2008年12月2日(火)  従順な羊でなく、ケンカ腰でもなく

苛立ちの気持ちが心のなかを漂っている。
楽天的になれないと言っても良いだろう。
教えるということの難しさを痛感する。

昨日、ワークショップの塾生ふたりにメールを出した。書き出しはこうだった。
「もう12月になりました。この意味わかりますか?
君たちは期限を切らなければ、レポートも書けないのですか。」
ワークショップの後、塾生はレポートを出すことに決めている。しかし、先月のワークショップからすでに3週間以上が経過して、ぼくの中ではあの日の記憶が曖昧になろうとしているにもかかわらず、ふたりからはまったく音沙汰がない。ぼくは業を煮やしたのだ。子どもでもあるまいし、締め切りを設けなければ、レポートも書けないというのだろうか。
先月のワークショップで、最近、レポートの提出が遅れ気味なことを注意し、「いいものを書こうとする必要はなく、感じたこと、考えたことを具体的に素直に書けばいい」、そう話したばかりだった。鉄は熱いうちに打たなければならない。写真でも、レポートでも。
もうひとりの塾生・相原ならばおもしろいレポートを送ってくれるはずと思ったが、その日彼は家庭の事情で急きょ欠席していた。

元塾生Kは、ぼくが自作について話すワークショップに2ヶ月続けて特別に参加したが、すでに届いていたそのレポートは、読みながらため息が出た。気持ちが萎(しぼ)んでいくときのため息だ。彼はその日のワークショップに参加しない方が良かったとさえ思えた。作家が「自分の写真について語る」ということをまったく理解していない。彼にとってその話を聞くことは無意味だったのだ。
この男の文脈をたどれば、写真だけでなく、どんなアートも理解できないとしか思えなかった。作家、作品、そしてそれを見る人間。これらについて根本的なところで大きな過ちを犯している。
そのレポートを二度と読む気になれず、ため息しか出なかった。

ため息、元塾生、と言えば、1年ほど前にやめたOもいる。毎回、同じような紋切り的レポートを書き続け、それを注意すると、ぼくに嘘をつくようになった。これではもう人間として信用できない。どうやら本性を現したらしいと思っていたら、逆切れ的様相の失礼きわまるメールを送り付け、そのままワークショップに来なくなった。
「ずっと先生についていきます」
そんなことを常々公言していたOがワークショップに来なくなると、その言葉を耳にしていたほかの塾生たちは狐につままれたような顔をした。元々そんなことを本気にはしていなかったけれど、人の言葉が羽根よりも軽くなったことをぼくは実感した。
写真学校でもワークショップでも、精力的に写真を撮りつづけていた希有な存在で、その点ではとても見どころがあったから、ぼくは家でよくOの話をした。遠い故郷を離れていたOをときどきわが家に招き、ご飯を一緒に食べた。
Oがワークショップをこんな顛末でやめたとき、ぼくの気持ちを一番よく知っていたかみさんは、こちらが驚くほどの勢いで憤慨した。そんなかみさんを初めて見た。

Oは突っ走るところがあった。良い意味で捉えれば、脇目もふらず突き進む行動力が際立っていた。ただし、それは思いつきだけで走ってしまう尻の軽さを伴っていた。考えることが苦手だったのだ。見えないものを深く思考しようとするような、あるいは遠くを展望する姿勢に乏しく、短絡的で近視眼的な性格では、この先が思いやられた。何も考えずにひたすら疾走するという方法も確かにある。しかしOは疾走というほどではなかった。
「撮りながら考える」「考えながら撮る」
だからぼくはOにこう言い続けて来た。天才的な感性でもない限り、感性だけで成立するほど写真は甘いものではない。
そういうOにとってレポートを書くことは、自分の短所を克服する可能性を秘めた方法のひとつだった。でもそれを拒否し、後ろ足でぼくに砂をかけるようにして辞めた。
レポートは自分のために書くのだよ。つまり、書くことは考えること。書くことで頭を整理する。書くことで冷静に自分を見る。ぼくは塾生たちにそう言い続けてきたけれど、Oは無理矢理ぼくに書かされているという感覚だったのだろう。

これはぼくの側からの言い方になるけれど、Oの将来を見据えたぼくの考えと、目先のことに汲々とするOとの間には大きなギャップが存在したということだ。Oもそのうちにぼくの気持ちが理解できる日が来るかもしれない。しかしそのときではもう遅い。
何事にも遅いということはない、と公言する人がいることは知っている。しかしぼくはそう思わない。遅いことは致命的になる。「時機を得る」あるいは「時機を逸する」という言葉があるように、そのときを逃せば、もう永遠にめぐり来ない何かは確かに存在する。それをモノにするかしないかも才能の内だ。
人はそういう分岐点とも言える「時機」を簡単に通過しすぎる。

自分自身というものは、わかっているようでわからない。人から指摘されて初めて気がつくことも多いものだ。ただ、ここに書いたような例を引くまでもなく、冷静になれば見えるはずの自分が、あまりにも見えていない人間が多すぎる。

10月に武蔵野美大の大学院の授業に呼ばれた。
ぼくの写真を語った後で、院生たちの写真を見た。最初に見た男の写真は、いい線をいっているのだが、誰かの真似のような写真だった。たとえ本人にその認識がなくても、どう見ても二番煎じだ。果たしてそういう写真を撮る意味があるのだろうか。
そういう話をしていたら、それまで黙っていたその男が急に声を荒げ、自分の写真を正当化する言葉を次々に放ち始めた。しかもケンカ腰である。ぼくはその顔をまじまじと眺めた。頭がおかしい男なのかと思ったのだ。以前にも書いたことがある。ぼくは精神を病んでいる人間を見抜くことが過去にたびたびあった。しかし彼はそう見えなかった。それではこの態度は一体何なのだろう。
小林のりおさんはぼくの隣で男の様子を見ながら、また始まったという困惑の表情をしていた。
心が幼いのだろうか。幼少時から褒められることばかりで、意見してくれる人間がまわりにいなかったのだろうか。とにかく、自分を客観視する、制御するということがまったく欠如している。自分に同調しない人間に、ただ反発するだけ。「独り善がり」という言葉がまたしても頭をよぎった。またしてもというのは、去年の写真学校のゼミにも同じような女子学生がいたからだ。
「君は何のために大学に来ているの? 写真を学ぶためではないの? そういう態度では、君にアドバイスする人は誰もいなくなってしまうよ。もっと謙虚にならなければ・・・」
(「自分の写真がそんなに素晴らしいなら、とっとと大学を辞めれば・・・?。個展でも開いて、多いに評価されて、有名写真家の仲間入りでもすればいいじゃないか」。10年前ならこう言っただろう。歳のせいで最近は少しだけ気持ちを押さえることをぼくは覚えた。)
ぼくの言葉に、彼はやっと言葉の放列をやめた。少しは聞く耳を持っているらしい。

黙ってぼくの話を聞き続ける必要はない。ぼくはそんな羊のような従順な人間を欲してはいない。むしろ写真学校でも、ワークショップでも、ぼくは学生や塾生たちに意表をつく発言や、喧々諤々で収支がつかないほどおもしろいディスカッションを求めている。
自分の考えと違う者、沿わない者を排除するのではなく、議論することが大切なのだ。
先日の新聞でこんな記事を目にした。
「フランス人は議論を愉しむ。アメリカ人は議論に勝つことを考える。日本人は議論をしない」
うろ覚えの記事だから正確ではないけれど、まったくその通りだとうなずいてしまう。意思表示をせず黙り込む者。発言すればケンカ腰の者。哀しいけれどこれが現状だ。

そういうことであってはならないと思いつつ、教えるということの不毛を感じる日々である。

ワークショップは一年前に比べて別物のようにおもしろくなっている。それは塾生たちにレポートを課すようになった時期と軌を一にする。今年になってそれはますます顕著だ。発言の少ない彼らの考えを知るために始めたレポートだったが、これは彼らを思考に導くというとても大きな意味を持っている。しかしそれが冒頭のような有様だ。

先月のワークショップに特別に参加した写真学校の学生・竹下は、間髪を置かずにレポートを送ってくれた。それはとても印象に残った。彼が考えたことが手に取るようにわかったからだ。
竹下はあの日、とても大切なことを自分のものにした。それだけが唯一の救いだった。


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