2009年1月12日(月)  正月の皿

去年今年貫く棒のごときもの

これは確か、中村草田男が読んだ句だったと思う。

まさにそんな年の暮れと始まりだった。寒い季節と暑い季節と、ちょうどいい季節。そんな感覚はあるけれど、正月が区切りであるという感覚が年々薄れていく。正月を迎える気分などまるでないのに、暮れに仕方なく普段しないところをちょっと掃除して、玄関に正月飾りを取り付けた。わが家の正月飾りは、かみさんの叔母が水引で作ってくれたものだ。きれいだからそれを捨てないで使い回している。それにしても、こんな無精な家はまずないだろう。そろそろ替えようかと毎年話題になるが、8年も使っている。かなり罰当たりな行為なのかもしれないと思いつつ、特別大きな災難がふりかからないところをみれば、ぼろぼろになるまで使ってみようかとも思う。

かみさんは大晦日におせちの煮物を作る。品数など少なくていいとぼくはいう。田舎育ちのぼくに豪華なおせちなど似合わない。暮れに配達に来たクロネコヤマトのなじみのお兄ちゃんと少し話した。おせちの配達が増えましたと彼は言った。値段は2〜3万円が主流らしい。さぞかし豪華なのだろうう。しかし、この経済危機とやらで、どこにも出かけられない人間のせめてもの贅沢がそれに垣間見えて、かえって寂しさを誘う。

正月におせちを盛りつけるのは、ずっと昔に長崎で買い求めた古伊万里の七寸皿である。
ぼくの皿は正月の絵柄だ。中央に三宝に載った鏡餅が大きく描かれ、梅やら、鶯やら、〆縄などの縁起物が周辺に散らせてある。2枚あったがとても高価だったので、僅かにキズがあった安い方しか購入出来なかったが、共に揃えればよかったと今頃になって後悔している。その後、この図柄は二度と眼にしたことがないほど珍しいのである。かみさんの皿は赤絵の大きな鯛がどーんと鎮座し、周辺を笹柄で飾ってある。これも珍しいだけでなく、勢いがある。いずれも目出たい図柄だ。
色物 (色がふんだんに使われたやきもの) は好みではないけれど、正月にしか使わないそれらの皿は特別である。その皿を見ると正月が来たことを感じる。

雑煮は関西育ちのぼくに合わせた味噌仕立てだ。本当は丸餅なのだが、東京では手に入らない。具など何も入れない。わかりやすくいえば、鰹のダシをたっぷりと効かせたみそ汁の中に、焼き餅が入っているだけだ。食べる直前にまたしても鰹節をたっぷりとふりかける。湯気の中で踊る鰹節をしばらく眺めるのは、子供のころからの癖である。
田舎風の非常に簡素な雑煮だけれど、良い鰹節と、とてもうまい味噌だから、かえって味が引き立つ。おせちもあるのだからそれで十分だと思う。かみさんは東京生まれにもかかわらず、この雑煮がとても気に入ってくれ、これがわが家の雑煮になった。
懇意にしていたある画廊主の正月に招かれた時のことだ。そのお宅は我が家と同じ雑煮だった。奥さんは生粋の東京人だったが、うちのかみさんと同じ心境だったのだろう。ご主人とぼくは故郷が近いことを知っていたが、その雑煮は一段と親近の情を引き寄せた。

暮れのある日、近所のスーパーで買ったアサリで味噌汁を作った。飲んでみると妙な味がする。アサリ本来の味がなく、なんだか気味の悪い風味だ。熊本産だからと安心して買ったのに、かみさんも変だという。食事を中断してスーパーに電話を入れた。電話は店長につながり、5分くらいでその人が玄関のチャイムを鳴らした。ぼくは少し冷めた味噌汁を差し出して味をみてほしいと言った。
「これは素晴らしい味噌汁ですね」
店長はひと口すすってそう言った。アサリのことを差っ引いたとしても、その味噌汁は充分にうまいというのだ。ぼくはその味噌を作っているお店の話を始め、二人でしばらく味噌汁談義になった。それにしてもこの人の舌には驚いた。そんな変な味噌汁なのに、味噌の味をきちんと把握できる。さすが食のプロである。
ちょっと誇らしい気持ちだった。ぼくたち夫婦はかなりいろいろな味噌屋を試し、そしてその味噌に落ち着いた。もう20年以上もその味噌のお世話になっている。外で食事をしても、わが家の味噌汁よりもおいしいものにはめったにお目にかかれない。今度はちゃんとしたアサリの味噌汁を店長にご馳走したいものだ。
(店長はアサリの代金と、過分の電話代と、お菓子を置いて帰った。「いなげや」というスーパーは客を大事にする。)


1日の朝、洗面所で顔を洗おうとして水道をひねった瞬間に、すでに起きていたかみさんが背後から「あけまして・・・」と新年の詞をかけてきた。
ぼくは不意をつかれ、かみさんに尻を向けたまま鏡に向かってお辞儀をする格好で、顔だけかみさんに向け「あけまして・・・」と返した。
今年はそうして始まった。


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