2009年4月27日(月)  無人島のにぎわい

サイトを開設した頃を急に思い出した。

10年前、その気になってパソコンを買った。サイトを作ることなどそんなに難しくないと思い、軽い気持ちで解説本を買って来た。ところが本の内容はまったく理解できなかった。途中で匙を投げ、MacのG4は飾りになった。場所をとりすぎる飾りだった。
そのころぼくはマウスの動かし方も知らず、マウスパッドがなぜこんなに小さいのか、ふざけるなと思っていた。マウスをクリックしたまま長い距離をそのまま引きずっていたから、そんなパッドでは足りなかった。
半年ほどたって、大金をはたいたことを考えると口惜しくなり、仕方なく重い腰を上げた。腰を上げたのはいいけれど、やはり何もわからない。とりあえずADSLを契約し、かみさんの会社の同僚に初期設定をしてもらい、ネットに繋げてもらった。しかしぼくの目的はサイトを見ることではなく、開設することだった。

小林のりおさんに電話した。小林さんなら恥をかいてもいい。小林さんはサイトを開設した写真家として、おそらく嚆矢と思われる大御所である。そんな人が身近にいたことは幸せだった。小林さんは「教えますから」と言った。
(そのころ、写真界の重鎮・東松照明さんのお宅に伺った時、東松さんはフォトショップを使って仕事をされていた。自身で作られたのではなかったが、東松さんもサイトを開設されたばかりで、そのとき小林さんのサイトをとても評価されていた)。
どうにかメールの打ち方を習得し、初めて小林さんにテストメールを打ったときのことをよく覚えている。届いているのかいないのか、気になって仕方がない。電話で確かめようかと思った。まるで落語の世界である。迷っていたら、ほどなく返事が来て、「よくメールが打てましたね。驚きました」と書いてあった。そんな短いメールでさえ誇らしい気持ちになったものだ。

「教えますから」の後は、小林さんの受難の時代となった。あれほどの質問攻めに遭うとは思っていなかっただろう。素人の質問に正直なところ辟易したと思う。しかし彼は全くそういう素振りを見せず、今から思えば馬鹿な質問にいつも丁寧に答えてくれた。少しは遠慮したのだが、遠慮していたら次に進めなかった。下手をすると連日、少なくとも2、3日おきに電話していたと思う。しかも一度電話すると長かった。
大学でデザインを学び、かつてはデザインの仕事をしていたから、ノウハウさえわかれば後は自力で何とかやれる。やっとのことで小さなサイトを立ち上げたのは2001年の春だった。鼻息荒く最初に連絡したのが誰なのかは言うまでもない。
そうして徐々にサイトを充実させた。現在の体裁が整ったのは2002年くらいだろうか。
(やっとまともな形になった頃、サイトの写真部門でベストサイトに選ばれたことがある。そのときも小林さんに即日報告した。もちろん小林さんはとっくにそれに選ばれていた。)

開設間もない頃、閲覧者カウントの付け方を教わると、毎日それが気になって、カレンダーにその日の数字をメモっていた。自分のサイトを見る人がどれだけいるのだろう。わくわくしながら毎日数字を見た。少しずつ、日増しに数字は増えていった。突然のぼくのサイトの出現に驚いた人たちが、自分のサイトに掲載し、あるいはリンクし、口コミ的に広めてくれたのではないかと思っている。そのころから現在まで見続けている人は、小林さんの他にもいるだろうか。

パソコンの質問は滅多にしなくなったけれど、わからないことがあれば、小林さんに電話するのは今も変わらない。

こんなことを久しぶりに思い出したのは、数日前に「おやっ」と思うことがあったからだ。
今はもうカウンターをほとんど意識しない。でも何だかサイトの閲覧数が急に増えているような気がした。注意して見ると、確かに数字は上がっている。
たまに急激な増加を示すことが過去にもあった。知らないうちに有力なサイトを運営する誰かがリンクしてくれたのか、何かでぼくのサイトを取り上げてくれたのだろう。今回も思い当たる節はないと思っていた。
先月、ニュースの中で軍艦島の写真を使わせてほしいと日本テレビから電話があったことを思い出した。そうしてようやく思い至った。今月の22日から軍艦島が一般公開されることを。数字が増えはじめたのは、そのニュースが新聞やTVに顔を出すようになった頃からだ。
そして今日はとりわけ多かった。朝日新聞の『天声人語』に、ぼくの名前とコメントが出たからだろう。そんなコラムにぼくのことが載るとは思いもしなかった。人生にはそんなことがたまに起こる。
コラムを読みつつ思った。連休になれば、島は多くの人でにぎわうのだろう。

25年前、閉山から10年たったとき、ぼくは再び島で写真を撮り始めた。自分から行ったにもかかわらず、島流しにされたように感じた。夜の恐ろしさは尋常ではなかった。
もちろん人は誰もいなかったし、来なかった。携帯電話もなかった。
誰かに会いたい、話したい、という気持ちと、ひとりでいることの心地良さが同居していた。


 

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