駅前のホテルから路面電車に揺られて夕食に出かけた。地図では簡単だと思われた場所を迷いながら捜した末に、住宅地の一角にある店にたどり着いた。
夫婦で旅行をするとき、行き先を話し合う以外、ぼくは目的地のディテールを得ないようにしている。例えばガイドブックすらまったく見ずに、すべてをかみさんに任せてしまう。すでに頭に蓄えられている知識は仕方がないけれど、訪ねる土地の予備知識を出来るだけ仕込まない。余計なイメージを持たないまま初めての土地に行き、この目で直に見ることから始めたいのだ。
だからそのレストランもかみさんのチョイスだった。店は飾り気がなく落ち着いた雰囲気で、安心感をもたらした。まずい店ほどそれっぽく飾り立てるものだ。客に媚びないという姿勢は、料理に自信がなければ成立しない。働く人たちもシャキッとしていた。この店の料理は、端的にしか言えない。
「こんなにおいしいものを食べたことがない」

ベルリンで食べたリゾットを思い出した。これまではそれが最高の洋食だった。ベルリンに行く人がいると是非にと勧めて喜ばれた。(イタリアよりも、ドイツのイタリア料理の方がずっとおいしかった。シェフは勿論イタリア人だ)。
この店はイタリア料理ではないから単純比較は出来ないけれど、食べた料理のすべてがあのリゾットに匹敵した。いや、それ以上の味に驚き、感動し、そして困惑した。こんなにおいしい料理を知ってしまった。しかしそこでしか食べられない。
東京にこれほどの店はない。もしあったとしても、勘定を済ませると財布はスッカラカンになるだろう。むしろ、お金が足りず、支払えないと言うべきか。そんな店にぼくたちが入れるはずがない。
「おいしさに参りました」
店を出るとき、思わずこちらから手を差し出してオーナーシェフと握手した。調子に乗って、普段は飲まない酒を飲んだぼくはいささか酔っていたが、シェフの手の大きさはちゃんと覚えている。
函館の料理は総体的にレベルが高いと思う。こういう大きな山がひとつ存在すれば、まわりの店は自然に引きずられ、当然のこととしてレベルが上がる。料理もアートもそういうものである。
(料理で感動という言葉を使うのは初めてだと思う。味については敢えて「おいしい」とだけ記します)。

「函館貯金を始めよう」
帰って来たばかりなのに、次はいつにするかと話している。TVの天気予報を見る度に、北海道の天気をつい見るようになった。
突然の恋愛にも似て、なんだか気になる海峡の街。


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