2009年1月22日(木)  ひとりの正月

「今年は仕事で帰省できず、ひとりの正月でした。」
ワークショップの塾生・橋本が年明けにそんなメールを書いてきたから、返事を出した。
「ひとりの正月はちょっと寂しいだろう?」
「やはり少し寂しかったです。いつになく家の中がしーんとしていました。正月が明け周りに活気が戻ってきたので、何だかほっとしています。」
晴れがましいというイメージの正月に、ひとりでポツンと過ごしていると、自分だけが社会から取り残されたような気持ちになる。若い頃、いつもひとりで正月を過ごしていたぼくにはよくわかる。帰省したくてもお金がない。ひとりでは餅もおせちも食べない。正月といっても取り立てて何もない。
ただ、静かな時間を過ごせるのはそんな時だけかもしれない。正月休みが終われば、また普通の生活が始まってしまう。ため息をつかずに楽しむことだ。自分の置かれた状況を生きるしかない。

橋本は幸せだ。

そんなことを考えたのは、年末にかかってきた電話のことを思い出したからだった。
写真学校の5年ほど前の卒業生Hからの電話は午後の早い時間だった。卒業生からの電話など滅多にないから、いいこと、悪いこと、どちらの電話だろうと咄嗟に考えた。声を聞いてすぐにわかった。そこから彼の長い電話が始まった。
親とのこと。親の商売の苦境と多額の借金。親を助けるために働いていること。写真など撮れない現状。・・・。
八方ふさがりだったのだろう。どうしていいのかわからなかったのだろう。Hの声は途中から涙声に変わった。

ぼくはHの話をただ聞き続け、自分の経験と、それを踏まえた話しか言えなかった。それが何の役に立つかわからない。しかしぼくはそれしか話せない。
頑張れとは決して言えない。歯を食いしばって生きている人間に、それ以上頑張れとは言えない。
人生はいい時ばかりではないし、悪い時ばかりでもない。
最後にそんなことを話したと思う。

橋本もHも、正月にわが家に来れば良かった。
以前にも書いたように、何を食べるかではなく、誰と食べるかだ。わが家の粗末な正月料理でも、少しは気分が変わって家路につけたのではないか。
遠慮というのは時に悪である。


note menu    close   next