2008年10月18日(土) 眠くない夜 2
たて続けにレポートが届く。
K君は深夜に帰宅するような仕事をしているはずなのに、2日続けてレポートが届いた。二通目はとても長く、一通目とは別人が書いたような、趣を異にする内容だった。ワークショップでのぼくの話と彼の過去の出来事をつなげた具体的な記述がおもしろかった。
次いで17日にもメールがきて、そこには次のような言葉があった。
「雜賀先生のお話しを振り返りレポートを書きながら、これほど自分と対話したことは久しくなかったです。」
彼は3年間ワークショップに参加して、2007年の3月で辞めた。それ以後の、彼の一年半がどういうものだったかが想像できる。
おそらく思考が欠如していたのだろう。以前にも書いたことがあるけれど、ぼくが言う考えるとは、深く思考するという意味だ。思索というべきだろうか。ぼんやりと物思いに耽っている状態を、思考とも思索ともは呼ばない。それは思考の前段階である。思索とは「物事のすじみちを立てて深く考え進むこと」と広辞苑にもある。
ぼくが思考だの思索などと言うのは、写真だけでなく、どんなことでもそれがなければ素晴らしいものが生まれることがないからだ。思いつきは単なる思いつきでしかない。どんなに面白い思いつきでも、それが思考によって育ち、何かの形で結実しなければ、誰かの頭のなかに仮寓しただけの存在、あるいは泡のようなものだ。大切なのは、モヤモヤとしただけのその泡を具現化する思考であり、思考の顕在化である。思いつきを泡のように消滅させないための。たわごとで終わらせないための。
これも以前に書いた。ワークショップに参加すれば、自分が普段いかに考えていないかがすぐにわかる。久しぶりに参加すれば、異常に疲れる。何人もの元塾生がそう言っていた。ワークショップでは普段使わない頭の使い方をする。まさにそれが考えているということなのだ。ぼくの話はおそらく様々な意味で彼らの予測を超えている。だから参加者は頭をフルに使ってそれに対処しなければならない。
ただ、参加者の誰でもがそうなるわけではない。ぼんやりと話を聞いていれば当然思考など始まらない。
今年の写真学校の学生たちも、前期は大いに疲れていたと思う。
女子学生は夏で学校を辞めた。単にぼくと相性が良くなかったのかもしれないが、ゼミでの話が理解できない様子が伺えたし、写真にのめり込む様子も見えなかったから、残念だったけれどもさほど驚かなかった。あとのふたりは健在で、ゼミを休まない。それどころか例年の学生たちよりも、ずっと熱心だ。
ふたりはなかなかおもしろく、ぼくの話にも熱が入る。これまでのゼミでは話さなかった(話せなかった)難しい話をしても、彼らは話についてくる。学生のひとり竹下はぼそっという。
「先生の話はおもしろいです」
「こんな話をしてくれる先生は他にいないだろう?」
冗談めかせ、笑いながら言うぼくに、真顔で「はい」と答える。映画監督を目指し某大学を卒業した男である。
そろそろ疲れなくなったはずだ。そうなれば本物である。疲れなくなったということは、思考することに慣れてきたことだ。ようやくそういう頭になったのだろう。思考することが普通になったのだ。
ただし、油断するとその「たが」はすぐに外れる。ワークショップを辞めたK君のように。
持続することが必要なのだ。そして持続するためには、それが出来る環境に自らを置くことが一番いい方法だ。自分ひとりで考えることが出来る人間は幸いである。しかし思いもよらない思考の端緒は、常に自分の外からもたらされる。
(ゼミやワークショップを、くそ真面目で固いものと感じている人があるかもしれませんが、ぼくはどうも真面目だけではやれない人間で、けっこう脱線します。念のために。)
以下は、新たに届いたレポートです。
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先日のワークショップは、写真の裏側などの貴重な内容の話をしていただき、ありがとうございました。
オリジナルプリントも間近に見ることができ、写真集では伝わりきれない細部の質感を感じることができました。
改めて、写真における、モノクロの世界の意義を認識し、モノクロで写真を撮りたくなりました。
今回は、実体験からの具体的な内容でしたので、正直、今まで曖昧な解釈をしていた部分が明確になったと感じております。
・・・(略)・・・
今、改めて「軍艦島〜棄てられた島の風景〜」(写真集)を鑑賞しています。
モノがモノとして新たな命を宿り、美しい姿を現しています。
そこには、感傷的ではない、冷静にモノを見る眼によって、写しだされたモノの本質が伝わってきます。
人を引きつける写真には、写真の裏側を知らなくても、写真だけでも伝えられる力があると思いますが、更に写真の裏側を知ることにより、新たな解釈ができると思います。
今回、いかに、感傷的にならず過去の想いを冷静に断ち切れたのかが分かりました。
・・・(略)・・・
後藤君(元塾生)
(雜賀註 - 感傷に引きずられていたなら、『軍艦島-棄てられた島の風景』は生まれなかっただろう、とぼくは話し、続いて『軍艦島-棄てられた島の風景』が生まれた経緯を話しました。「棄てられ、残されたモノたち」をただ撮ったということなのですが、前回のNoteに掲載したK君のレポートにもあるように、無人の島の「秩序の崩壊」という事態が、ぼくをそうさせたように思います。そのときから、『軍艦島-棄てられた島の風景』は始まりました。<これだけではさっぱりわかりませんね>。少なくとも、悲しさや切なさを撮ったのではないということは事実です。)
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日曜日はどうもありがとうございました。
軍艦島での写真が出来るまでのお話、大変面白かったです。
今回、雜賀先生の意図する軍艦島での写真の意味をより深く知ることが出来ました。
以前ミュリエルさんによる雜賀先生のインタビューに同席させて頂いた時とはまた切り口の違う、
もっとストレートな、軍艦島での写真が生まれる瞬間を共有出来たような、とても有意義な時間となりました。
様々な観点から語ることの出来るアートとは、やはり魅力的ですね。
あまりにも作家の意図とはかけ離れた、「それは違うんじゃない」と言う見方をする人がいることも事実でしょうが、
観る者を考えることへと誘発する作品とは、非常に奥深く、優れたものだと思います。
オリジナルプリントをガラス無しで拝見出来て、とても良かったです。
学校時代のゼミでも見せて頂いたのですが、あの時よりもその美しさを理解出来るようになったと思います。
雜賀先生のプリント技術に到達するのは並大抵のことではありませんが、あのトーンを覚えておきます。
雜賀先生の写真は、新たな視点で物事を見る、そしてその眼で見た新たな見方を提示しています。
それは偶然などでは決してなく、発見し、思考し、そしてまた思考した結果生まれたものだと思います。
だから、全てのことに理由があるのだという考えに至りました。
なぜモノクロなのか、なぜ中判カメラを使っているのか、なぜこのプリントの調子なのか。
もう一度、じっくり写真集を観ようと思います。
橋本さん(塾生)
(雜賀註 - 「オリジナルプリントをガラス無しで見る」とは、展覧会などでは写真はフレームのガラス越しに見るけれども、プリントを直に見たということです。そうすることでわかること、得られるものはより多くなります。
「なぜモノクロなのか、なぜ中判カメラを使っているのか、なぜこのプリントの調子なのか。」
これらは自分の写真についてぼくが充分に語ったことです。彼女はそれを自分のなかであらためて考え、咀嚼したいということなのでしょう。しかしこれらよりもっと大切なことの数々を、ぼくは語りました。)
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とてもおもしろいK君のレポート第二弾を、ある理由で載せられないのは残念だ。橋本の文章は概説的であり、もっと具体的な記述がほしかった。彼女なら書けるはずなのに、ちょっとゴタゴタした生活のせいで、落ち着いて考えることが難しいのかもしれない。
ところで橋本が気になることに触れている。
ミュリエルさんのインタヴューのことだ。あのとき同席したのは橋本だけだった。あのときの話と今回の話はまったく違う。あのときは軍艦島論(軍艦島そのものについて)であり、今回は写真論(ぼくの写真について)を話した。
これを共に話せば、とてもおもしろいことになるだろう。おそらく丸一日が必要だ。
いつかそういう機会が訪れることを願っている。
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