2009年3月14日(土)  水をもらう

お久しぶりです。雜賀ゼミ卒業生の菊池飛鳥です。
まず、何度かメールにて先生に助言を頂いたにも関わらず誠実
な対応をしなかったこと、すみませんでした。

学校卒業後から今まで働いてみてようやく、自分にとって何が
出来なくて、何しか出来ないか(やりたいか)がわかりました。
先生の言葉はいつも後からじわじわと効いてきます。

写真(には限定していませんが)をやっていくと決めた以上、
まず自分は果てしなく勉強不足です。そして自分で勉強するこ
との他に、誰かに見てもらう必要があること、同じく表現を志
す人間と意見を交わす必要があると考えています。
ゼミでの経験から、先生の授業からは色々な事を学べるだけで
なく、同時に考えるきっかけを得る事が出来ると思っておりま
す。

一度、先生のワークショップを見学させて頂きたいのですが、
いかがでしょうか?

まず前提として、私がワークショップにふさわしい人材か先生
が判断する必要があると思いますし、私も一度ワークショップ
を肌で体験し、参加するかどうかを決めたいと思います。

いつも勝手なメールばかり送り、申し訳ございません。

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君の気持ちはわかりました。
ただし、まだ菊地は迷っている。
本当に自分のことを考えているのかどうか、疑わしい。
本気ならば、

「一度、先生のワークショップを見学させて頂きたいのですが、
いかがでしょうか?」

などという弱気なことは言わないはずだ。
ぼくのことはすでに良く知っているはずだ。
またワークショップはサイトのNoteにも書いている通り、
学校のゼミレベルではなく、ずっと濃密である。
それも今更書くまでもないことだ。

それを菊地もわかっているはずにも関わらず、
何を今更見学なのだ、とぼくは思う。
そういうところに、迷いが出ていると感じる。
要するにワークショップに参加したいか、したくないか。
単にそれだけのことだ。

ぼくのことを良く知らず、しかもワークショップに恐れをなす者ならば、
見学というのも、少しは頷ける部分はあるが。

ぼくは菊地のことをわかっている。だからお前次第だ。
参加するのであれば、来月の合宿から来た方が良いだろう。
OBも集まりにぎやかになる。

正直な気持ちを言えば、菊地は卒業と同時にワークショップに
来るべきだった。

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ご返信ありがとうございます。
ワークショップには来月の合宿より参加したいです。
詳細を教えて頂ければと思います。
よろしくお願いします。

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やっと腹が決まったようだね。
それでは、一年間一緒にやろう。

(後は合宿の連絡事項ですので略します)

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菊池は3年前に写真学校を卒業した。その年の学生たちは、ぼくが写真学校でゼミを持ってから現在までで最高のポテンシャルを持っていた。

ぼくはゼミの前期に課題を出す。それは一般的な写真の課題とは全く違っている。学生たちがそんなことを考えたことがないだろうと思われる内容だった。それを写真にしなければならない。課題に取り組むには柔軟な頭が必要だった。おそらく課題を知れば普通の社会人は一様に困惑の表情となるだろう。下手をすれば課題の意味さえ理解できない。学生たちはまだ頭が柔らかい。だからこそ立ち向かうことも出来る。
これは、考える、作るということの本質を、学生たちにわかってもらうための、ぼくの方法だった。写真に限らず、アートはおもしろく豊かな発想をどう形にするかである。そして課題は写真という枠を超えて、彼らが生きていく上で、とても重要なことを示すはずでもあった。
課題は難しい。それは当たり前のことだ。彼らがそれまで考えることがなかった内容なのだから。当然、課題に対する学生の反応は様々で、それは写真にそのまま現われた。菊地を含む3人ほどが面白い反応を見せ、才能を感じさせた。しかし菊地が他の誰とも違っていたのは、ひとりこう言ったからだ。
「もっと難しい課題を出して下さい」
菊地は課題を楽しんだ。その証拠に彼の課題に対する答え(写真)はひとり抜けていた。面白いという言い方が誤解を生むならばはっきりと言う。とても良い写真だった。ゼミの学生たちも、毎回、菊地の写真を楽しんだ。彼は発想が豊かだった。他人の考えられないことが考えられた。
そんな彼にも弱点はあった。もう少し考えを進めれば、もっと良い写真になることが目に見えていたにもかかわらず、その一歩、二歩先が見えなかった。講評でぼくの指摘を聞くと、菊地はいつも「ああー」という、溜め息とも無念ともとれる声を上げた。ぼくはその声を肯定的に聞いた。彼がもっともっと成長するだろうことを、その声に感じたからだ。

行動と思考はいつも裏腹な関係にある。バランスがとれているとき、人は素晴らしいものを作り上げる。ところが後期になって彼は思考の領域に歩を進めすぎてバランスを壊した。調子に乗ったのだ。考えなくていいことがどんどん膨らみ、それは、面白いものを作らなければという強迫観念を生んだ。そして当然の帰結として行き詰まった。そのスパイラルにはまると、抜け出すのは至難の業だ。
写真が撮れなくなり、卒業制作はあえなく撃沈した。むしろ自沈したと言うべきか。それを自身で感じ、力なく笑っていた菊地の顔をよく覚えている。彼らとの最後の授業だった。1Fパソコン教室の広いテーブルの右角に菊地は座っていた。
菊池だけではなかった。その年の学生たちの多くは観念的になりすぎて独り相撲をとり、あるいは未熟すぎて総崩れとなった。ひとりの女子学生を除いて。
彼女だけがモノを見ることを地道につづけていた。気負いなく、淡々と。教師という者はつい多弁になるものだ。しかし、そういう学生には多くの言葉も、余計なひと言も言ってはならない。ぼくは彼女に言い続けた。
「そのままでいい。自信をもって続ければいい」
彼女の作品は卒業式で優秀賞を受けた。

「卒業後は、ひとりで写真を続けます」
「菊地ならひとりでやっていけるだろう」

菊地も、ぼくもそう思いたかった。

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この度は、ワークショップ合宿に参加させて頂きありがとう
ございました。OBの方々を含め沢山の人数の参加や、皆の先
生の話への聞き入りぶりに、先生の人望の厚さを感じました。

野球大会では、守備の姿勢をしながら、海に沈んでいく陽と海
の表面の色の変化を眺めているのが楽しかったですし、夜の宴
会では久しぶりにお腹の中がすっきりするほど笑ったような気
がします。

現役塾生の相原さんと橋本さん・そして来月から共に入塾する
竹下君と顔合わせが出来た事も大きな収穫でした。(橋本さん
が今どのような写真に取り組んでいるのかを見れなかったのが
少し残念でした。)
これから、それぞれの持ち味をいい具合にぶつけたり、混ぜ合
わせたりして活気のある、そして唯一無二のワークショップに
していけたらと思います。

帰りの電車からうとうととし始め、家に着いた途端に倒れ込む
ように眠りに落ちてしまったためお礼のご連絡が遅れてしまっ
たことをお詫び致します。

レポートにつきましては後日提出致します。

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以上は菊地とぼくとのメールのやり取りの全文である。
菊池の疲れがよくわかる。野球のあと、9時間に及んだ宴会と座談。翌日は緊張感のあるワークショップだ。しかも初めての参加である。それでも連絡が遅れたと書いている菊地の礼状メールが一番早かった。

彼はこうして4月からワークショップの一員になる。人間として惹かれるものを持っている彼の参加で、ワークショップが一層面白くなることを望んでいる。惜しむらくは、参加が少し遅かったという感は拭えない。ここ2年ほどの間、ぼくの話は充実していたと思う。それらの話はもう二度と聞けない。そしてぼくのテンションがいつまで続くかは、ぼく自身にもわからない。こうなれば君たちの力で、これまで以上のワークショップにすることだ。

ぼくに人望があるのではない。君たちの喉の渇きが少しだけぼくにわかるということだろうか。喉がカラカラのときにもらう水。話も水に似ている。ぼくも多くの人から水をもらった。

合宿で彼が持参した写真は面白かった。みんな息を呑んでその写真を見ていた。菊池には多くの言葉はいらない。
大胆になれ。
昔も、今も、そう言いたい。


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