2009年5月13日(水)  網の人

昨日の夕食で、念願の桜エビのかき揚げを食べた。
なんと近所のスーパーで桜エビを売っていた。もう季節が終わりに近づいていると思っていたのに、それはぼくの勘違いで、どうも漁期の最中らしい。桜エビは春と秋に獲れる。この辺りでは食べる人は少ないらしく半額になっていたから、これは買うしかない。多いかなと思いつつ2パック買った。
かき揚げは面倒だから、作るのはかみさんが休みの土日が恒例になっている。しかしそんなことを言っているときではない。

下準備が出来ると声がかかる。揚げるのはぼくの役目だ。氷で冷やしてあった衣の具合を再度調整する。何しろ普通の天ぷら以上にかき揚げは衣が難しい。衣が粘ついてもいけない。薄すぎてもいけない。多くても少なくてもいけない。火の通りに影響するし、揚げている時に形が崩れバラバラになることにもつながる。とにかく、桜エビのつなぎになればいいのだ。全体に適度な隙間があり、平べったく形が整い、表面がカリッと揚がれば申し分がない。

1年以上も作っていなかったのに、上々の出来上がりに我慢できず、お茶の支度をしているかみさんを差し置いて、ひとりでガブリとやった。完全に食い意地の張った犬だ。
香りと味を噛み締めながら、やっぱり目を閉じてしまった。桜エビの殻はパリパリで、身は柔らかく甘い。その絶妙な味と歯ごたえ。2パック買ったのは正解だった。4枚作ったが、もっと食べたかった。油の料理が胃にもたれる歳になったというのに、このときばかりはそんなことお構いなしだ。最後の二切れになったとき、どちらを食べるかでかみさんと火花が散りそうになった。
桜エビに混ぜた三つ葉の彩(いろど)りもきれいで食欲を誘う。三つ葉の味は主張しすぎないから、桜エビの風味が損なわれることはない。

食後、食器を洗っているかみさんに言う。
「高知に行かなきゃ、だめだな」
かみさんは何のことだかわからない。
揚げる時に使うオタマを平たくしたような道具の網の目が細かすぎるのだ。この道具がかき揚げに適していれば、もっとうまく出来上がる。

日曜の高知市では、お城から一直線に伸びる大通りに市が立つ。それは日曜市と呼ばれており、生活必需品から骨董のようなもの、朝堀の野菜まで何でもござれだ。その中の小さなスペースに座り、ひとりのおじさんが金属の網を作っていた。針金とヤットコやペンチを器用に使い、大小にかかわらず、その人はどんなものでも作ってしまう。美しい亀甲模様の様々な品物がその小さなスペースに並んでいる。それらを買い求めても良し、オーダーをしても良し。とにかく素晴らしい腕前だった。
ぼくがその人を見たのは、35年ほども昔の学生時代だ。しばらく足を止めてその仕事ぶりを眺めたものだ。無駄のない流れるような手の動きが、美しい品物を作り出す。真の職人とはこういう人のことである。
当時でも、そこそこの歳だったその人は、おそらくもういないだろう。でもまだあそこにいるような気がして、行ってみたいと思った。自分が望む網の道具を作ってほしい。今度はその網でかき揚げを作りたい。


これを読んでいる高知市の人へ。
あの職人さんは、まだおられるでしょうか。ご存知でしたら、お手数ですがお知らせ下さいますか。二代目の人がおられるなら、その方でもけっこうです。


 

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