2009年4月13日(月)  筍会

12日は日曜にもかかわらず珍しく早起きをした。眠りについた時間を考えれば当然睡眠不足である。
一昨日わざわざ遠くの品物の良い八百屋まで買いにいき、水煮をしてあった筍を煮物のために下準備をして、ある用件を片付けるために10時半に早足で家を出た。日差しは夏のものではなかったけれど、Tシャツだけでも良かったと思いつつ汗ばんで電車に乗った。
所用を済ませ、近くのスーパーでサンドイッチを求めて帰宅したら12時半で、意外と時間をロスしていた。煮物を作りながら昼食を済ませた。6時間後には味が滲みてちょうどいい筍の煮物が出来ているだろう。塾生たちの顔を思い浮かべ、これで良しと思ったとき、ひと息つく暇もなくチャイムが鳴った。

ドアを開けると相原が、続いて菊地の顔が見えた。リビングに入るなり、相原はすぐに帰宅しなければならなくなったことを告げた。わが家に着く寸前に電話が入り、急用が出来たのだという。理由を聞けば納得する他はなかった。立ち話だけで、失礼しますと言う彼を少し待たせ、火を切る寸前の筍をパックにつめて渡した。アツアツだけれどまだまだ味は薄い。

ワークショップの休憩時間にコーヒーをいれ、焼き菓子を出した。それを口に入れた菊地と竹下がほぼ同時に「おいしい」と言った。「あたり前田のクラッカー」と思いつつ、ニンマリしながら次の言葉を待ったが、それだけだった。
ぼくはガクッとなった。それだけで済ませるには惜しい焼き菓子だったからだ。ずっと前、これを初めて食べたときのぼくの反応は、そんな生易しいものではなかった。かみさんとふたりで、しばらくその菓子についてあれこれ話し続けた。大粒の栗や黒豆が惜しげもなく使われたその菓子は、関西の知人に会いに行ったかみさんが、塾生たちのために京都で買って来てくれたものだった。食に詳しい人なら何処の何という菓子だと、もう察しがつくはずだ。

もちろん「おいしい」と言ったことに文句を付けているのでない。「おいしい」で終わりにしないことの大切さを言いたいのだ。何がおいしいのか。何故おいしいのか。香りなのか、味付けなのか、食感なのか、材料なのか、技術なのか、作った人の思いなのか・・・。とにかく「おいしい」という便利な言葉で終わりにしないことだ。
これは、彼らが写真に対する態度とまったく同じだった。
ゼミやワークショップで他人の写真を見て、それらについてディスカッションする。そのとき、彼らは自分の思いをきちんと述べることが出来ない。いつも少ない言葉で片付ける。確かに感じることが少なければ、多弁にはなれない。しかしそれだけではない。彼らの言葉は断片的で、自分にしかわからないような、ものすごく曖昧な言い方だ。文章になっていないのだ。だから聞く側は何を言っているのかわからない。
未熟がなせることではなく、感受することの欠如と、発言しないことの危機感の欠如を感じる。

普段より長くなったワークショップを終えると、予約してあった寿司を受け取りにぼくは車を走らせた。そこは味の割に値段が安く、いつも長い行列ができるほど繁盛していた。
帰り着くと筍に再度火を入れ、群青色が目にしみる骨董の染め付けの大鉢に筍を盛りつけて、鰹節を一掴みふりかけた。塾生たちが筍のために開けていたテーブルの中央にそれを置くと、彼らは少しどよめいた。
この日の筍は灰汁(アク)が気持ち抜けすぎていた。もう少し灰汁があった方が筍本来の味となる。それにしても旬をすでに過ぎていることを考えると、大きさの割に根元まで柔らかく、風味も良かった。白ご飯でなく、寿司に合わせるにはこの程度の薄めの味付けがいい。
塾生たちは黙って食べていた。味を噛み締めているのだろうと思った。

「筍は水煮になって売っているものをグリーンカレーに使う程度なので、
どのような料理が出てくるかすごく楽しみです」

「手間はかかりますが、料理というほどのものではありません。
しかし本物の筍を食べたことのない菊池には驚きだろう」

初めて我が家に来る菊池からルートを尋ねるメールがきて、それに答える返事のなかにこんなやり取りがあった。だから、黙って食べているだけの彼に、ぼくが感想を尋ねたのは自然の成り行きだった。彼は言った。
「やっぱり水煮で市販されているものと歯ごたえが違いますね」
二の句はなかった。焼き菓子の時にわかっていたことだと、ぼくは自分に言い聞かせた。でも言ってしまった。
「それだけ?」
そう、それだけだった。彼は何かを言わなければという素振りを見せ、再び筍を頬ばったが、何も言葉を見つけられなかった。正確に言えば、言葉を見つけられなかったのではなく、それ以外の何も感じなかったのである。

彼は3月の合宿で公言していた。
「料理を作るのが好きです。家ではぼくが料理を作ります」
「かみさんは作らないの?」
「ぼくが作ります・・・」
それを自分でも思い出したのか、苦笑いを浮かべながら、自嘲気味に言った。
「ぼくはエセ料理人ですね」
そして苦し紛れに続けた。
「今日は鼻が詰まっていて・・・」
ぼくは苦々しい顔つきでそれを聞いたが、こうなると、もう笑いがこみ上げた。

生の筍と、水煮されてパックに入って売られている筍は、全く別物である。月とスッポンの差がある。ぼくは「パック筍」を「ニセ筍」と呼んでいる。それは薬品でアク抜きした気持ちの悪い妙な酸っぱさだけがある。あるいは薬は筍の風味をも完全に奪い去り、まったく味がない。
本物の筍の煮物は口に入れる前にすでに香りが漂っている。そして口に入れて噛みはじめた瞬間に広がる筍にしかない独特の風味と食感。これぞ筍である。それを感じないことの不思議。
ぼくは驚き、黙っているふたりにも尋ねた。
「筍の味、わかるよね?」
ふたりは頼りなげに「はい」と言いつつ、自分の感じている筍の風味が、果たしてぼくの言う風味と同じものかどうかをあらためて考えている様子だった。このふたりもちょっと怪しい雰囲気だ。
こんなことを尋ねるのは初めてだと思った。それほど今年の塾生たちは反応がなかった。これまでの塾生は、尋ねるまでもなく様々な感想を口にしながら、ひたすら食べていた。そのむさぼり食べる姿を見れば、彼らの思いはきちんと伝わった。

ぼくたちの世代は筍の風味を知っている。筍と言えば、生の筍しかなかったからだ。灰汁抜きした市販品が出るようになると、便利さから人々はそれを重宝するようになった。それだけ灰汁抜きの為の水煮は面倒な作業なのである。若い人の多くは筍と言えば、菊池と変わらない反応を示すだろう。ぼくの世代でも長らく生の筍を食べたことがなく、すでにその風味を忘れている人が多いと思う。
今、本当の筍の味を知っているのは、生の筍しか食べない人か、食を大切に考える母親に育てられた人だ。地方でも、筍の産地でも市販のパックを買っている。手間とお金を考えればそちらを選ぶのだろう。でもそれは偽物だ。

味覚に対する感覚が異常に鈍っていることを実感させる出来事だった。カレーを食べ過ぎている(笑)。インスタント食品やお手軽食材、香辛料の効いた辛い食べ物が幅を効かせている現在は、味覚音痴が増えている。極端な差を感じることは出来ても、微妙な差を認識できない。筍は微妙というほどの差ではなく、はっきりと認識できる風味にも関わらず、それを感じられない。
これまでどんなものを食べて来たかが想像できる。

料理も写真も小説も音楽もみんな同じだ。
微妙な差を感じられない者を、その道のプロとは決して呼ばない。

3年前の写真学校で、優れた料理人そして写真家、という話をしている時に、ある学生が突然言った。
「自分がおいしいと思えば、料理ってそれでいいんじゃないですか?」
それをマスターベイションという。
料理においしいもマズイもないと彼は話を続けた。彼を貫いているのは、自分がいいと思えばそれでいい、という考えだった。それは有り余る才能を持つ人や、一流と言われる人間なら許されるだろう。しかしそうでない彼にその論理はまったく通用しない。
そのとき、ぼくは言った。
「じゃあ、なぜ君は写真学校に来ているのか? 料理学校は何のために存在するのか? 人はなぜ学ぶのか?・・・」
自分の論理を通し、自分だけの世界で満足したいならば、自分勝手に生きればいいだけのことだ。我流で撮った独りよがりの写真を部屋で眺めてニヤニヤしてればいいだろう。他人に見せることも、感想を求めることも、もちろん展覧会を持つことも、学ぶことも全く必要はない。
おいしいものは確かに存在する。それは腹が減っていれば何でもうまい、好きな彼女が作れば何でもうまい、という話とは次元が違う。

写真学校でのゼミの一期生・根岸 創と、二期生・山本 亮を思い出す。
ふたりは若いのに確かな舌を持っていて、おいしいものを見分けられた。
根岸は写真はダメだったが、他人のために動くことを厭わない今どき珍しい男で、男も女も彼を好いた。先生のアシスタントになると真顔で言った。ぼくはアシスタントを使う仕事をせず、雇うお金もないのをわかっているはずなのに。写真を辞めて、早く料理の世界に進め、とぼくは冗談ぽく言い続けたが、それは本音だった。それが通じたのか、彼は鎌倉のレストランで働いている。自分の店を持つことを願っているのだろう。
山本はワークショップにも参加したが、写真に見切りをつける几帳面で丁寧な手紙をくれ、塾を去った。ただ、恒例となった合宿にはいつも参加してくれる。イトーヨーカ堂の生鮮食料品売り場の正社員となり、パートのおばちゃんたちに可愛がられて仕事をしている。( 山本に言わせると、彼がおばちゃんたちを可愛がっているらしい。心根が優しい男だから、その様子が想像できる)。
「いいお母さんに育てられたな。・・・・」
以前、山本にそんな話をしたことがある。彼は浜松に帰ったとき、その話をしたらしい。そのとき母親は、そんなに大したものは食べさせていない、と答えたという。でも幼児期の食が今の山本の味覚を作っている。それは事実だ。味覚だけでなく、脳の様々な発育がその時期に決まることは実証されている。一度インプットされた情報は、生涯を通して残り続ける。そしてそれにプラスして、その後の食生活が重要となる。

ふたりを思い出しながら、来年にまた筍を振る舞うことがあるならば、彼らを呼びたいと思った。わかってくれる人間に食べて欲しいと思うのが人間の正直な気持ちだ。

筍が最後の二切れになった時、どうせと思いつつ、菊地に食べることを促した。一番うまい「穂」の部分がひとつ残っていた。そこはみんなに二切れずつ行き渡るはずだった。全員に食べたかどうかを尋ねている時、橋本が3つ食べたと首をすくめた。うまい部分を知っているということは、橋本は筍の味をわかっているのだろうか。そのときである。
「わかりました! 筍の味が今わかりました!」
菊地が飛び上がらんばかりの体勢で、素っ頓狂な声を上げた。
そうかやっとわかったかと言いつつ、ぼくはまだ本気にしなかった。筍の風味とは、それほどの勢いで言わなければならないものではないからだ。普通に食べれば誰でもわかるはずなのだ。でも現実には菊地のように、筍の風味がわからないだけでなく、出汁(ダシ)や、醤油の加減、煮る時間などにも無頓着な人間が多いのだろう。普段から料理を作る人間ならば、感想はいくらでも言えたはずだ。

悩ましい筍会が終わり、今日届いた彼からのメールにこうあった。
「今度自分でも挑戦してみようと思います。」
やってみればいい。そのうちに本当に味がわかるかもしれない。知っているだろうが、うまいものを作るには手間を惜しまないことだ。やってみれば、ぼくが煮物に掛けた手間だけでもきっとわかってくれるだろう。
最初は誰も素人だ。「学ぶ」は「真似ぶ」から来ていると言われる。わからないことがわかるようになる喜びを感じてほしい。料理も写真も同じだ。

菊池の名誉のために書いておかねばならない。
この日、写真を持ってきたのは彼だけだった。テーブルを1面追加して、それでも2回に分けて見なければならないほどの量を並べ、しかも質が高かった。現状では、彼らの当面の目標である個展を持つことに一番近い男である。おそらくそのうちにきっと実現するだろう。

たかが筍と思うのは、おいしさを知らない人だ。
ニューヨークに5年間住んでいる友人夫婦を訪ねたときの、彼らの一番の嘆きを最後に教えよう。
それは、生筍が食べられないこと。



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