2008年8月1日(金)  昆布屋の夏

台風が朝鮮半島に向かうと夏である。
太平洋高気圧が日本列島をすっぽりと覆う季節を夏という。台風は行く手を阻まれ、仕方なく高気圧の縁(へり)に沿って朝鮮半島に進む。合宿が近づき、毎日の天気予報に見入っていたぼくは、台風7号の進路を確かめて安堵のため息をついた。これで合宿に行ける。

6年ほど前の合宿は、梅雨どきの寒い東京を発ち、長崎に着くと別世界の夏だった。大浦海岸にある新しいホテルの窓を開けると、気が狂いそうな蝉の鳴き声が束になって部屋を埋めた。普段は蝉の声など気にも止めないような体育会系の男子学生さえも「夏ですね」と言い、ぼくは「クマゼミだな」と言った。窓からはオランダ坂の緑が見えた。
西日本に生息する南方系のクマゼミの、東京ではほとんど聴くことのないその鳴き声が、学生たちには珍しかったのだろうか。いや蝉の声に耳を傾ける余裕がない生活を送る学生には、普段それが聴こえなかったのだろう。日常を離れ、五感が敏感になったのだ。旅をするとはそういうことだ。

今年は東京も長崎も、日本中の梅雨がすでに明けていた。慣れているはずの長崎の夏だったけれど、二日目に釣具屋で買った220円の麦わら帽子を決して離せなかった。それでも鼻は毎日赤く焼けた。今年の夏も長崎で初めて蝉の声を聴いた。いつもよりも控えめな鳴き声だった。
石橋が架かる中島川に沿うように、「中通り」と呼ばれる車の通らない生活道路がある。「浜の町」の繁華街に通じ、小さな店が軒を並べ、のんびりとした立ち話があちこちで聞かれるような、昔ながらの下町の風情を残す通りだ。その一角の昆布屋さんに二日目から投宿した。
合宿を安く上げるために飛行機とホテル(一泊)をセットで予約し、残り数日の宿は別の方法でとる。それが旅行に安く行く裏技だ。その昆布屋さんは店の上が宿になっていて去年からお世話になっている。素泊まり3000円、二食付きで5000円と安いのが決め手になった。学生たちには安いのが一番だ。学生のせいにしているが、もちろんぼくも助かっている。
家の近所は別にして、東京の街で顔見知りにバッタリなんてことなど滅多にないけれど、この中通りでは知り合いに出くわすことがある。あるいは誰かに見られていたりする。だから、長崎ではかみさん以外の女と一緒に歩けない。

若さに任せて一日中写真を撮り歩くのはいいけれど、倒れられてもかなわない。水を補給しろ、一番暑い時刻は宿にかえって休めと、自分の子供のように言う。自分が倒れては一番カッコ悪いから、歳を考えて今年は自重気味にした。それでも万歩計はその名の通りの歩数を一日で刻む。

合宿は文字通り、生活を共にして学生を写真漬けにするための方策で、それは普段の授業を補う意味も持つ。つまり学生たちと打ち解けた時間を持つということだ。その中で普段のゼミでは得られないものを互いに獲得する。そういう合宿本来の意義を十二分に持つことが出来たのは、竹下という学生だけだった。
昼間に宿に帰ると間髪を置かずに帰ってくる。夕方ラーメンを食べに行ったらそこでも出くわす。偶然という妙。竹下とは何だかとても波長が合った。宿で彼と話をしていたら、すぐに2〜3時間が経過する。そんなことが何度も繰り返され、彼とさまざまな話をすることになった。22歳という若輩の割に竹下の話も興味深かった。彼と話していると気持ちが自由になるらしく、さまざまなことが次々に思い浮かび、話が尽きない。不思議な男である。
それは合宿だけに限らなかった。普段のゼミでも休憩時間に話しかけてくるのは竹下だ。屋上で羽田空港を飛び立った飛行機の灯りを眺めつつ話に夢中になり、気がつくと休憩時間をオーバーしていることがよくあった。
せっかくの合宿で、他の二人もそういう時間を持てたはずにもかかわらず、彼らは必要以上にぼくに近づこうとしなかった。ミーティングにだけ集まって、終わればさっさと散っていく。写真にも、ぼくの話にも本当は興味がないとしか思えない。そういう距離感は人間関係に微妙な影響を与え、ぼくを考えさせることになった。二人にはぼくのゼミに参加する意味があるのだろうか。今後のゼミのやり方が見えたように思えた。

東京に帰った翌日、ボケーとしていたら竹下からメールで合宿の礼状がきた。あとの二人は何の連絡もない。長崎はおもしろくなかったのだろうか。こんな学生たちは初めてだ。
曇りの天気が続き、凌ぎやすい東京でもようやく蝉が鳴きはじめ、また台風がやってきて、今度は中国大陸に飛んでいった。高気圧が一段と勢力を強めたことがそれでわかる。
タバコを減らすために昆布屋で買った固い昆布を短冊に切って口に入れ、爺さんのように口をモゴモゴさせながら、扇風機の風の中でこれを書いている。
もう終わったような気になっているけれど、まだ夏は長いのだ。



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