2009年8月18日(月)  そして、歩き方

通っていた、というほど長崎に行っていた頃がある。長崎に2週間滞在し、帰京してフィルム現像やプリントを2週間で済ませ、再び長崎に向かう。それを繰り返していた。もちろん長崎では軍艦島に渡った。
軍艦島用品は長崎の宿泊施設や知人宅に預けていたが、写真の器材は毎回運んでいたからいつも車で移動した。東京から長崎までの片道約1200kmはさすがに遠く、途中で何度も仮眠をとる。若さのせいかそんな日々が当時は苦にならなかった。
夜に走ることが多かったのは車が少なく気持ちが良いからだ。仕事のための移動だから、途中の景色などどうでもいい。一人の長距離運転は好きだ。車で走るという行為は思考をすることに向いていて、運転中は頭が冴えた。一定のリズムが良いのだろう。ただ、そうそう思考ばかりは続かないし、そのリズムはときにぼくを眠りに誘う。慣れているとはいえ、一人は危険だった。そろそろ休憩をと思いながら、東京-名古屋間をノンストップで走るような無謀を続けていた。助手席に誰かが乗っていていれば・・・そう願ったこともある。

あるとき帰京の途上、長崎インターの入り口にヒッチハイクの若い外国人を見かけ、ぼくは車を止めた。話し相手になるなら誰でもよかった。
互いに名乗り合った後、どこの国の人かと尋ねた。当ててみろという言葉に、ぼくはあらためてじっくりと男を見た。
「ポーランド?」
彼が突然大声を上げ、これまで日本で国を当てられたことなど一度もなかったのに、なぜわかったのかと言った。それほど上手くない英語。大柄。金髪。朴訥で骨太の印象。・・・。言葉でいえばそんなところだ。しかし、とどのつまりは第一印象である。
アンジェイ・ワイダは今も好きな映画監督である。若い頃、その映画に狂いかけた時代があった。何本か見た映画に出てくる人たちと同種の匂いのようなものを感じたのだろう。その印象のままを言っただけで、本当は自分でも驚いた。

日本人が欧米人を見て、どこの国の人間かを見極めるのが難しいのと同様に、欧米人はアジア人の見分けがつかないらしい。日本人、韓国人、中国人の区別がとても難しいという。確かにそうだろう。
電車のなかで、すぐ近くのふたりがいきなり中国語で会話を始めることがある。そのとき初めてふたりが中国人であることを知る。20年前の中国人は服装ですぐにわかった。でも今は服装ではわからない。
アジア人同士ならこんなふうに言葉でわかるし、微妙な顔つきの違いで国を感じ取ることもできる。欧米人が外見だけで三か国の人間を見分けるのは至難の技だ。

知らないうちに人を観察していることがよくある。例えば電車のなかで向かいの席に座っている人や、駅で電車を待つときに線路を隔てたプラットホームの人をまじまじと見る。顔立ち、髪型、洋服、持ちもの。それらを見て推理を始める。
向かいのプラットホームを歩く人を眺めるのもおもしろい。実に様々な歩き方がある。歩く姿勢の美しい女性を見つけると、その人を目で追い続ける。背筋がピンと張り、脚がきれいに伸び、大股気味。ただ、そういう歩き方をする人は滅多にいない。
魅了されるのは外国人女性の歩きだ。腰から先に出るような歩き方につい見とれてしまう。横から見ていると頭がすーっと水平移動する感じで、体全体がとてもスムーズな動きとなっている。ひと言で表すなら、身体全体にしなやかな芯が通っているとでも言えばいいのだろうか。体の動きに腰だけが遅れてついていき、おまけに無駄な上下動がある日本人の歩きとはまるで違う。

写真学校の合宿に行くと、長崎で一番うまいと思っている店に、初日に学生たちを連れてチャンポンを食べにいくのが恒例となっている。2年前は女子学生2人だった。浜の町という長崎一の繁華街を歩いているとき、一人の歩き方があまりにもひどいのに気がついて、背筋を伸ばしてシャキッと歩くように告げた。すると彼女は言った。
「昔つき合っていた男の、そのまた友だちから『お前、北京原人みたいだな』といわれたことがあります」
じっとこらえていたが、あまりにも的を射た言葉に我慢できず、ぼくは吹き出しながらその男の的確さを褒め、そして言った。以前に指摘されたのに、なぜ直そうとしないのかと。
合宿の初日にもかかわらず、彼女はとても疲れているように見えた。あごを出し、猫背、腰というよりも尻が落ちダラダラした歩き方。首から上と下が別人だった。キリッとした涼しい顔立ちと、歩きがあまりにもかけ離れている。写真学校に来る前に、文化女子大でファッション・デザインを学んでいたというから呆れる。
彼女は自分をあまりにもわかっていなかった。講評で自分の写真が褒められないと、顔をひん曲げてあからさまにイヤな顔をした。姿勢や歩き方のみならず、独り善がりな性格ゆえに、自分も周りも見えないタイプだった。

みんながファッション・モデルのような歩き方をしてもつまらない。しかし日本人は姿勢の悪い人が多い。(最近よく思うのだが、パソコンに向かうときの姿勢も、どうしてあんなによくないのだろう)。
表情と姿勢に少し気を遣うだけで、他人が受ける印象は大きく違う。どんなに着飾っていても、高級品ブランドで身を固めていても、姿勢や歩き方が悪ければ、すべては吹っ飛んでしまう。安物を身に着けていても、それを着こなすセンスを持ち、歩き方が颯爽としていれば印象はとてもいい。
他人がどう見るかというよりも、姿勢がいいと自分自身の気持ちがいい。
先日近所の医者に行ったとき、身長計が目に入ったので久しぶりに測ってもらったら、若い頃から3cmほど縮んでいた。その日から、いっそう姿勢を正そうと思った。(シークレットシューズを履く気はまったくありません)。

ところで欧米人は、日本人を韓国人や中国人とどこで見分けているのだろうか。
むかし読んだある文章には、日本人は自信なげに見えると書いてあった。そして姿勢のことも。欧米人はあごを出して猫背気味の人間を日本人と思うらしい。2年前の女子学生は、どこから見ても正真正銘の日本人だ。

表情豊かで人なつっこい色黒男はあのままでいてほしい。そして彼女は内外ともに大きく変貌してほしい。


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