2009年4月6日(月)  さくら花

今日は小中学校の入学式だった。大人でも今月になって気持ちや環境が変わった人があると思う。カレンダー上の区切りは12月と1月だ。しかし3月と4月の違いも大きいものがある。社会的にはその間こそ一年の区切りだと思う。正月は神の区切り、この時期は人間の区切り。
つまり3月と4月の間の方が生活に与える影響が大きい。江戸時代までは旧暦(陰暦)を採用し、正月がすべての原点だった。例えば正月を迎えると人はみんな神から歳を与えられた(誕生日ではなく、正月に1歳を加算した)。太陽暦になり、年度という制度も導入されて二重の区切りが生まれた。
日本の年度の切り替えが春であることは季節と連動して望ましい。卒業、入学をはじめとする社会の節目を自然の摂理に置き換えてみると、とても理にかなっている。森羅万象がこの時節を待って動き出すからだ。植物の芽吹きや、冬眠から目覚めたり生殖行為が始まる動物の行動を見れば、それは容易に理解できる。
だから卒入学を欧米に合わせるという考えには、確かにと思いつつ、それでもこの時期でいいと思う。むしろ欧米がなぜこの季節でないのかわからない。

東京の入学式は珍しく満開の桜に恵まれた。
桜はとても妙な花だ。枯れ木がいきなりたわわな花をつける。桜だけでなく、葉が出る前に花が咲く春の木は、他の季節の花と大いに違う。それはともかく桜はこの時期に合う花だと思う。卒業、定年、入学、入社などを飾るにはふさわしく、まるでそれらの儀式のための花のようだ。(儀式のための造花のように見える)。
花見と称する宴会もその延長なのだろうか。ぼくはこれまで一度もああいう花見をしたことがない。暖かくなり、心が疼(うず)くこの時期にあの花を見れば、意味なく発散したい気持ちがわからなくはない。それを自然な行為とも思う。しかしああいう花見はご免だ。

花の下を歩くときに、ああ咲いたんだと見上げ、ベランダにどこからか花びらが運ばれて来ると、そろそろ終わりなのかと思う。ぼくの桜への想いはそんなものだが、この花ほど日本人と関わりのある花はないだろう。それだけ桜にまつわる記憶が日本人には多い。

3月の終わりに写真学校の研究室から電話があり、今年は休ゼミになることを告げられた。こういう事態を予測していたから、大きな驚きはなかったけれど、とてもガッカリした。ぼくが属する第二学科は二年制で、最終学年でゼミをとる。学生たちは以前は80名ほどいたのに今年は一桁しかいない。その学生たちが6つのゼミから行きたいところを選択する。どう考えても無理な話である。しかしそんな中でも成立しているゼミがある。
もしぼくのゼミを体験すれば、選ばなかったことをきっと後悔するだろう。でもこれは「ゴマメの歯ぎしり」かもしれない。「ゴマメの歯ぎしり」: 力のない者が、いたずらにいきりたつこと (広辞苑)。
ともあれ、ぼくのゼミは桜より早く二週間ほど前に散った。

桜という言葉からは幾多のイメージがわき上がる。
その中に「特攻」がある。花から出てきたイメージではなく、「散る」というイメージがぼくの中で重なるのだろう。本当は散らされたというべきだ。花そのものを愛でることが多いなかで、散ることが印象に残るのは他には椿くらいなものか。
「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」
と歌ったのは国学者、本居宣長である。日本の心は何かと人に聞かれれば、私は朝日に映える山桜の花と答えよう。もっと深い意味はあるはずだが、直訳するとこんなところだろうか (敷島は大和にかかる枕詞で、具体的な意味はない)。宣長の思想は武士道や軍国主義と結びつけられ、大和魂の根のように育つ。特攻隊はその歌にちなんで「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられた。この時代の桜は悲しい花である。

以前から、特攻の兵士たちが出撃した土地を訪ねてみたいと思っている。やはり桜吹雪の季節だろうかと思いつつ、蝉の声がうるさい季節でも、寒風の季節でもいいと思い直した。特攻の兵士には季節などなかったのだ。そして出撃がどんな時期であっても、その日が生涯で一番大きな節目であったという事実があるだけだ。

大騒ぎの宴会桜と、悲しい桜が共にある国。


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