2009年1月31日(土)  シンクロニシティー

3月のワークショップは一年の締めくくりとして、合宿をすることが恒例となっている。春の三浦半島で遊び、笑い、そして真剣に語る。こんなことを何年も繰り返して来た。
塾生が減ったこともあり、去年からOBたちの参加も募った。写真(アート)について語りたい。自作を見てほしい。写真から遠ざかっているけれど、またあの雰囲気に浸りたい。そんなOBがいるかもしれないと思ったからだ。予想に反するOBの参加があり、合宿は盛況だった。

千葉さんはワークショップの初期に参加していた出版社の編集者だった。写真家を目指す人ではなかったし、一期だけの参加だったから、去年は連絡をためらった。仕事の多忙も知っていたからだ。
集まったOBのなかに千葉さんの顔がないことをいぶかしみ尋ねた男がいた。やはり声をかけるべきだったとぼくは悔やんだ。だから今年はメールした。

彼女から返事がきたのは昨日のことだ。メールにはこうあった。
27日の夜に本棚を整理していたら、本の隙間からはらりと落ちるものがある。手に取るとそれはぼくのNoteをプリントアウトしたものだった。2004年3月に掲載した「魂の連鎖」を読み、ぼくのことを懐かしく思い出していた。すると翌日、ぼくから合宿を知らせるメールが届いた。
「偶然はないのかもしれません。気に距離は関係ないといいますが、シンクロニシティー、共時性というのは確かにありますね」
「雜賀さんのこの文章はとても心に沁みる文章だったので、プリントアウトして、取ってあったのです。でも偶然出てくるのも不思議ですが。魂の連鎖、いい言葉ですね。」

どんな文章か、自分でもすっかり忘れている。現在はそのころのNoteをサイト上では見られないから、読んだことのない人も多いはずだ。千葉さんの言葉につられて、そのNoteを久しぶりに読み返したら、驚いたことにそれはまさにシンクロニシティーだ。
そこには2004年に写真学校の卒業生たちを連れて、今年も訪ねる同じ保養所で合宿した時のことが綴られていたからだ。卒業生たちとの惜別を前に、合宿の様子が綴られ、卒業式の出来事に触れ、そして最後にこう書いている。

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人生は出会いと別れの繰り返しだ。人間が一生に出会える人間の数は結構少ないものだ。しかも自分のなかに残っていく人間は、たかが知れている。親しいつき合いが続く人間など数えるほどだ。別れは何かの始まりである。新しい生活でいい人に出会って欲しい。人生はどんな人に出会うかで決まる。
魂は連鎖する。つまり魂は呼び合うのだ。馬鹿は馬鹿をよび、結びつける。面白い思考の持ち主は、もっと面白い思考の者と巡り会う。だから友人、知人を見れば、その人間自身がおのずと浮かび上がってくる。試しに、客観的になって周りの人間たちを見渡して見ればいい。身近な人間は自分の分身のような存在だ。面白い人、素晴らしい人に巡り会いたければ、まず自分がそうなる必要がある。
巡り会いたい人は、互いに認め合える人だ。巡り会うべき人は、仕事や思考を通して自分のダメさを気づかせてくれる人だ。そして力をくれる人だ。そんな人に出会い、自分の未熟さを知り、しかし胸を張ろう。

何も変わらない。自分がやらねば、自分は何も変わらない。ならば今すぐに始めることだ。
人生は短い。そして明日が本当にあるかどうかはわからない。

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5年経った今も、この気持ちに変わりはない。
変わったことがひとつある。
人生の短いことが一層身にしみる日々である。


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