2008年10月15日(水)  眠くない夜

愉しかった。おもしろかった。にぎやかだった。そしてみんな考えた。今月のワークショップはそんな感じだったろうか。

前日、ぼくは早めに寝て十分に睡眠をとり、ワークショップに備えるはずだった。しかしなかなか眠れない。ようやく眠ったらしいのだが、3時間ほどで目覚めてしまい、寝不足のままでワークショップに挑むことになった。緊張はなかったが、いつもの精神状態ではなかったのだろう。とてもウキウキしていたのは確かだった。小学生の遠足のように。

「私は名古屋近郊に住んでいて、しかも写真とは縁遠く、ワークショップの活気に垂涎の思いでいつもお話を読んでおりましたが、今回の10月ワークショップのご提案には、いても立ってもおられなくなりました。」
こんなメールをくれた梶原さんは、遠路をわざわざやってきたにもかかわらず颯爽と現われた。彼女はかなり歳下で同じ大学を卒業した後輩である。たまたまぼくのサイトを見つけ、ぼくが同窓であることを知り、親近感もあってか数年前からメールをくれるようになっていた。彼女は大学で油絵を専攻したけれど、今は写真にも興味を持っていることを知り、今度はぼくが彼女に興味を持った。
いつも忘れた頃にメールがきて、ぼくはその度に返事を送る。彼女はこのNoteについて自分の思いを書き、Noteから触発された心の内も記していた。そこには、ものを作る仕事をする者、日々考えることを続ける者が発する匂いのようなものが嗅ぎとれた。そんな彼女のメールを、ぼくはゼミで学生たちに読んで聞かせることがある。今年の学生たちもそれを聞いた。
ぼくは初対面でもはっきりとものを言うたちである。そして彼女も物怖じしない人だった。身のこなしも心の内も、キリッとした女性だった。

「オリジナルプリントを拝見しながら、ご自身で写真を語って頂ける機会があるという事を知りました。ぜひ、自分の目と耳で直に感じてみたいと思っています。」
「写真については勉強した事はなく、自分で撮影の中で覚えていっただけです。写真についての知識はほとんど無いと言っても良いと思います。以前より雜賀様のサイトをずっと拝見していましたが、今回の機会を新しい事のきっかけへの何かを吸収出来るチャンスと思って参加を申し込みました。」
次いで現われた安井君は申込みのメールにこう書いていた。彼は人なつっこく、心優しげな男だった。アラスカに通い、動物の写真を撮っているという。このメールをくれたとき、彼がアラスカにいたことをあとで知った。そして帰国して10日ほど後にワークショップにやってきた。心はまだアラスカの原野を彷徨っているのではないかと思われた。

続いて元塾生や塾生たちもやってきた。

当日の様子は、ワークショップのあとで寄せられたメールと、元塾生、塾生のレポートを読んでいただくのが最適かと思い、本日までに届いているメール、レポートを掲載します。梶原さんもあらためてレポートを送ってくれるようです。


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・・・(略)・・・
きっといつもは、もっと闊達な議論が
交わされているのだと思いますが、今日のような機会に参加させて
いただいたことは、その一端に触れることができたように感じ、
本当に幸運なことだったと思います。写真をしていない私は本来ならば、
あの場には参加する資格が無いのですから。

自分の知識の無さも痛感しました。自分が無知であることを確認させら
れるあのような場に一人投入されると、自分に対しての悔しさを
久々に感じ、議論に振り落とされること無く、知識をもっと積み重ねて
食らい付いて行ってみたい、という気持ちになります。
ワークショップの皆さんがそういう気持ちかどうかは分かりませんが、
ただああいう場がもたらされている幸運を、実感していることは容易に
見て取れます。

オリジナルプリントは鳥肌が立ちました。ああいう形で間近に作品を
見たのは初めてです。写真集は何度も何度も見ましたが、まるで
違う作品のように、まったく別物に感じました。言葉で上手く言い表す
事ができないんですが、敢えて言えば「感動」しました。
書いた途端に陳腐に感じるセリフですが・・・

貴重な経験をさせていただいたことに、本当に感謝します。
とても面白い話でした。
・・・(略)・・・

梶原さん

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・・・(略)・・・
今回のお話にあった、
「受動性の大切さ」
という気づきは自分にとって非常に大きな言葉でした。
 紅鮭の体によって川が文字通り深紅に染まるような状況や
自分が想像もしなかったような状況を撮影している時に
被写体の状況に圧倒されてしまい、どう自分が撮影するかという事に
意識が集中してしまって、そのままありのままの素晴らしさを
伝えきれないような事が今まで何度もありました。
その事を後になって振り返る時に状況が凄すぎたと言い訳を繰り返して
来たのですが、今回雜賀様のお話によって
はっきりとした一つの気づきになりました。
自分の「余計な手」を加えようとする思考の未熟さが原因だった事が
良く理解出来ました。

今回見せて頂いた作品のオリジナルプリントは
その美しさに圧倒されてしまいました。
以前、雜賀様がオリジナルプリントの事についてWebページで
書いておられた事をプリントを拝見しながら思い出しました。
写真の教育を未だ受けた事の無かった自分にとってプリント
としての最高点を見せて頂きました。
本当にありがとうございました。
・・・(略)・・・

安井君

雜賀註
この日、ぼくが話したことのひとつは「受動性の大切さ」ではなく、「受動的になることについて」です。そうすることで見えなかったものが見えてくる。

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昨日はワークショップに参加させて頂きありがとうございました。
久々の講義で日頃使っていない脳がフル回転して、今までいろいろ考えていました。
レポートは「秩序の崩壊」がテーマになりました。
棄てられたモノとアートの融合から広げていってみました。
僕は大学生のころ、廃材などを使ったアートに興味を持っていたのですが、
そんな僕を知ったあるデザイン科の教授は、
会話の中で世間一般的に「ゴミ」「廃材」と呼ばれるものは一度out of sight、
人間の視野の範囲外になったものだと。
視点を変えればそれは人間にとって有益なモノになる、
と言われましたが今思えばとてもデザイナーらしいポジティブな発想だったな、
と思います。
アーティストだと、また違った答えが帰ってくるのではないでしょうか。


棄てられたモノとアート
大学生の頃、モノを絵画に取り入れたコンバイン=ペインティング、アッサンブラージュと呼ばれる技法を用いるアートに興味を持ったのは、雜賀先生の写真集の存在が大きかった。写真集で人間の支配から解放されたモノ達の面白さに気付かされ、逆に自分の身の回りの全てのモノは順序立てされ、順位がつけられないものは存在できないという運命にあることを教えられた。ラウシェンバーグやアルマンといった作家による作品はアートという人間が作ったカテゴリ内ではあるが本来の目的をはるかに離れたモノ達が自由の輝きを放っている。同じものの集積や普段の用途からはあり得ないモノとモノの組み合わせによって、違う世界がそこに誕生する面白さに引かれた。学生の僕はいずれ、棄てられたモノを素材としたアートをしたくていろいろな作家の作品を観て回った。

最初はコンバイン・ペインティングのロバートラウシェンバーグに始まり、バイオリンや刷毛を大きな板一杯に貼付けたアルマン、池田龍雄など、どちらかというと平面系の作品にまず衝撃を受けた。身近に溢れたものをプリントしギャラリーに再提示するというコンセプトを広義に捉えれば大量消費品を作品にするウォーホルの作品もそのジャンルの一つになると言えようか。いずれも本来の用途を外されたモノはここではアートの素材ではあるが、単なる素材に終わらず、本来のモノ以上の力で観る側に様々なイメージを喚起させる。

そんな出会って来たアート作品の中で一番、面白いと感じた作品はトニー=クラッグというイギリスの彫刻家による作品群だ。例えばプラスチックの破片を色別にわけて床に並べた「スペクトラム」という作品が初期の作品があるのだが、ここで使われているプラスチック破片は用途による解釈はもちろん解体され、ただ色要素だけが抽出され作品の一部と化している。例えば赤のエリアには同じ赤をしているが全部別の用途、形状のプラスチック製品が無数に集まって赤エリアを構成しているのだ。(赤のバケツの蓋、赤のボトル、赤のトラクター?のおもちゃの一部、赤のチューブetc...というように)そのプラスチック製品がこの作品に使われるとあまりにきれいなために、身近な製品で構成されているとはなかなか気付かない。
また、彼の作品が前出の作家達と違うのはこうした廃材を画材として扱っていない点にある。ラウシェンバーグやアルマンは貼付けた廃材にしばしば絵の具をぶちまけたりロープを張ったりしているし、池田龍雄の作品に至っては工芸を思わせる作り込みだ。トニー=クラッグは作品の中で逆にイメージや作家性をできるだけ排除してモノそのものを見せようとしている。10年前に実際の作品を観たが、集めて来たプラスチックの破片をただ色分け(スペクトラム)して長方形エリア内に並べただけだ。しかし、そうすることでプラスチックの軽い明るさが際立ち、プラスチックの破片の面白さに目がいった。先生のお話の中で、モノを真ん中に入れて撮るという方法にいきついたいきさつがあったが、明確なコンセプトのものは方法論もシンプルになっていくと改めて思う。プラスチックの破片が赤から青までグラデーションするように並べられ、それはそれまで観てきたこのジャンルの作品では感じることがなかった、プラスチックがモノを越えて光になったような印象を受けた。
ちなみにこうしたアートのことを僕が知った時は、これはジャンクアートというジャンルになると聞かされたが、その呼び名がいつしか日曜大工的な素人ジャンルを指すことになったようで、彼等のことをジャンクアーティストと呼ばれたケースを聞いたことはない。

K君(元塾生)


雜賀註
「『ゴミ』『廃材』と呼ばれるものは一度out of sightになったもの」という指摘は、基本的にはぼくの考えと変わらない。ただ、人間社会とそれが崩壊した土地では現れ方は逆になる。一般社会での棄てる行為によって出現したゴミは、確かに社会・人間からのout of sightそのものである。一方、島そのものが棄てられた軍艦島では、そこに足を踏み入れる者にとって、残されたモノ(K君の文脈に従えばゴミと同義)は、in the sightあるいはjust sightとなるのである。
ぼくの写真からラウシェンバーグやトニー・クラッグに行き着いたところがおもしろい。特にトニー・クラッグは浜辺に流れ着いた漂流物などをそのまま作品に使っている。彼の「スペクトラム」というタイトルは明確で、秀逸だ。

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その夜は、やはり眠くならなかった。
気持ちが高揚していたようだった。そして反省もした。もっと話すことがあったのではないかと。
しかも時間が来て、話は『軍艦島-棄てられた島の風景』までで終わった。『月の道-Borderland』『GROUND』まで至ることで、軍艦島シリーズの全貌が姿を現すはずなのに。残念だった。
ただ、詰め込みすぎても彼らの頭を悩ますだけだ。11月のワークショップで、またゆっくりと続きを話そうと思っている。
それが終われば、自分の写真について、ぼくはまた沈黙する。


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