2008年11月3日(月)  らっきょうの味 - 眠くない夜 3

少し時間があいてしまいましたが、最後に届いたレポートを二つ掲載します。

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2008年10月ワークショップ レポート

 既に秩序を持った人間界での常識・既成概念から自由になり、人によって作られたがゆ
えに、人から存在の意味を与えられるという至極もっともな呪縛から開放された、現在は
何の存在する意味をも持たされず自由になった「モノ」の超然とした存在感を、主観に流
されること無く客観的な視点を崩さず描写すること、そしてその圧倒的情景をありのまま
に受け入れること、今回のワークショップにおいて語られた、作品を作るうえで重要だっ
た要素はこの2つからなるところが大きかったように思う。

 そこで一つ疑問に感じたのは、作者のフィルターを一旦通すという意図的な創作を、一
切排除するかに思えるそれらの姿勢から生み出された作品に、確固とした作家としてのオ
リジナリティが存在しているのは何に由来するものなのだろうか。

 画面という制約の中に作品を生み出す作業は、どれだけ受動的に情景を受け入れようと
しても、視界に映る全てのものから作品となる、ある一部分を切り取るという「シーンの
選定」に、作家主体の積極的な意思が存在する。
 ある部分を空間から切り抜く、尚且つ、切り抜きながらも現場の印象を損なうことなく
再現しようとすることは、作家の意図的な演出を徹底的に排し、感情を挟まないことを厳
しく追求していく姿勢に相反し、作家としての真摯なまなざしを作品と空間とに、深く満
たして対峙することである。それこそが作家としてのオリジナリティであり、単純な情景
模写と絶対的な一線を画す部分なのだろう。

対し、第三者の目が無くとも普遍的にただそこにある事象から、意図的に部分を排除、ま
たは付加することによって自己イメージの具現のために利用し、本来存在しているものを
まま捉える、ということとは一見対照的な手法の作品群も存在する。しかし洗練された作
品においては、そこから現実以上にリアルな世界を表現するアートも生まれ、特に絵画の
世界ではその特性から、このような手法が多く取られるのではないだろうか。ジョルジョ・
モランディの描く静物の数々は、一般的に言われる写実とは手法が違うが、無駄を省いた
静謐な筆致は、写実画以上にそこに存在する空気感、またはそれ以上の情景を画面上に構
築している。

 つまり、正反対のアプローチであるとしても、作家が作品を作り上げていく過程におい
て、この世界はこうあるべきという既成概念や先入観が徐々に排除され、磨き上げられた
純粋な世界を画面上に再現するという目的においては共通している。
 いずれの方法をとるにしても、優れた作家が画面上に自分の世界を創る様は、作品とい
う世界を創造する神の意思のようなものといえる。神が天上から世界を覗き込むように、
鑑賞者は神の視点で切り取られた、小さな画面上の「世界」を見る。本物の世界を知らな
い鑑賞者にとっては、作品上の世界が、自分の知り得る全世界となる。しかし鑑賞者が作
品から受ける印象は、決して神の意図したものではないはずだし、また決して本当の世界
を知ることもできない。

 ただ、そうして各々の鑑賞者の心に生まれる「作者の手を離れ作品が一人歩きを始めた」
結果のイメージが、たとえ作家の意思から遠く離れた捉え方だったとしても、作品がそれ
ぞれの世界観に影響を与え、各人の中でまた新たな世界が再構築されていくのならば、そ
れも作家が世に作品を発表する意義なのではないだろうか。

梶原 潤

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10月ワークショップレポート

●「城の崎にて」と「石段」 〜2つの小説〜

この世の中というものが、自分自身の意識とは関係なく、ただそこに「ゴロン」と横たわって存在しているということを意識してみること。そしてそのような醒めた「まなざし」を獲得(意識)できるかどうかということ。さかのぼって思い出してみると、高校生というある種多感な時期に出会えることが出来た2つの小説、「城の崎にて」(志賀直哉)と「石段」(三浦哲郎)は、僕にこの「まなざし」の存在を強烈に印象づけたといえます。

小学生の頃、親父の友人の画家のアトリエに通い、絵画の手ほどきを受けていた影響もあり、美術とか芸術の類を単なる「自己表出の場」(自分で絵を描いたり、自分で何かを作ったりといったように、まず「自分」というものまず先にあるという意味で)だとしか認識できていなかった自分にとって、この2つの小説から受けたカウンターパンチはかなり強烈でした。いやむしろ、未だに僕の中での表現についてのある一つの指針として、ボディーブローのようにじわじわと効いていうといったほうが正しいかもしれません。美術とか芸術といったものは、単なる「自己表現」だけじゃないということ。(もちろん一つのあり方として自己表現はあると思いますが...)もっともっと世の中を醒めた「まなざし」でもって見つめることなのだろうということを、なんとなく意識し始めたきっかけでした。このような「まなざし」が存在しているのだ、ということの驚きはいまでも忘れられずにいます。

そして美大に入り、写真を始めるようになっていくわけですが、古今東西の先人達の写真を見るにつれ、何かあの2つの小説に出会った時の印象、あの醒めた「まなざし」の存在に気づき始めていきました。多木浩二氏の言葉を引くまでもないですが、世界に対して「受動的」な態度をとることが、何の躊躇いもなく純然とそこには存在していました。僕が、写真の面白さにグイグイと引っ張られていくきっかけも、この2つの小説で発見した「まなざし」と写真の中に存在する「まなざし」が一つの線で繋がった瞬間だったように今更ながらに思います。

当日の先生のレクチャを聞いた後、前述のような「まなざし」について、ふと思い出したわけですが、レクチャの時に色々と登場したキーワードを振り返ると、僕がこのような感慨にふけってしまうのも今となっては理解できます。「エキバレント(=等価性)」「イメージ追認の拒否」「見慣れたものをもう一度見る」「意識の排除」「意識をそぎ取る」「撮影者を消す」などなど...。どれもこの「まなざし」を構成する重要な要素なのだろうと思います。


●「まなざし」の逆照射

写真が写真である存在理由の一つとして、世界を「エキバレント(=等価)」に提示することの面白さがあると思います。ただ、これはどちらかというと、撮影時ではなく、撮影後にプリントなどで改めて写真を見たときに発見されるものでしょう。撮影の時の「見る」行為と撮影後の「見る」行為がイコールにならないからこそくる、世界の「エキバレント」な提示。写真というメディアだからこその特性だと思います。そして、写真家は撮影の行為を繰り返して、徐々に世界をエキバレントに見る「まなざし」を身につけていくのでしょう。つまり、写真家にとって世界をエキバレントに見る「まなざし」は、後天的に獲得されるということだと思うのです。

この話題に関連してですが、今回のレクチャーでとても興味深いと思えることがありました。先生の軍艦島の一連の写真では、眼前の世界がすでに「エキバレント」であったというお話です。世界をエキバレントに提示する写真家に対して、すでに「エキバレント」な世界が目の前に存在しているという事態。そういった場所に立ち会ったことがないので全く想像つかないのですが、それはまさに写真的な光景が目の前に「ゴロン」と横たわっていたのだろうと思います。

エキバレントな世界がすでに目の前にあるのだから、それをそのまま撮影すればいいのだろうとついつい思いがちですが、それはそれで逆の意味で「イメージの追認」を許してしまうでしょうし、すでにそういった「まなざし」が顕在化してしまっている世界ですから、どう撮ろうにも撮影者の意識/意図というものが入りやすくなるのは容易に想像がつきます。後天的にようやく獲得する「エキバレント」なまなざしが、写真家を逆照射している訳ですから...。


●6x7というフォーマットの妙

それに対する東松照明氏のアドバイスは意識するしないにせよ、かなり絶妙のものだったと思います。やはり6x7というフォーマットがもつ立ち位置が、この「まなざし」の逆照射に対抗するための唯一のものだったのではと思えるからです。4x5ではなく6x7。当日のレクチャーでは解像度の問題を主な話題にしていましたが(4x5じゃなくても6x7で充分に解像度は出せる云々など)、そういう理由を抜かしても、やはり6x7で撮影する理由があるように思えます。

僕が、6x7という画面比率を考えるたびにいつも思うのは、とてつもなく無性格な比率だということです。6x6のように正方形でもなく、35mmのように横長でもない。4x5や8x10もかなり無性格な比率だと思うのですが、なんというか収まりの良い比率で、逆に収まりの良さが目立ってしまうような気がしています(全体のフレーム感に意識がとられて内側の写真に集中できなかったり、全体のフレーミングが限定されてしまうなど)。6x7は逆に、とてつもなくニュートラルな画面比率であるために、ただただ眼前の事象に素直に対峙できると思うのです。東松照明氏のアドバイスの中にはこの画角が持つ意味も込められていたように思います。

もちろん、画面比率以外にもいろいろな要素があると思います。例えば、カメラの機動性の問題。三脚を立てて撮影したことも大きな要素として挙げられるでしょうし、解像度の問題をとったとしても、8x10ということでもなかったと思います。8x10ではあまりにも「サーフェイス」の問題に寄ってしまうことでしょう。(先生がモランディの絵画を例に挙げておられたことでもわかるように、ここで追求されるべき問題はサーフェイスではないことは明白です)

眼前の世界をマイナスしていって、到達するエキバレントなまなざしの世界(=「ゼロ」の世界)に対して、すでに「ゼロ」になっている眼前の世界に対しては、さらにマイナスすることも、ましてやプラスすることも許されない...。「ゼロ」の世界を「ゼロ」として提示するためには、写真家も究極的な「ゼロ」となって対峙する事以外方法はなかったのだと思います。その選択肢として6x7というフォーマットが選択されたということ。これは必然的なことなのだと僕は思うのです。


●「ゼロ」になることの憧れ

繰り返しになるのですが、以前のレポートにも書いた浅田彰氏と飯沢耕太郎氏の話を引用したいと思います。

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浅田:それはあくまでも作品を成立させるためのマニピュレーションであって、あんまりそこを自己表現とかいうタームで考えない方がいいんじゃないか、もっとあっけらかんとしたものじゃないかと思うんです。(中略)日本は特にそうなんでしょうか、美術界の人はいまだに自己表現、自己表現なんていう。お前の自己なんてどうでもいい、作品が良ければいいのであって、おまえなんか関係ないっていうんですよ! 私の自己を表現してみましたとか、心象風景を撮ってみましたとかバカじゃないの?(中略)自分は別に表現者ではないんだ、視覚のマニピュレーターなんだというところで居直った方がいいと思う。
飯沢:マニピュレーターというか、操作者ですね。だから僕が言いたいのは、自己消去する必要もないし、自己を表現する必要もないし、その中間にいるインタープレーターというか、マニピュレーターというか、それをやるのに写真というメディアは本当にぴったりなんですよね。これ以上、それに適したメディアはもしかしたら無いかもしれない。
(『151年目の写真』(ペヨトル工房)、P85 浅田彰 x 飯沢耕太郎 x 小林のりお x 佐藤時啓 x 今道子 x 北条ユミ 座談会より)
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ここで発言されている「視覚のマニピュレーター」という立ち位置。自己消去でもなく、自己表現でもない。ただただ「ゼロ」として存在する撮影者。軍艦島での先生はまさにこれだったのではないかと思います。ある意味、写真家の究極のスタンスだと思います。ちょっとうまく書くことが出来ないのですが、僕が写真をやっていきたいと思う理由の一つに、このような単なる「自己表現」ということではない表現の可能性ということがあります。つまりは、冒頭に書いた2つの小説で発見した「まなざし」を追い求めているということかもしれません。


●やはり、まだ中平卓馬なのか

今年度のワークショップになってからよく話題にあがる中平卓馬氏ですが、先生のレクチャーで語られていたこともそうですし、僕がこうやって色々と考えて書き連ねていることもそうですが、そのほとんどが、中平卓馬氏によって語られているという事実を考えると、彼の凄さを改めて思うのと同時に、少々アンビバレントな気持ちがあるのも事実です。もうすでに語り尽くされているであろう写真の本質の彼岸への憧れと、そこから自由になりたいという欲求があります。大学生だった当時のことですが、中平卓馬氏について否定的な見解を述べていた山崎博氏の気持ちが理解できなかったのですが、今となっては何となく理解できるような気がしています。

相原健二 2008.11.1

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(10月のワークショップに参加した人たちのレポートを、これですべて掲載しました。
おもしろく示唆に富むレポートもありますので、11月のワークショップはこれらも話題にしながら進める予定です。)


レポートを読んで、写真を撮るという行為をあらためて思う。前後の脈略もなく唐突に言い放てば、「そこにあるものを、ただ見ること」。

ところで、ぼくの話をどう聞いたかが人によってこんなに違う。レポートはワークショップで、あるいはその後に自分が何を考えたかを記したものだから、聞いた人が何に興味を持ったかが如実に現れる。ぼくの内側にあったものが、口から出たとたんに聞いた人のものとなることを実感する。
この日はおもしろかった。一番に喜ぶべきはぼく自身だと思う。ワークショップまでの間、過去の体験を冷静に振り返り、自分の写真を考える時間を持つことが出来た。それは自分を相対化する試みだったかもしれない。「ぼく」という言葉で語りながら、「ある人」の行為であるかような。

ところで、相原のレポートの後には追伸があった。それは無慈悲(笑)にもぼくを写真の世界から現実に引き戻し、しかしその落差がおもしろかった。「次回、らっきょうを持っていきたいと思います」。追伸にはこんなことが書いてあった。これには少し説明が要る。
昨年の今頃のワークショップで、彼はらっきょうを手土産にして現れた。料理好きのお母さんが漬けられたらっきょうは、故郷ではとても好評なのだという。いただいてみると、確かに手が懸かっていることは容易に想像がついた。市販品の薄っぺらな味とはまったく違う。
ぼくをらっきょう好きだと思ったらしく、次のワークショップでは橋本がやはりお母さんのらっきょうを持ってきてくれた。それは相原家のものに比べて甘さが控えめだった。どちらもおいしいのだが、味付けは当然ながら違う。

らっきょうが家の味を代表しているわけではないけれど、その味で彼らは育ったのだ。ふたりがもっとおいしいらっきょうを知ったとしても、ふたりには母のらっきょうは絶対の存在である。つまりそれは彼らの食の基礎のようなものだ。家庭で身に付けたスタンダードの周りで彼らは食を考える。

ぼくのワークショップというものが、どれほどのものかはわからない。橋本が今年も届けてくれたらっきょうを食べながら思う。「母親のらっきょう」には及ばなくても、この場が彼らにとっての「写真のらっきょう」になるだろうか。
それとも、むいてもむいても中身がないらっきょうだろうか。


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