2009年4月20日(月)  輝きの瞬間

ここ数日の間にネットで世界を駆け巡っている人がいる。世界で一番ホットな人と言ってもいいだろう。
少し前、それはなんと日本人だった。日本人が世界で評判になるのは、とても珍しいことだ。ただし、その日本人は情けないことにローマで酔っぱらって醜態をさらし、笑い者として世界を駆け巡ったのだ。世界がやっと中川昭一財務大臣を忘れた頃、今度は素晴らしさで世界を魅了している人がいる。

「Britains Got Talent 2009」という英国の才能発掘オーディション番組をYou Tubeで見た。
彼女が舞台に現われた時、審査員も観客も一様に驚いた。彼女がその場にふさわしくない人間に見えたからだ。太って二重あご、容貌はまさに田舎のおばさんだ。半ばあきれ顔の審査員はやれやれという雰囲気だ。審査員のひとりが質問する。
「名前は?」「スーザン・ボイル(Susan Boyle)」。「どこから来たの?」という質問には、審査員も知らない片田舎の地名を告げる。「歳は?」「47歳」。審査員はおいおい勘弁してよという顔になる。しかし彼女は腰を振り振り「そんなの私の一面に過ぎないわ」と陽気だ。「夢は?」「歌手になること」。嘲笑するような観客たちの顔。「これまでなぜなれなかったの?」「チャンスがなかった。でもこれで変われるかも」。「歌手になれるとしたらどんな・・・?」「エレイン・ペイジ」。会場は失笑。「今夜は何を歌うの?」「レ・ミゼラブルから『夢破れて』」。
彼女がどんな失態をさらすかと会場は沸き返り、審査員たちもそれじゃあとっととやって、という雰囲気だ。会場に曲のイントロが流れ始めると、やっと会場は静まる。
歌声が会場を包む。彼女がワンフレーズを歌っただけで、審査員たちは眼(まなこ)を見開き、観客は驚嘆する。彼女の容姿と歌声とのギャップに、人々の顔つきが見る見る変わっていく。歌声に魅了され、どんどん引き込まれて行くのがわかる。それはぼく自身のことでもあった。歌が終わると大喝采が鳴りやまず、いつもは厳しさで知られる審査員たちも絶賛の嵐だ。
舞台の袖に引っ込んだとき、彼女は泣いた。

ポール・ポッツは今や日本のTVのCMにも出演して『Time to say Good by』を歌っているから、知っている人もいるはずだ。セールスマンだった彼は、2年前にやはりこの番組に登場して『誰も寝てはならぬ』を歌い、あれよあれよという間に、世界のテノール歌手の仲間入りを果たした。
生まれてから一度も男からキスされたことがなく、教会のボランティアをしている田舎のおばさん、スーザン・ボイルも同じ道を歩むだろう。いや、もっと劇的に一躍世界の有名人になった。彼女が目標に挙げたエレイン・ペイジから、すでに競演の話もあり、世界中のTV局から出演依頼が舞い込んでいるという。階段を駆け上がったのではなく、ジメジメとした地下室から一気にペントハウスに昇ったのだ。シンデレラガールと言うには、いささか薹(とう)が立っているが、まだまだこういう人が存在するほど、世界は広く深いことを思い知った。

才能。
彼女を見て、あらためてそれを思う。けれども才能を持ちながら、埋もれさせたままで一生を終える人も多い。

スポーツは才能がとてもわかりやすい。文章を書く才能も、絵を描く才能も見つけられやすい。それらは社会に認知されている度合いが大きいからだ。それらをわかる人が社会に比較的多いということだ。例えば学校の先生。いい先生は子どもたちはの才能に気がつき、伸ばそうとしてくれる。そういう先生や親に恵まれた子どもは幸いである。
しかし、社会を見渡して、写真というものをわかる人がどれだけいるだろうかと思う。

花や風景をきれいに写真に撮る。戦場の写真を撮る。それらも写真だ。それは誰が見てもわかる部類の写真だ。でもそれらだけを写真とは呼ばない。
小林のりおさんの写真も、今道子さんの写真も、石内都さんの写真も、柴田敏雄さんの写真も、畠山直哉さんの写真も、もちろんぼくの写真も、そういう写真とかなり違う地平にある。同じ写真という言葉で括られながら、それらは花をきれいに撮る写真とは大いに違う。日本では、ここに名前を挙げた人たちの写真を知っている人は圧倒的に少ないだろう。海外で知られる写真家たちであるにもかかわらず。

最初は花の写真から始めればいい。自分を綺麗に撮りたいという動機でも構わない。そのうちにそれだけが写真ではないと気づいてくれればいいのだ。(気づかなくても一向に構わない)。
ただ、たとえそれに気がついても、まわりに適切な助言者がいない。まわりにいるのは、花をいかにきれいに撮るかについて語る人だ。
「ワークショップ基礎塾」を始めようと思った。写真学校のぼくのゼミが休ゼミになったというだけの理由ではなく、普通の人たちに写真の楽しさ、面白さを体験してほしかった。楽しむだけでなく、一年という期間があれば、かなり上達するはずである。続けるうちに写真とはこういうものだ、という思い込みはきっと破れるだろう。写真に型などない。どんなものをどう撮ってもいい。それが写真を楽しむことだ。万が一、そういう人の中から写真に目覚める人が現われれば、そして写真家が誕生すれば・・・。
そんな夢のようなことを考えていた。でも、夢は儚ない定めなのか、微々たる応募しかなく開設を諦めた。

アメリカには写真家が多い。それは普通の大学で写真を教えているところがいくつもあるからだ(アートスクールでなく、ごく一般の大学で)。それまで関心がなかった人が写真を撮りはじめ、その面白さ、奥の深さに気づいていく。それは必然として多くの写真家を生む。写真家にならなくても、写真の理解者となるから、写真に対する社会的認知度は日本と比較にならない。当然のこととして、コレクターも多く存在する。現実に、ぼくの写真について届く外国からのメールは、アメリカ人が多い。
若いときは勘違いするのだが、なりたい人がそれになれるのではなく、多くは予想外の偶然から始まるものだ。このアメリカの事例だけでなく、人生とはそういうものだと思う。

日本はカメラ大国ではあっても、写真大国ではない。
写真大国にならなくてもいいから、せめて今よりはいい環境にしたい。とにかくおもしろい人を見い出したい。
小さな一歩のつもりだったが、踏み出す前に頓挫した。もう今回のような塾開設を繰り返すことはないだろう。経済不況という時代にあって、お金が苦しい人は多い。でも、やりたければ、そういうことに左右されないのではないか。やりたくなければ仕方がない。人は二種類いる。やる人とやらない人。これはどんなことにも当てはまる。

スーザン・ボイルは『夢破れて』を歌い、夢を叶えた。日本に夢を叶えたい人はいっぱいいるけれど、その夢は叶わない。
違いはどこにあるのか。それを才能の問題で片付けてほしくない。
もし何らかの才能を有していても、それが簡単に表に出て来ることはない。気付くのだ。掘り起こすのだ。磨くのだ。自分の力だけではどうにもならない。
「天才は最初から天才ではない」
ぼくはこのフレーズをよく口にする。

ただの石にしか見えなかった人が、実は宝石だった。スーザン・ボイルは輝いた。ぼくはその瞬間を見た。



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