2009年5月12日(火)  嫌いなもの

「雄ちゃん
お元気ですか?
今週は大学が春休みで、少しゆっくりしていろいろなことを考えているうちに雄ちゃんのことも考えて、夕べは夢にも出て来たので、メールしたくなりました。」

こんなメールが届いたのは、3月のことだった。
「雄ちゃん」「大学が春休み」「夢に出て来た」
こんな言葉に、これを読んでいる人は、???という気持ちのはずだ。ぼくは返事にこう書いた。

「東京の昼間はストーブ無しで過ごせるほど暖かくなりました。
今年は暖かく、すでに桜も九州から咲き始めています」

日本の季節を告げたのは、シカゴ周辺のアメリカで一番寒い地方に姪は住んでいるからだ。そう、これは姪からのメールだった。
姪のMはぼくの血縁者には珍しく関西の難関大学を出て、就職し、結婚、離婚、そして自分の目的を叶えるためにアメリカの大学に留学した。アメリカ人と再婚し、ふたりの子どもを育てながら、復学して勉強している。
去年の1月に突然来日するとメールがきて、わが家に一晩泊まった。深夜まで話した翌朝、始発の飛行機に乗るために睡眠不足のまま暗いうちにわが家を出て、大雪の北海道に発った。姉妹都市を訪ねる市長一行の通訳として来日したのだ。十数年ぶりの再会だった。

Mからのメールには気になる言葉が綴られていた。
坂本龍一のCDを聴いていたら、山本耀司とぼくのことを考えはじめたというのだ。坂本龍一、山本燿司、雜賀雄二という脈絡がぼくには全く理解できず、そして、ぼくの夢を見たという下りが気になって返事を書いた。

ぼくには脈絡のない三人かもしれないが、Mの中ではしっかりとつながっている。自分の好きな日本人三人だ、というような言葉の後にこうあった。
「夢は、起きた途端に家事や子供が待っている生活なので、ほとんど忘れてしまいましたが、私も含め何人かで仕事をしているところで、雄ちゃんが『しっかりと懸命にいい仕事をしないといけない』と諭していました。」

こんなMからの返事には苦笑いをした。高名なふたりとぼくは違いすぎる。おまけに説教じみた夢ときた。
山本燿司さんの服は嫌いではない。高すぎるから着ないだけだ。
坂本龍一さんには一目置いているが、それほど意識したことはない。意識するには遠すぎる存在だった。坂本さんは東京の山の手育ちで、ハイソサエティの匂いがする。小学生のときから現代音楽に目覚め、コンサートに通っていたらしい。あるとき、コンサートの休憩時間のトイレで、大人の客から「君、こういう音楽、わかるの?」と聞かれ「はい」と答えたという。東京芸大の作曲科に当然のごとく現役で入り、あとは誰でも知っている通り、成功者の道を歩んで来た。
田舎育ちで、せいぜい歌謡曲しか知らず、暗くなるまで山や川で遊んでいたぼくとは比べようもない。

そんな坂本龍一さんに対して、「おやっ」と感じたのは、Mのメールのせいではなかった。
5月1日の新聞に、5年ぶりのCDと、自伝『音楽は自由にする』(新潮社)についてのインタヴューが載っていた。

「いまのグローバリズムと資本主義だけじゃダメだ。緑の経済に転換していかないと環境問題も経済もうまくいかない、と考える人が増えた。これは希望です。」
「嫌いなものは『癒やす』という言葉。僕は音楽で誰かを癒やそうと考えたことはない。がんばれも嫌だね。『我を張れ』ってことでしょう? 人にがんばれというのは間違っているよ。それから最近、若い女性に『クリエーターの先輩として私たち若い世代の背中を押して下さい』と言われて、きれた。先人をなぎ倒しながら新しいことをやっていく、それが若者の特権じゃないか。おやじくらいの世代のおれたちに向かって『背中を押して』なんて、ふがいない。スポーツ選手が『勇気を与えるような試合をしたい』と言うのも許し難い。勇気や元気を人に『与える』なんて感覚、僕が知っている日本人はそんな不遜ではなかった。どうしてそんな日本人になったのか、恥ずかしい。」

記事を読みながら不思議な気持ちになった。こういう言い方は坂本さんに対して失礼ながら、自分が発した言葉と錯覚したからだ。
その日、会社から帰ったかみさんの第一声は「坂本龍一さんとあまりに似ているので驚いた」だった。かみさんは普段からぼくの発言をイヤというほど聞いているから、嫌いなものをよく知っている。他にもぼくは「地球に優しい」という言い方が嫌いだ。(地球のことを考えないわけではない。その「言い方」が嫌いなのだ)。

とにかく、これらをぼくもそのうちにNoteに書こうと思っていた。坂本さんの発言は十分に過激である。しかしぼくはもっと過激だったかもしれない。坂本さんが言っているすべてについて、あらためてぼくの見解を述べたいけれど、長くなるからそれはちょっと割愛して、「与える」についてだけ書いておきたい。
例えば、スポーツ選手は「勇気を与えるような試合をしたい」やら、「皆さんに感動を与えたい」と男も女も発言する。それを見ながらお前は何様のつもりかと思う。感動するかどうかは受け手が決めることだ。だから試合を見た観客が「感動した」というならわかる。感動は押し売りするものではないのだ。その上、「与える」とは、たかが一介の選手が自ら使う言葉ではない。ハッキリとした上下関係がある上位の立場の者が下位の人間に対して、あるいは目下の人間に対して使う言葉だ。だから「皆さん」と「与える」は相容れない。
「下々の者たちよ、その方たちに、余が感動を与えて遣わそう」
かつての王国の王が民衆に向かって、このように発するならまだわかる。身のほど知らずのスポーツ選手よ、馬鹿も休み休み言え。坂本さんが言うように、これはとても不遜で恥ずかしいことなのだ。しかし選手たちはそれを連発する。この手の人間はアートをやっている若者にもいると思う。

「身近な生活でいいことなら、毎日のようにある。例えば、ニューヨークでは2年前ぐらいから水道水を飲むことが流行している。何千キロも離れたところからCO2を使って運んで来た水より、地元の水を飲む。お店では日本の水と外国の水が同じ値段で売られている。それっておかしいでしょ。そんなシステムは作り直さないとだめだ。」

ぼくもたまにペットボトルのお茶を飲む。しかし若者たちがペットボトルの飲料水ばかりを買っている現実を思う。わが家ではそろそろ麦茶を作り始める季節だ。外出するときは、その麦茶か濾過した水道水を水筒やペットボトルにつめていく。ひと夏分の麦茶は吉祥寺の老舗のお茶屋で買っても400円で済む。お金がないはずの若者が、高価なペットボトル飲料を平気で買うことの不思議。
市販のペットボトルの麦茶は、確かにわが家で作る麦茶よりも香りが良い。しかしそれは香りと味をメーカーがつけ加えているからだ。それらの飲み物は自然の味ではない。今やどんな香りも味も人工的に作り出せる時代である。体調が悪いとき、ペットボトル飲料を飲んで、気分が悪くなった経験のある人がいるはずで、それは当然だ。

好きなものは? と聞かれて坂本さんは答える。
「一日の時間では夕方が好き」
ぼくもそうだが、
「お酒が飲めるから」
という理由ではなく(ぼくは普段から酒を飲みません)、誰そ彼(黄昏)どきの光が美しいからだ。その光が次第に闇に変わるとき、「失われていく」「移ろう」という感覚を体感できる。海に沈む夕陽を見たいのではなく、どこにでもあるような町の夕方が好きなのだ。
「ネコ。納豆とご飯」
猫もいいが、ぼくはどちらかと言えば犬を選び、納豆は食べない。

あまりにも考えすぎれば、生きていけない。人間の存在自体が悪につながることになる。いにしえの生活は取り戻せない。しかし少しは考えたい。出来ることはやりたい。
そして嫌いなものは嫌いと言いたい。


 

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