2009年2月28日(土)  一木少年の40年

2週間前、一木(いちき)さんのコレクション展に出かけた。
小金井公園の一角にある「江戸東京たてもの園」には何度か行ったことがある。電車で2駅、自転車でも30分ほどで行ける。わが家も東京の郊外に属し、周辺は密集とまでは言わないが、家が建ち並んでいる。しかし2駅だけの違いなのに、たてもの園の周辺はのんびりとして緑が多く、なんだか旅行に来たような雰囲気が味わえる。

たてもの園は「明治村」(愛知県)の小型版で、江戸から昭和までの建築物がある。かつて東京に存在した建物が壊される運命になった時、引き取って移築したのだ。建物の数と敷地の規模では明治村に到底及ばないけれど、当時の雰囲気そのままに、特徴のあるいい建物が建ち並んでいる。
子どもから老人まで一番人気があるのは「子宝湯」だ。これは宮崎駿さんのアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになった銭湯で、それを知ってか知らずか、とてもにぎわっている。もちろん現役の銭湯ではない。銭湯を知らない子どもたちが増えている現在、ここで風呂に入ることが出来れば本当に面白いと思う。常時でなくてもいいから、そういう企画を考えてほしいものだ。

どの建物も独特の風情を見せ、どれが一番とは決められない。仕事に応じたそれぞれの家の造りや、時代というものを建物から感じることが出来る。そういう意味では、建物の配置を江戸から昭和へという時系列で歩むように設置できなかったのだろうか。それが残念である。
ぼくの気に入りは「常盤台写真館」と「前川國男邸」だ。
写真館は磨りガラスを通した写場(しゃじょう)の自然光の回り具合がとてもいい。その光のなかではモノが自然な姿を現すのだ。モノだけではない。そこでは写される「人」も同じだろう。
最近は明るくなければ売れないような現状があるからだろうか。住宅メーカーは良い家の条件として明るいこと、南の光が部屋に差し込むことばかりを強調する。ぼくは明るいばかりが能じゃないといつも思う。写真館でそれを再認識した。その光の中で写真を撮ってみたい。読書したい。そんなことを思わせる柔らかく美しい光だった。
前川邸はさすがに日本を代表する建築家の自邸だ。規模は小さいが、光の回し方と、空間のつくりが見事だ。ふたつの建物は建築というものが光と空間の構成で決まることをよく現している。

その日は、一木さんの会場に直行した。親しい来客との歓談に急がしそうだったが、ぼくたちを見つけると「ワァー」と声を上げた。
昭和41(1966)年、茨城県下館市のランドマークであったお菓子工場の煙突が引き倒された。一木少年が幼い時から日々見慣れた光景が姿を消した瞬間だった。17歳の一木さんは現場で小さなレンガの破片を拾い上げた。コレクションの第一号である。会場の冒頭に展示された手のひらに載るほどのそのかけらを、そういういきさつとは関係なく、ぼくは美しいと思った。
数百の建物のかけらは、かけらにも関わらず壮大で、目移りして困った。それらは日本中の名建築の一部分である。一木さんはそれらの建物が壊されるとき、現場に足を運び、解体されたかけらを拾い、40年以上が経過した。
以前の銀座INAXでの展覧会タイトルは「建築の忘れ形見」だった。あまりにも的を射たタイトルに、ぼくは沈黙してそれらを見続けた記憶がある。

建物が存在したとき、よほどの建築好きか専門家でない限り、人は町に溶けこんだ建物に目を向けることはない。ところが建物が消滅したとき、人はやっと建物そのものに心が動く。人とはそういうものである。これまでに何度もNoteに書いてきた。人は失うことでそれを認識する。人、動物、樹木、建物・・・。
在りし日の建物をしのび、思いを馳せてももう遅い。一木さんは本当はかけらなど集めたくはないのだ。本当は残してほしい建物たちである。しかしそれがかなわず、解体される運命となった時、その一部だけでも残したいという、一木さんが少年の頃に感じた切実な思いが、40年という月日を貫いている。建物が消滅した現在、それらは貴重な遺物となった。
たとえ建物の詳細写真が残っていたとしても、それらは状況を語るだけだ。建物のかけらや建物の一部が持つ圧倒的な存在感にはかなわない。小さな塊であったとしても、それは本物である。
小さなかけらだからこそ、人は想像するという壮大な旅に出ることが出来る。

展示の中にタイルがあった。パンフレットには「タイルの美」として次のように記されている。
「個人的にタイルの美しさとは、色、並び、組み合わせの三点に集約されると考えている。ここに紹介するのは、そんな私の基準を満たす美しきタイルの御三家」
御三家のひとつに選ばれた軍艦島(映画館)の外壁タイルは、ぼくが一木さんに寄贈したものだった。
15年ほど前だろうか。島の映画館・「昭和館」(昭和2年建造)が台風で瓦解した。大正・昭和という時代を色濃く残したその建物は軍艦島の中でも異色で好きな建物のひとつだった。瓦礫を前に在りし日を思いつつ、ぼくは散乱したかけらの中から、ファサードの柱の一部を拾った。
一木さん宅に遊びにいった時、ぼくはそれを差し出し、写真集を見ながら「この部分です」と説明した。

前回のNoteに一木さんを「唯一無二の奇人」と書いた。
それは一木さんの表象的な行為を指し、隠された本質でもある。ありふれた事象を、他人と違うベクトルで見る。別の言葉で一木さんの行為を語れば、そういうことだろう。一木さんの行為をセンチメンタル、ノスタルジックと捉える人がいる。最初はそうだったかもしれない。ただ、それを続けているうちに、一木さんは新たなカテゴリーを獲得することになったのだ。
誰も見向きもしないこと、誰も疑わないことを、もう一度自分の尺度で捉え、考える。写真だけでなく、アートも科学もそういうものだ。いや政治だって、経済だってそうだと思う。
他人との思考のズレは、いけないことではない。むしろ面白いことだ。それを愉しみ、発展させてほしいと思う。新しい何かはそうして生まれる。

少年はあの日からかけらを集め続け、そして今も好奇心溢れる少年のままだ。


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